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京都・滋賀連続強盗殺人事件|兄にいいなりの知的障害者に死刑判決

日本の凶悪事件

京都・滋賀連続強盗殺人事件

母親の胎内で水俣病にかかったために、軽度の知的障害を持って生まれた松本健次(当時39歳)。幼少期から兄に暴力で支配され、絶対的な主従関係ができあがっていた。
1990年9月、そんな兄の従弟殺人計画に、健次は加担させられる。殺して奪った財産を使い果たした兄弟は、次に知人女性に対しても、同じように殺害して財産を奪った。

その後、警察の捜査で兄弟は容疑者となる。兄は健次ひとりを出頭させ、自身は自殺してしまった。裁判では、弁護人が「健次は従犯」と主張するも認められず、死刑が確定する。

事件データ

犯人松本健次(当時39歳)
事件種別連続強盗殺人事件
発生日1990年9月6日、1991年9月25日
犯行場所京都府城陽市、滋賀県東浅井郡
被害者数5人死亡
判決死刑:大阪拘置所に収監中
動機主従関係にあった兄からの強要
キーワード知的障害、拘禁症

京都・滋賀連続強盗殺人事件の経緯

松本健次(当時39歳・無職)は、生まれつき知的障害があり、幼少時から兄に暴力で支配され、何でもいいなりになる関係だった。そして、それは大人になってからも続いていた。
1990年のある日、そんな兄から犯行を持ちかけられる。京都府城陽市に住む従弟の男性(当時36歳)を殺して財産を奪うという計画だった。

9月6日午前5時頃、従弟宅を訪れた松本兄弟2人は、マッサージをしてやると偽り、うつ伏せになった従弟の手足をビニール紐で縛った。こうして自由を奪ったうえで首にビニール紐を巻き付け、2人がかりでその両端を引っ張って絞殺。現金約4万円と土地家屋の登記済み証・登録印などを奪った。

遺体は、福井県敦賀市の砂浜に埋めた。その後、従弟になりすまして土地や住宅を計2700万円で売却。この時手にした大金のほとんどは、兄がわずか1年で愛人との旅行や高級車の購入のため使い果たしてしまった。

金を使い果たした2人は、1991年8月下旬頃から滋賀県東浅井郡に住むの家に身を寄せていた。ここで兄は、近所に住む資産家の女性(当時66歳)が養子を求めていたことを知り、殺害して資産を奪おうと計画する。

9月25日夕方、兄弟2人は「岐阜にいる養子の希望者を紹介する」と自宅にいた女性を車で誘い出した。午後10時頃、愛知県内の木曽川沿い道路でトイレ休憩とだまして女性を車から降ろした。そして女性の首に電気コードを巻き付け、その両端を2人で引っ張って絞殺した。

その後、遺体を前回と同じように福井県美浜町の砂浜に埋め、現金17万5千円や家の権利書・預金通帳・有価証券・印鑑などを奪った。

9月29日夜、資産家女性の捜査願が出される。この捜査で警察は、健次が「女性の家の売却を相談している」ことを突き止めた。そのため9月30日、滋賀県警・虎姫署は重要参考人として健次ら兄弟に出頭を求め、健次は10月1日夜、ひとりで警察に出頭した。

一方、出頭しなかった兄は虎姫署によって指名手配されたが、10月3日午後、兄は岐阜県美濃市内で首を吊って自殺しているのが見つかる。(兄はサラ金から60万円を借りていた)

取り調べで健治は犯行を自供し、逮捕された。滋賀県警は、健次の知的障害につけ込んで「男なら自殺した兄の責任も取るべきだ」とそそのかして自白調書を取ったとされる。

11月16日、健次は従弟殺害についても強盗殺人・死体遺棄容疑で再逮捕された。兄弟はほかにも知人2人の殺害を計画していたとされ、8月頃、京都府城陽市内のゴルフ場などに、遺体を隠すための穴を掘っていた。

殺人計画は、「知的障害のある健次によるものではなく、兄が計画した犯行に健次が巻き込まれた」ものとみられている。但し、裁判では認められていない。

松本健次の生い立ち

松本健次/京都・滋賀連続殺人事件

松本健次は、1951年2月3日に熊本県で生まれた。
母親の胎内にいるときに水俣病にかかったために、手足に感覚障がいや軽度の知的障害を持って生まれた。(胎児性水俣病)IQは、60から70程度とされる。

幼いころから兄に暴力をふるわれ、主従関係ができあがっていて、健次は何でもいいなりだった。そんな健次だったが、中学卒業後は親許を離れ、調理師や土木作業員として生計を立て、少ないながらも母親へ仕送りをしていた。

一方で、兄弟の主従関係は大人になってからも続いていた。健次はその後、熊本へ戻ったのだが、この時兄と再会したことが、悲劇的な事件が起きるきっかけとなった。

そして1990年9月、兄に強要される形で2件の殺人に加担した健次は、死刑が確定となる。兄弟関係の特殊な事情や知的障害は裁判では重視されず、責任能力ありと判断された。
本来の主犯である兄は、健次ひとりを警察に出頭させて自殺してしまった。

松本健次/京都・滋賀連続殺人事件

現在、松本健次死刑囚は大阪拘置所に収監されている。

外部とのやりとりが厳しく制限される長年の独房生活から、健次は拘禁症を患い、重い精神疾患(誇大型の妄想性障害)を発症しかけていると診断されている。(2015年8月、担当弁護士の情報)

健次は「窓から天皇が入ってきた」「足にレーザー光線があたる」といったことを口走り、まともに意思の疎通ができない状態とのこと。

松本健次死刑囚が獄中で書いた絵

松本健次死刑囚が獄中で描いた絵
2006年作品(「極限芸術 死刑囚は描く」より)

松本健次死刑囚は、収監されている大阪拘置所の独房で、上記のような独特のタッチの絵を数多く描いている。(ここでは一部を掲載)

2015年8月の情報では、松本死刑囚には強い拘禁症状が出ていて、現在は創作活動はしていないと思われる。絵を描いていた時期は、2000年4月に死刑が確定した翌年2001年から2007年頃である。

裁判

1991年12月17日、大津地裁での初公判で、松本健次被告は起訴事実である2件の強盗殺人を全面的に認めた。

しかし、1992年4月17日の第3回公判における死体遺棄分の罪状認否で、「殺害行為に手は貸したが、実際に手を下したのは兄」と起訴事実を一部否認した。

1993年7月2日の論告求刑で、検察側は「いったんは認めた殺人を兄になすりつけるなど、反省の色がみられない」として、死刑を求刑。
弁護側は最終弁論で、健次被告は殺害の現場にいたが、主犯は兄であり、強盗殺人は兄の単独犯行であると主張。また死刑は憲法違反の疑いがあると訴えた。

9月17日の判決公判で、裁判長は主犯が兄との主張に対して「男性殺害は兄が計画を立てたが、被告人も直接、殺害行為に加担している。また女性殺害では被告人の方が兄よりも犯行に積極的だった事実が認められる」と退けた。

また、弁護側の「死刑は憲法違反の疑いがある」との主張に対し、「いわゆる残虐刑罰ではなく、憲法違反とは言えない。犯罪予防の見地からも本件を厳しく処断することにより、社会への警鐘とする必要が高い」との見解を示した。

そして「金目当てに2人の生命を奪った極めて冷酷非情な犯行」「自己中心的で冷酷な犯行。人命尊重の意識の欠如は矯正が困難で、反省も見られず、極刑に相当する」とした。
大津地裁では38年ぶりの死刑判決だった。

第一審の死刑判決後

大津地裁では38年ぶりの死刑判決だったが、支援する人々は以下のように主張した。

  • 松本健次被告は、胎児性水俣病からくる知的障害があり、幼少期から兄に絶対服従だった。滋賀県警は、知的障害につけ込んで「男なら自殺した兄の責任も取るべきだ」とそそのかして自白調書を取った。
  • 兄は交際していた女性のためにお金の工面に奔走し、借金がふくらんだ結果の犯行であり、健次被告は兄に従っただけの従犯である。

弁護側は控訴したが、1996年2月21日、大阪高裁はこれを棄却。2000年4月4日には最高裁で上告棄却となり、健次被告の死刑が確定した。

判決理由で裁判長は「死刑は残虐な刑罰を禁じた憲法に違反する」との被告側主張をめぐり、「1948年の最高裁判例で合憲とされている」と、これまで通り判断した上で「今これを変更すべきものとは認められない」とした。

さらに「2件の強盗殺人とも周到に計画され、動機は利欲で酌量の余地が全くない。2人の人命を奪った結果は重大だ」と述べた。

その後の動き

死刑確定後、弁護側による恩赦出願や幾度にもわたる再審請求は、すべて棄却されている。

その後、国を相手に「再審請求中は死刑執行を拒否できることの確認を求める訴訟」を大阪地裁に起こし、2018年5月31日、第1回口頭弁論が開かれた。

国側は、請求に対する意見を留保。2020年2月20日、大阪地裁は請求を棄却した。
松本死刑囚側は、再審請求中の執行が、裁判を受ける権利を保障する憲法32条に違反すると主張。しかし裁判長は「同条は刑罰について、裁判所の公開法廷での審理と判決によるべきだと定めたもの」と指摘。「その後の非常救済手続きである再審請求中に執行されても、権利が侵害されたとはいえない」と判断した。

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