「現役警官・交際女性殺害事件」の概要
2015年1月24日、大阪で信じ難い事件が起きた。現役の警察官が邪魔になった不倫相手を殺害したのだ。その警官とは大阪府警阿倍野署の水内貴士巡査長(当時26歳)。水内は婚約者がいるにもかかわらず、それを隠して被害者女性と交際を開始。その後、結婚がバレて「周囲に言いふらす」と責められると、いとも簡単に女性を殺害した。偽装工作の甲斐もなく、翌日には逮捕となった水内だったが、裁判で懲役18年が確定した。
水内は被害者のことを「性欲のはけ口だった」と言い、ほかにも交際していた女性が複数人いたという。
事件データ
犯人 | 水内貴士(当時26歳) 読み:みずうち たかし |
犯行種別 | 殺人事件 |
犯行日 | 2015年1月24日 |
犯行場所 | 大阪市東住吉区 |
被害者数 | 1人死亡(不倫相手) |
判決 | 懲役18年 |
動機 | 結婚がバレて周囲に不倫を言いふらされそうになった |
キーワード | イケメン、性欲のはけ口 |
「現役警官・交際女性殺害事件」の経緯
2013年4月、大阪府警巡査長・水内貴士は、東日本大震災(2011年)の被災地支援で宮城県警に出向していた。同月28日、水内は仙台市内で開かれた「街コン」に参加し、仙台市の東北福祉大学に通っていた白田光さんと出会う。
水内は女性に対して貪欲なタイプで、当初、白田さんはそんな水内を苦手に感じた。しかし何度か会ううちに「意外と悪い人ではない」と、最初の印象とのギャップ効果もあって好感を持ち始める。
そもそも水内は身長183cm・体重89kgの剣道で鍛えた身体に、精悍な顔立ち。いわゆる”イケメン”といっていい彼がモテないわけがなかった。
こうして交際を始めた2人だったが、白田さんが恋人として大事にされたのは、最初の半年ほど。それもそのはず、水内にはすでに大阪に婚約者がいたのだ。水内にとって白田さんは単なる遊び相手、悪くいえば ”性欲のはけ口” だった。
そんな水内とは裏腹に、婚約のことなど知らない白田さんは本気になっていく。次第にデートの回数も減り、直前にキャンセルされるようになっても、水内を一途に思い続けた。山形の実家にも、「警察官の彼氏」の存在を報告していた。
水内と白田さんは大阪へ
白田さんは、祖母と母親をがんで失った経験から「患者とその家族の力になれたら」という思いで、社会福祉士を目指していた。冷たい態度の水内を思い煩うと、勉強に集中するのも大変だったが、それでも猛勉強の末に資格を取得。2014年春、大阪市東住吉区のがん治療の拠点病院にソーシャルワーカーとして就職が決まり、大阪に移住した。
白田さんの夢はソーシャルワーカーになることで、当時、友人に「夢と彼氏を追いかけて、大阪に行く」と話している。
一方、水内もそのころ宮城県出向を終え、大阪に戻ることになった。彼は阿倍野署に配属され、2人はいつでも会える距離にもかかわらず、水内の態度は相変わらずで会うことはほとんどなかった。水内は寝屋川市に住んでいたが、「両親と同居してるから」という理由で白田さんは住所も教えてもらえなかった。
そんな6月のある日、水内は先輩と飲んでいて終電を逃し、帰るのが面倒になって白田さんのことを思い出す。そんな気まぐれでマンションを訪れた水内を、白田さんは喜んで迎え入れた。
だが、こうした訪問が常態化することはなかった。なぜなら水内は8月に婚約者と結婚することが決まっていたのだ。
そんなことなど知る由もない白田さんだったが、水内が自分に対して気がないことはわかっていた。その年の10月、彼女は水内のことをあきらめようと考え、自分から別れを切り出した。水内にとっては、これ以上 ”きれいな別れ方” はないはずだが、彼はなぜかこう言ったという。
「俺のこと好きやろ。別れられないやろ」
好きな相手にこう言われてしまっては、どうしようもなかった。白田さんは、やっとの思いで決めた別れを撤回した。
白田さんは別れ話を計3回切り出しているが、その度に水内は「別れない」と言って関係を引き延ばしていた。
結婚の事実が発覚
その後、水内は居酒屋で後輩に白田さんを会わせている。彼女にとって、それはとても嬉しいことだった。だが年明けの2015年1月12日、白田さんはすべてを知ってしまう。
その後輩のフェイスブックを見たのがきっかけだった。後輩とつながる人たちを辿っていくと、ある人が投稿した写真に ”水内とその妻” が写っていたのだ。
なぜ ”妻” であることがわかったかといえば、それは水内の「結婚式の写真」だったからである。水内は幹事に事情を説明して、フェイスブックに投稿しないように頼んでいた。だが出席者全員には周知されていなかったのだ。
誕生日にもクリスマスにも会ってくれない理由がやっとわかり、白田さんは真実を知ってしまったことをフェイスブックに投稿した。それは直接的な文章ではなかったが、”わかる人が読めばわかる” 内容だった。
それを見た後輩が水内に報告。だが、水内は事態を軽く考え、緊張感のない冗談めいた返事をしたという。それどころか、水内はこれをそのまま放置して別の女性との交際を始めていた。
水内は結婚前後、白田さんを含めて7人の女性と交際していたという。
カッとなり殺害
1月21日夜、白田さんは「社会的制裁を受けてもらう」と書き込む。「都合のいい女」のはずの白田さんが、初めて牙をむいたのだ。水内は焦ったが、それ以上に腹を立てた。なんでも言いなりにできる、”自分より下” に見ていた女からの反抗的な態度に腹を立てたのだ。
ようやく事の重大さに気付いた水内だったが、彼が取った行動は常軌を逸していた。
1月24日午前7時45分頃、水内は白田さんのマンションを訪れて別れ話をするも、今さらまとまるはずもなかった。そして、白田さんに「奥さんや警察に言う」と言われた水内は、カッとなり殺害を決意。命乞いをする白田さんの首をベルトで絞めて窒息死させた。
それから白田さんのスマホを電子レンジにかけて壊し、自分の私物を部屋から持ち出した。この一連の証拠隠滅作業を行うにあたっては、警察が現場捜査の時に使う足カバーを履いていたという。その後、午前9時30分頃から阿倍野署の道場で剣道の練習に参加し、道場のゴミ箱に凶器のベルトを捨てた。
一方、勤務先の病院は、出勤してこない白田さんを心配してマンション管理会社を通じて東住吉署に通報。これにより、事件は発覚となる。東住吉署員が、水を張った浴槽内で服を着たままうつぶせの状態の白田さんを発見したのだ。
いつも始業の45分前には出勤していた白田さん。まわりから「連絡無しに無断欠勤などあり得ない」と思われる白田さんだからこそ、勤務先はすぐに通報し、早期の発覚・解決につながった。
大阪府警が白田さんの交友関係や防犯カメラの映像を捜査した結果、水内との関与が浮上した。マンションの防犯カメラには、黒のフード付きの服を着た水内が、約1時間の滞在の後、茶色のジャンパーに着替えて出ていく姿が写っていた。
水内は同日夕方に任意同行を求められ、翌25日に逮捕となった。当初、取り調べで関与を否定していたという。
水内貴士の生い立ち
水内貴士は1988年生まれ、大阪府八尾市の出身である。
地元の志紀学園幼稚園、永畑小学校を経て奈良県に引っ越し、三郷小学校に転校した。その後、再び八尾市に戻り、金光八尾中学校を卒業。高校は近畿大学附属高校に進み、卒業後は大阪府警の警官として勤務した。水内の父親と弟も警察官である。
幼い頃から剣道を習い、五段の腕前。 小学校で同級生だった女性によると、水内は「礼儀正しく正義感も強い子」だったという。剣道の成績が良くて府警に入れたことを喜んでいたそうだ。実際、署内でも剣道の腕前はかなりのものだった。
2013年4月、東日本大震災の被災地支援として宮城県警に出向、この時に被害者・白田光さんと知り合う。そして2015年1月24日、本事件を起こして白田さんを殺害した。府警監察室は2月13日付で、水内を懲戒免職処分としている。
裁判では一審で懲役18年の判決。水内は控訴せず、そのまま確定した。
被害者・白田光さんの生い立ち
被害者の白田光(しらたひかる)さんは、山形県出身で三姉妹の末っ子だった。小学3年からバレーボールを始め、高校時代には全日本高校バレーボール選手権大会にも出場した。
中学生になったころ、がんに侵された祖母の看病をした経験から福祉の道を志し、東北福祉大(仙台市)に進んだ。大学1年だった2011年、今度は母親ががんで入院すると、時間を見つけては山形に帰り、病床の母親に寄り添った。
そんな時に出会ったのが本事件の犯人・水内貴士だった。白田さんは水内を ”水さん” と慕い、「警察官をしている人」と家族に嬉しそうに紹介した。慣れない大阪で一人暮らしすることになった時も、白田さんの家族は ”警察官の彼氏” が力になってくれるものと安心していたという。
阿倍野署長の失言
水内の逮捕から11日後(2015年2月5日)、上司である阿倍野署の愛甲哲也署長が遺族と面会した。とはいえ、愛甲署長は遺族に会いに山形県まで出向いたわけではない。遺族が白田さんのマンションの片付けのために大阪に赴いた際に、署長からの要望で会うことになったのだ。
白田光さんの葬儀は2月1日だったが、府警から公式の弔電や参列者はなかった。そんな事情もあったことから、遺族は「謝罪は受けない」と断ったうえで面会。すると、署長は水内被告について「言葉は悪いかもしれないが、結婚して幸せの絶頂期におるやつ(水内)がなぜこういうトラブルになるのか」と発言したという。
遺族は「トラブルとは、信じられない発言だ。府警の対応には誠実さが感じられない」と反発。愛甲署長は、「謝罪の気持ちを伝えるため、ご遺族にお会いしたが、その思いが伝わらなかったとすれば申し訳ないと考えている」とのコメントを出した。
また、葬儀に参列しないなど、山形県まで出向かなかったことについては「毎日のように苦情が来ており、署員の士気を下げないようにした」「お会いしたかったが周囲(部下)に止められた」「上と相談してそうなった」などと釈明したという。
裁判
2015年9月15日、大阪地裁にて水内貴士被告の裁判員裁判の初公判が開かれた。
起訴内容について、水内被告は「間違いありません」と認めたため、公判では刑の重さが争点となった。水内被告は、「交際の事実を妻や警察に告げると言われ、カッとなって衝動的に殺害した」と供述した。
検察側は冒頭陳述で、水内被告は「結婚前後から、被害者以外の複数の女性と交際していた」と指摘。不適切な女性関係を府警や妻に知られることを強く警戒していた、と述べた。
水内自身も「白田さんは複数いる交際相手の1人。大切に付き合おうという気持ちはなかったし、自然消滅すると思っていた」と証言している。
水内被告は、「突発的な犯行だった」と計画性について否定していた。しかし検察側は、凶器の革製ベルトを持参するなど計画性があったと指摘した。
懲役18年の判決
10月1日、論告求刑公判が開かれ、検察側は水内被告に懲役20年を求刑した。
検察側は「命乞いする白田さんの首をためらうことなくベルトで絞めた」と指摘。ぐったりした後も両手で首を絞め、水の入った浴槽に放置して殺害するなど「強い殺意に基づく残忍、冷酷かつ執拗な犯行」としたうえで「国民の生命を守るべき現職警察官による殺人で強い非難に値する」と主張した。
一方、弁護側は最終弁論で「突発的な犯行で、事件後に懲戒免職処分になるなど制裁を受けた」として懲役14年が相当と主張。水内被告は最終意見陳述で「光さんの命を奪ってしまい申し訳ございませんでした」と遺族に頭を下げ、謝罪した。
10月6日の判決公判で、大阪地裁は水内被告に懲役18年の判決を言い渡した。
裁判長は判決理由で「事前に殺害があり得ると考えていたとは認められない」と、計画性については否定。一方で、命ごいをした白田さんの首を執拗に絞めるなどの、犯行の悪質性を指摘し、「警察官として人の生命を守る義務に違反して、生命を奪ったことは強い非難に値する」と述べた。
水内被告は控訴せず、刑は確定した。