「佐世保小6女児同級生殺害事件」の概要
2004年6月1日、佐世保市立大久保小学校で小学6年生の女児が、同級生を殺害するという前代未聞の事件が起きた。2人は友人関係にあったが、事件前の5月下旬から他愛ないことで仲違いしていた。2人のケンカはインターネット掲示板上で繰り広げられていたが、6月1日、加害者女児は被害者を学習ルームに呼び出し、カッターナイフで首を切りつけて失血死させた。
未成年、それも小学生が友人を殺害したこの事件は、世間に衝撃を与えた。女児は児童自立支援施設送致となったが、2008年3月に施設を退所して社会復帰している。
事件データ
犯人 | 辻菜摘(当時11歳) 小学6年生 |
犯行種別 | 殺人事件 |
犯行日 | 2004年6月1日 |
犯行場所 | 長崎県佐世保市立「大久保小学校」 |
被害者数 | 1人死亡(同級生) |
処置 | 児童自立支援施設送致 「国立きぬ川学院」2008年3月退所 |
動機 | 被害者との人間関係のもつれ |
キーワード | ネバダたん、小学生 |
事件の経緯
辻菜摘(当時11歳)と御手洗怜美さん(当時12歳)は佐世保市立大久保小学校の6年生で、同じクラスの友達同士だった。2人は交換日記をするほど仲が良かったが、2004年5月下旬、あることをきっかけに険悪な関係になっていた。
それは怜美さんが菜摘をおんぶした時に「重い」と言ったことが発端だった。重いと言われた菜摘はその時、「失礼しちゃう」と言ったのだが、怜美さんはインターネット掲示板で、菜摘のことを「ぶりっ子」とからかうような書き込みをした。
これに腹を立てた菜摘は、怜美さんのパスワードを使ってこの書き込みを削除。しかし、怜美さんは再度同じような書き込みをしたため、菜摘ももう一度削除した。すると、怜美さんは「荒らしにアッタンダ。マァ大体ダレがやってるかワかるケド」と書き込み、菜摘のほうは怜美さんのアイコンをカボチャの写真に変えた。
こうして仲良しだった2人の仲は泥沼状態になっていくのだが、ここまではよくある女の子同士の揉め事だった。
よくある揉め事が殺人事件に
2004年6月1日、4時間目の授業が終わったあと、菜摘は怜美さんに「ちょっとおいで」と言って、教室から約50m離れた学習ルームに連れて行った。部屋に入ると、菜摘はカーテンを閉めて怜美さんを椅子に座らせると、自分の手で怜美さんの目を覆い、背後からいきなりカッターナイフで首を切りつけた。
怜美さんは椅子から立ち上がり、両手をバタバタ振って抵抗したが、菜摘はさらに何度も切りつけた。やがて怜美さんが倒れても、菜摘はしばらくその場を離れず、手に付いた返り血をハンカチで拭き、怜美さんが動かないことを確認するように、顔をのぞき込んだり体を触ったりした。菜摘は15分ほどそうしたあと、教室に戻るために学習ルームを出た。
一方、学校は給食の時間(12時35分)となっており、2人のクラスでも「いただきます」の唱和で食べ始めるところだった。しかし、菜摘と怜美さんがいないことに担任が気付いたその時、廊下を走る音が聞こえてきた。廊下に出た担任が見たのは、返り血を浴びた菜摘の姿だった。
菜摘は何も言わず入口にたたずんでいたが、手にはカッターナイフと血に染まったハンカチが握られていた。担任は菜摘が負傷しているのだと思い、体を調べたが怪我はなかった。何があったのか、担任が強い口調で問いただすと、菜摘は「私の血じゃない。私じゃない」と呟き、学習ルームの方向を指さした。
学習ルームの惨状
菜摘が指さす学習ルームに担任が駆け付けると、息絶え絶えの怜美さんが倒れているのを発見。学習ルームには飛び散った返り血が壁にも付着していて、カッターナイフの折れた刃が入り口付近に落ちていた。また、怜美さんのメガネが机の上に置かれていた。
担任は「救急車!救急車!」と叫びながら止血を試みた。この時、担任の叫び声を聞いた3年生の教室の教師が、職員室へ駆け込んで教頭に報告。教頭は事態を把握するため現場へ向かい、惨状を確認した12時43分、119番に通報した。
教師らが学習ルームに集まっている間、菜摘は廊下にたたずんでいたが、その後2階に下りようとするのを見た教師が、落ち着かせようと階段に座らせた。菜摘は泣きそうな顔で声を震わせ、「救急車を呼んで。怜美さんが死んじゃう」と独り言のようにつぶやいたという。さらに「私、どうなっちゃうの…」とうつむく菜摘を、教師はなだめた。この時点では、菜摘が加害者だとは誰も考えていなかった。
教師は菜摘を1階の保健室に連れていき、手を洗わせ、服も着替えさせた。足に付いた血は正面玄関わきの洗い場で洗い落とした。
12時51分、救急車が学校に到着したが、被害者の状態を見た救急隊員は病院への搬送を断念し、佐世保警察署に連絡した。また、連絡を受けた怜美さんの父親も、タクシーで12時59分に到着した。
世間を驚かせた小学生の殺人犯
何が起こったのか不明な状況で、救急隊員は教師らに事情を尋ねて回っていた。そこで、教師は唯一事情を知っているであろう菜摘を、救急隊員のもとに連れて行った。
隊員が菜摘に「なぜ怪我をしているのか」を尋ねると、彼女は「私がカッターで切りました」とあっさり答えた。その後、警察が校長室で約40分の事情聴取をしたところ、菜摘は以下のような供述をした。
- 「土曜日に殺そうと準備した」
- 「(運動会の代休の)月曜日に殺そうとしたけれど、バレると思って今日(火曜)にした」
- 「死ぬまで待って、バレないように教室に戻った」
- 「千枚通しで刺すか、首を絞めるか迷ったけど、もっと確実なカッターナイフにした」
- 「左手で目隠しをして切った」
午後4時頃、6年生を除く全児童が集団下校。6年生は午後2時から5か所に分かれ、ひとり約15分程度の事情聴取を受けた。この作業は午後6時頃に終了し、保護者の入場と6年生児童の下校が認められた。
一方、菜摘は佐世保警察署に車で移動し、午後7時頃まで任意で事情聴取を受けた。その後、午後8時30分に事件のことを警察が発表、”小学生が同級生を殺害した” この事件は、世間に衝撃を与えた。午後9時頃には、被害者・怜美さんの父親が記者会見を開いている。
そして、事情聴取を終えた菜摘は、午後10時30分に警察署内の女性職員休憩室で就寝した。
加害者はごく普通の女の子
翌2日、菜摘は午前8時頃に起床し、朝食の弁当を食べたあと任意の事情聴取が再開された。
午後には、佐世保児童相談所と長崎県教育委員会が記者会見を開いた。佐世保児童相談所の所長は、菜摘について「ごく普通の女の子。我々と会話もでき、ごく普通の家庭に育っている。このギャップに驚いている」と感想を述べた。
また、菜摘の状態について、前日は緊張と不安から両手で顔を覆ったり、泣きながら話したりしていたことを明かした。さらに、事件前の菜摘には問題もなく、頑張り屋で成績もよかったことも説明。しかし性格的に、困ってもはっきり『ノー』とも言えないような、「思ったことをうまく表現できていない子」と表現した。
事件については、「インターネット掲示板で嫌なことを書き込まれて、書き込みをやめてほしいというやり取りが2人の間にあった」ことも明かされた。
佐世保児童相談所は、菜摘を家庭裁判所に送致。これを受けて、長崎家庭裁判所佐世保支部は即日、観護措置処分を決定し、その日のうちに佐世保警察署から長崎少年鑑別所に移送された。
「ひとりで悩んで、ひとりで考えた」
6月3日、長崎少年鑑別所で菜摘と弁護士が接見した。少年鑑別所の一人部屋に収容された菜摘は、食事はほとんど残さず、午後10時頃に就寝していた。自由時間には法務技官が差し入れた「赤毛のアン」を読んだという。
「よく考えて行動すればこんなことにならなかった」と話す菜摘に、弁護士が「誰か相談できる人はいなかったの?」と訊くと、「ひとりで悩んで、ひとりで考えていた」と返答した。
「あなたは自分のことをどう思うの」という問いには、はにかみながら「自分は仲間」と答え、どのように仲間なのか掘り下げると、「いろいろな意味で」と答えたという。
菜摘は、警察の事情聴取に「数日前から殺害方法を考えていた」と話し、「怜美さんにはどんな気持ち?」という問いには、「会って謝りたい」と答えた。「あなた自身はこれからどういう人生を送りたいの」と聞くと、「…普通に暮らせればいいんだけれど」と答えた。
弁護士は菜摘の印象について、「非常に幼い。小学6年生なのに4年生ぐらいの印象。この子があんなことを、と非常に意外な感じを持った」とコメントした。ただ、付添人の選任届にサインした文字はしっかりしていて、「表情ほど幼くないのかもしれない」という感想も述べている。
菜摘は「お父さんとお母さんに迷惑をかけた」と話すなど、まったく正常で精神鑑定は不要に感じたそうである。
6月4日午後4時頃、菜摘は鑑別所で両親と面会。「元気にしているか」と父親が尋ねると、終始うつむき加減の菜摘は小さくうなずいた。父親が「毎晩手を合わせて拝むんだよ」と言い聞かせ、面会は終了した。
事件に関する書籍
謝るなら、いつでもおいで(川名壮志・著)
著者の川名壮志氏は毎日新聞記者。被害者の御手洗怜美さんの父親は毎日新聞の佐世保市局長で、川名氏はその部下だった。小さな支局は建物の2階にあり、3階には被害者家族が住んでいた。そんな環境から、川名氏も怜美さんと面識があったが、本作は被害者側に偏らないような公平な内容となっている。
「謝るなら、いつでもおいで」というタイトルは、怜美さんの兄の菜摘に対する ”メッセージ” である。兄は妹の友人である菜摘とも面識があり、表紙の題字もこの兄が書いたものである。
追跡!「佐世保小六女児同級生殺害事件」(草薙厚子 ・著)
「私が本書を書くきっかけとなったのは、
少女が”普通の子”という言い方で世間に伝えられたことへの強い違和感だった。
その違和感を出発点にして、この事件の3つの「なぜ」を追及する取材が始まった。
一つ目は私が感じた違和感の理由を探ること。
二つ目はどうしてこのような不幸な事件が起きたのか、その要因を探ること。
そして三つめが、このような事件を防ぐにはどうしたらいいかを知ることだった。」
(エピローグより)
著者の草薙厚子氏は、元法務省東京少年鑑別所法務教官で、退官後は地方局アナウンサーなどの職を経て、フリージャーナリストになった。
加害者女児(辻菜摘)の生い立ち
辻菜摘は1992年11月21日生まれ。家族は両親と姉、そして同居の祖母も加えて5人で長崎県佐世保市内の山間部で暮らしていた。
菜摘は、ネット上で「ネバダたん」と呼ばれることがあるが、これは「NEBADA」とプリントされた服を着た写真が出まわったためである。
しかし、生命保険会社に勤める父親が1995年頃に脳梗塞で倒れ、一時期は寝たきりの状態となってしまう。その間、母親がパートに出て家計を支えていたが、その後、父親はリハビリを経て社会復帰を果たした。そして自宅で保険代理店を営みながら、おしぼり配達のアルバイトなどもするようになった。
小学校で菜摘はコンピューター研究部やミニバスケットボールクラブに入っていた。だが、小学5年生の3学期には成績悪化を理由に、教育熱心な父親にミニバスケを辞めさせられている。また、”中学生が殺し合いを強いられる” という衝撃的な内容の青春バイオレンス映画・「バトル・ロワイアル」が好きで、何度もレンタルしていたという。
事件後、菜摘のランドセルから、本人が書いた小説がみつかっているが、内容は「バトル・ロワイアル」を模したものだった。その中で「御手洗遥香(みたらいはるか)」という少女が惨殺されるのだが、”遥香” というのは被害者少女のインターネット掲示板でのハンドルネームだった。
菜摘には「まじめでいい子」という印象があり、係活動や授業にも熱心に取り組んでいた。また、学習のみならず、苦手な跳び箱も何度も練習するような努力家だったという。しかし、小学5年生の終わり頃から精神的に不安定になり、ひとりで物思いにふけったり、壁に頭を打ち付けている姿がみられている。
発達障害と診断
菜摘には発達障害の可能性が指摘されている。事件の処置として入所した「国立きぬ川学院」では、アスペルガー症候群と診断されているのだ。そのため些細な事で激昂したり、冗談を本気と捉えてしまうなど、普通の児童がわかる程度の ”暗黙の了解” が理解できず、まわりの児童とも度々トラブルになっていた。
本事件のきっかけとなった出来事(おんぶされて「重い」と言われた)も、そういった菜摘の発達障害が関係している可能性が高い。裁判でも、以下のような人格的特性が指摘されているが、「これらの特性は軽度であり、何らかの障害と診断される程度には至らない」という注釈がついている。
- 対人的なことに注意が向きづらい特性
- 物事を断片的に捉える傾向
- 抽象的なものを言語化することの不器用さ
- 聴覚的な情報よりも視覚的な情報の方が処理しやすい
「国立きぬ川学院」に入所した当初、菜摘には個室があてがわれていたが、少しずつ集団生活に移行していった。入所期間中、問題行動を起こしたり、反抗的な態度を取ることはなかったという。
菜摘は施設内の分校に通い、2008年3月に中学校卒業との扱いとなった。そして、それと同時に「国立きぬ川学院」を退所し、社会復帰を果たしたと言われている。
少年裁判:児童自立支援施設に送致
事件から1週間後の2004年6月8日、長崎家庭裁判所が少年審判を開くことを決定。6月14日には長崎少年鑑別所で出張審判が開かれ、少年事件では異例の精神鑑定を実施することを決めた。(鑑定留置は8月14日までの61日間)
菜摘は両親が遺族へあてた手紙を読み聞かせられた際、大粒の涙を流して「どのように謝っていいのか」と話したという。
8月24日、少年審判の意見陳述が行われた。また、鑑定留置期間が1か月延長され、9月14日までとなった。精神鑑定の結果は、菜摘は「情緒面で同世代に比べて著しい遅れがあるが、障害とみなすべきものではない」とされた。
9月15日、長崎家庭裁判所で最後の少年審判が開かれ、菜摘を児童自立支援施設送致とし、この日から最長2年間、自由を制限して強制的措置を取れる保護処分を決定した。
9月16日午後、菜摘を乗せた車が鑑別所を出発した。長崎空港から飛行機に乗る際には、一般の搭乗開始前に機体最後尾から搭乗。羽田空港に着くと車に乗り換え、栃木県塩谷郡氏家町(現・さくら市)の国立きぬ川学院に午後9時18分に到着した。
菜摘はこの施設で2008年3月の退所までの3年半、問題を起こすことなく過ごしたという。そして、退所後は社会に復帰したとされている。