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島根女子大生死体遺棄事件|未解決の猟奇殺人の意外な結末

島根女子大生死体遺棄事件・矢野富栄 日本の凶悪事件

島根女子大生死体遺棄事件

2009年11月6日、広島県の臥龍山で切断された人間の頭部が見つかる。DNA鑑定の結果、それは10月26日から行方不明になっていた女子大生のものと判明した。
警察は延べ31万人の捜査員を投入するも、容疑者の特定すらできないまま7年の歳月が流れた。
ある時、もう一度不審車両の調査をしたところ、ひとりの怪しい男・矢野富栄が浮上する。彼のデジタルカメラを調べると、なんと犯行の記録が57枚の写真として残されていた。そして、矢野は遺体発見の2日後に事故死していることも判明した…。

事件データ

犯人矢野富栄(当時33歳)
読み:やの よしはる
被疑者死亡で不起訴
犯行種別バラバラ殺人事件
事件発生日2009年10月26日(被害者が失踪)
事件発覚日2009年11月6日(遺体を発見)
犯行場所島根県浜田市
遺体発見臥龍山(広島県北広島町)
被害者数1人死亡
動機不明
キーワード未解決、猟奇殺人

事件の経緯

2009年11月6日の昼過ぎ、広島県北広島町の臥龍山がりゅうざん)の崖下で、キノコ狩りに訪れていた男性が、切断された人間の頭部を発見する。

広島・島根両県警は、翌7日に合同捜査本部を設置、大規模な捜索を行った。その結果、臥龍山で胴体、左足首がみつかった。

平岡都
被害者の平岡都さん

最初に発見された頭部はすぐにDNA鑑定され、平岡都さん(当時19歳)のものと判明する。平岡さんは2009年10月26日、アルバイトの後から消息が不明となり、捜索願が出されていた。

警察が調べたところ、彼女は「イズミ・ゆめタウン浜田」3階のアイスクリームショップのアルバイトを終えて帰る姿が防犯カメラに残されていた。しかしそこから先、平岡さんの住む島根県立大学の寮までの防犯カメラには、彼女の姿は映っていなかった。

アルバイト先から寮までは約2.5Km、人通りが少なく街灯もほとんどない道は、夜になると暗闇に支配されていた。

平岡都さんは香川県坂出市出身で、この年の4月に地元の高校を卒業し、島根県立大学入学のため浜田市にやってきたばかりだった。
バイト仲間によると、この日の平岡さんは、特に誰かと待ち合わせをしているという様子ではなく、そういう話も聞かなかったという。平岡さんはいつもと変わらない、ごく普通の様子だった。

遺体はひどく損傷していた

臥龍山 事件現場
臥龍山を訪れる人に情報提供を呼びかける立て看板

平岡さんの遺体は、犯人によってバラバラにされていた。しかし、損傷はそれだけではなかった。
最初に発見された頭部には、ひどく殴られた跡や、首を絞められた跡があった。そのため顔は鬱血して目も充血していた。

胴体からは、乳房は切り取られ、内臓もえぐり取られ、火で焼かれたような跡も確認された。左大腿骨の一部も、肉がそぎ落とされていて、遺体を見慣れているはずの警察でさえ、正視できない状態だったという。

警察は当初、顔見知りの犯行とみて捜査を開始した。現場付近で何らかのトラブルが起こった形跡がなかったからだ。バイト先のショッピングセンターを出たあと、知り合いの車に乗った可能性を重視していたのだ。

平岡さんが暮らしていた大学の女子寮でも、事情聴取が行われた。しかし、平岡さんは島根に来てまだ半年、人から恨みを買うほど深い人間関係もなく、交際相手もいないようだった。

結果的に、1、2週間後には、「顔見知りの犯行である可能性は低い」と結論付けられた。警察は、次に「犯人は猟奇的な性向をもつ人物」とプロファイリングした。これに沿って、レンタルビデオ店でのホラー映画の貸し出し履歴から猟奇マニアを洗い出したり、動物の解体技術や道具を持つ猟師や林業関係者をリストアップした。

しかしこれらの見立ても見込み違いだったようで、捜査は無駄に長期化してしまうことになる。

慣れない猟奇殺人事件に対し、普段のやり方が通用しないこともあって、捜査員の「思い込み」が捜査の偏りを生んでしまっていた。

7年後、捜査は急展開を迎えた

島根・広島両県警合同捜査本部は、延べ31万人の捜査員を投入するも捜査は進展せず、容疑者の特定すらできないまま、7年が過ぎた。ネットでは ”不気味な未解決事件” として、たびたび話題にあがるようになっていた。

ところが、このまま迷宮入りしてしまうのではと思われた2016年、事件は急展開を見せる

捜査に行き詰っていた警察は、2016年頃からもう一度、Nシステムで不審車両の洗い直しをした。すると、事件発生前後に浜田市内で不審な動きをする1台の車が浮上。その車は、通行記録が残る幹線道路をほとんど通らず、裏道を走っていのだ。
(Nシステム=自動車ナンバー自動読み取り機)

矢野富栄・事故

その車の所有者を調べたところ、名前は矢野富栄(よしはる)(当時33歳)、彼はすでに交通事故死していることがわかった。事故は平岡さんの遺体が発見された2日後、2009年11月8日午後3時過ぎで、現場にはブレーキ痕やスリップ痕もなかった。車はガードレール3カ所に衝突して炎上していた。

矢野は周囲に「墓参りに行く」といって母親と高速に乗り、そして2人とも事故死した。死因は車の炎上による焼死とされる。この日は遺体発見の2日後で、矢野は事件発覚に焦り自殺した可能性も高いとみられている。
矢野は3カ月前に、SNSに「家の近くで墓参りを済ませた」と書いており、高速に乗って墓参りに行く必要はなかった。

【12選】自殺した凶悪犯【自殺未遂も含む】

さらに調べると、矢野には性犯罪の前歴があったため、警察は彼の遺品を精査し、デジタルカメラとUSBメモリから画像を発見した。データはすべて消去されていたが専門部署が復元、それを見て警察は驚くことになる

なんと復元された57枚の写真には、切断前後の遺体や、遺体損壊に使ったと思われる文化包丁、矢野本人の足などが写っていたのだ。

写真に写った背景から、矢野が当時住んでいた益田市内の借家の風呂場で解体した可能性が高いことがわかった。しかし、殺害場所や詳しい犯行日時までは特定できなかった。
ただ、Nシステムの通行履歴では、2009年10月26日に益田市から浜田市に入り、翌27日に益田市に戻っていることから、その間、もしくは益田市へ戻った直後に殺害された可能性が強かった。

島根、広島両県警は2016年12月20日、殺人などの疑いで矢野富栄を容疑者死亡のまま書類送検し、捜査は終結した。

犯人・矢野富栄の生い立ち

矢野富栄

矢野富栄山口県下関市神田町で、タバコ店やクリーニング店を営む両親のもとに生まれた。
のちに弟が生まれ、家族4人で暮らしていた。近隣住民によると、「おとなしい子だった」とあまり印象に残っていない様子だった。

下関市立神田小学校を卒業後、下関市立向洋中学校に進んだ。中学時代は陸上部で、専門は中長距離、3年生の時には部長をしていた。
中学卒業後は、福岡県北九州市門司区にある浄土真宗本願寺派の宗門校・私立鎮西敬愛高校(現在の私立敬愛高校)に進学している。高校時代の同級生によると、真面目で無口、目立たないタイプの生徒だったという。

大学は合格していた防衛大学を蹴って、学校の推薦で福岡県にある国立九州工業大学・夜間部情報工学部に進学している。しかし、バンド活動にのめり込み、その活動に集中するために大学を中退。
その後、2002年に筋肉がこわばるジストニアという難病を患ったことで、演奏に支障をきたすようになり、バンドは解散している。

バンド解散後、矢野は上京したが、東京都杉並区の路上で強制わいせつ事件を起こしている。彼はこの事件も含め、福岡県北九州市と東京都杉並区で計3件の性犯罪を起こし、2004年に懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けた。手口はどれも似通っていて、通りがかりの女性を刃物で脅し、わいせつな行為を強要していた。

刑期を終えると地元の下関市に戻り、2009年5月、住宅設備会社に就職してソーラーパネルの営業をしていた。

2009年、平岡都さんを殺害

矢野富栄の家
この家の風呂場で解体を・・・

2009年10月26日頃、平岡都さんを殺害し、バラバラにしたうえで広島県北広島町の臥龍山に遺体を遺棄。当時は、浜田市に隣接する益田市に住んでいた。

11月6日、平岡さんの遺体の一部が発見され、捜査が開始される。
11月8日、矢野は父親の墓参りの帰り道、山口県美弥市の中国自動車道でガードレールに激突し、車は炎上。母親とともに焼死した。この事故の直前、矢野は知人に「大変なことをしてしまった」と語っていたという。

現場にはブレーキ痕もなく、自殺である可能性も指摘された。しかし遺書などは見つかっておらず、事故か自殺かは永遠に謎である。

捜査本部は当初、平岡さんが車で連れ去られたとみて不審車両の走行歴、それに性犯罪歴を重視していた。前歴のある矢野は、捜査初期段階で捜査線上に浮かんでいたという。
ところが、捜査本部は、猟奇的犯罪であることから、”ホラー映画好き”など表面的なプロファイルによる捜査を優先した。また、遺体の切断状況を踏まえ、解体などにたけた人物の捜査を重視、ソーラーパネルの営業をする矢野は、容疑者リストから外れてしまっていた。

警察は2016年初頭から、性犯罪歴のある人物の洗い直しをする過程で、事件当時益田市に住んでいた矢野が浮上、遺品のデジタルカメラなどから犯行の証拠となる写真57枚を発見した。矢野はこれらを1時間半もの時間をかけて撮影していた。

警察は矢野富栄の犯行と断定、2016年12月20日、殺人などの疑いで矢野は容疑者死亡のまま書類送検された。

犯罪プロファイリング、日本のレベルは?

犯罪プロファイリング」と聞くとアメリカの大ヒットドラマ「クリミナルマインド」を思い出します。

ドラマだとほぼ毎回ドンピシャのプロファイリングで凶悪犯を捕まえるのですが、現実はどれほどの精度なのか気になります。素人でもわかるのは、間違ったプロファイリングをすると、犯人からどんどん遠ざかってしまう、ということです。今回の事件では、まさにそのせいで犯人割り出しに7年もかかりました。
 
日本の犯罪プロファイリングのレベルは意外と高いそうです。日本でこの技術が注目されるきっかけとなったのは、神戸の少年A事件でした。この事件以降、大きく研究が進んだそうです。
イギリスの犯罪プロファイリングの第一人者、デビッド・カンター氏が来日した時、日本のプロファイリング関係者らと懇談、その質の高さに驚いたといいます。そのため、彼は講演用の資料の一部を作りなおしたといいます。

 
しかし、この話を鵜呑みにはできません。おそらくカンター氏は「思ってたよりはレベルが高い」と思っただけかもしれません。実際、日本では凶悪事件は諸外国に比べると少なく、分析が十分できる環境ではありません。「日本の技術は、外国における研究結果のコピーである」、という指摘もあります。日本の国民性や実情に沿った手法を開発しなければ、無意味なものになる可能性もあるわけです。
 
とはいえ、プロファイル技術が高くなるほど凶悪犯罪が増えるのも困ります。
平和な国ならではのジレンマといったところでしょうか。

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