「津山小3女児殺害事件」の概要
2004年9月に発生して以来、長い間未解決だった「津山小3女児殺害事件」。事件から14年後、ようやく逮捕となったのは、過去に同様の殺人未遂事件を起こして服役中の勝田州彦(当時39歳)だった。勝田には「少女が苦しむ姿を見ることで性的に興奮する」という特異な性癖があり、兵庫県内の各地で少女を標的にした暴行事件を何度も起こしていた。勝田は裁判で無期懲役の判決を受け、最高裁でこれが確定している。
勝田の行動半径には、手口の似ている少女殺害事件がいまだ未解決のままで、これも勝田の仕業ではないかとの憶測もある。
事件データ
犯人 | 勝田州彦(当時25歳) |
犯行種別 | 殺人事件 |
犯行日 | 2004年9月3日 |
場所 | 岡山県津山市 |
被害者数 | 1人死亡 |
判決 | 無期懲役 |
動機 | 少女が苦しむ姿を見たかった |
キーワード | (腹部を刺す)自傷行為 |
事件の経緯
2015年5月11日午後4時55分頃、兵庫県姫路市車崎の路上で、中学3年生の女子生徒(当時14歳)がナイフで腹部などを刺される事件が発生した。女子生徒は学校からの帰宅途中、見知らぬ男に「ちょっといい?」と声をかけられた直後にナイフで両腕や胸、腹などを数回突き刺された。
女子生徒が大声で助けを求めたため、男は自転車に乗って逃走。病院に運ばれた女子生徒は、命に別条はなかったものの、全治1カ月の重傷を負った。その後、防犯カメラの映像などから浮かび上がったのは、加古川市に住む無職の勝田州彦(当時36歳)だった。
勝田は2000年に女児6人への腹部殴打、下腹部を触るなどの暴行や強制わいせつの罪で執行猶予付きの有罪判決を受けていた。さらに2009年には兵庫県姫路市・三木市・太子町で小学1年から高校3年の少女5人の腹部をすれ違いざまに殴ったり、ドライバーで突いたりした罪で懲役4年の判決を受けていた。
事件から8日後に逮捕された勝田は、「少女が苦しむ姿を見ることで性的に興奮する」という特異な性癖を供述した。神戸地検は約4カ月間の精神鑑定の結果、「犯行時に責任能力を有していた」と判断し、殺人未遂罪で起訴している。犯行は認めたものの、殺意は否認した勝田だったが、2016年5月、神戸地裁は懲役12年を言い渡し、その後の大阪高裁で懲役10年が確定した。
公判では、勝田が「腹部を刺すこと」に異常に執着していることが明らかにされた。彼は中学時代、いじめを受けたことがきっかけで、自分の腹部を刺す自傷行為に興奮するようになっていた。しかし、2004年9月にやり過ぎて腸を痛め、医者から「これ以上やると重篤になる」と止められた。この時、「自分の腹を刺せないなら女の子を刺したい」と犯行を思い立ったという。
勝田は「いじめを受けたと父に話すと強く叩かれた。母親は取り合ってくれない。自分は寂しかった」と供述している。
服役中に殺人容疑で逮捕
判決を受け大阪刑務所に服役中の勝田に、別の殺人事件への関与が疑われたのは2017年のことだった。その事件とは2004年9月3日、岡山県津山市で小学校3年生の筒塩侑子(つつしおゆきこ)さん(当時9歳)が自宅で殺害され、未解決となっていた「津山小3女児殺害事件」である。
この日の午後3時35分頃、下校してきた高校1年の姉が、1階洋間でうつぶせになった侑子さんに声をかけたが反応がなかった。不審に思った姉が侑子さんに近づき、シャツが血に染まっているのに気付き事件は発覚した。遺体の刺し傷はすべて正面からのものだったが抵抗の跡はなく、死因は「窒息・失血」であることが判明した。
室内に物色された様子はなく、玄関以外はすべて施錠されていた。凶器も発見されず、手がかりがないまま捜査は難航していく。やがて、近隣住民から「ボサボサ髪の若い男が、下校中の女児を見て薄ら笑いを浮かべていた」という目撃証言を得られたが、これにより捜査が進展することはなかった。
こうして14年の月日が流れ、容疑者として浮上したのが当時39歳の勝田だった。勝田は少女を標的にした同様の事件を複数起こしていた。警察は2017年9月頃から服役中の勝田に十数回にわたって任意聴取を行い、自白を引き出すことに成功した。勝田は「歩いている女の子をみつけ、あとをつけた。自宅に侵入して首を絞めた」と供述した。
事件当日、津山で女の子を探そうと考えた勝田は、ショッピングセンターの駐車場に車を停めて周辺を歩いた。すると小学校があり、ひとりで下校する侑子さんを見てあとをつけた。家に着くと鍵っ子であることがわかり、勝田はチャンスだと思った。
勝田は玄関を開け、「すいません」と声をかけ、出てきた侑子さんに時間を尋ねた。それから侑子さんに「今ひとり?」と聞くと「はい」と答えたので犯行を決意したのだ。
供述は二転三転
逮捕前の聴取で、勝田は侑子さんの ”家の間取り” や ”通学経路” に関して正確に把握していた。このことから「供述の信憑性が高い」とみた警察は、2018年5月、逮捕に踏み切った。勝田は、逮捕後の取り調べでも「刺して殺害した」と犯行を認めていたが、数日後には「供述は自分が考えた妄想で、首は絞めたが刺してない」と、殺害については否認に転じた。
だが、精神鑑定の際には、医師に対して「自分がやった」と告白したり、獄中から母親に向けて「侑子さんの首を絞めたのは自分だ」という内容の手紙を書くなど、言い分に一貫性のなさが目立った。
鑑定ではIQ70と診断され、 ”健常者と知的障がい者の中間にあたる境界知能” であることもわかった。しかし、善悪の判断が困難な精神障害については認められず、責任能力があると判断された勝田は、2018年11月に起訴となった。
勝田州彦の生い立ち
勝田州彦は1978年12月31日、兵庫県加古川市平岡町新在家で出生した。家族は両親と姉で、父親は兵庫県警の警察官、母親も兵庫県警の職員だった。勝田のIQは70代であったことが、のちにわかっている。
勝田は中学3年の時、いじめにあったことが原因で自傷行為をするようになった。自分の腹を刺して血が出てくるのを見ると落ち着いたといい、人間関係で過度なストレスがかかると、それから逃れるために自分の腹部を刺すようになった。
中学校卒業後、水泳が得意だった勝田は私立市川高校に推薦で入学。卒業すると海上自衛隊に入隊したが、厳しい規則や集団行動に馴染めず半年足らずで退職した。
その後、大阪外語専門学校キャビンアテンダント・エアライン科に入学し、専門学校卒業後はアメリカに留学した。帰国後は郵便局や運送会社で働くも、人間関係のストレスから長続きしなかった。
やがて、美少女キャラが登場するアニメに熱中するようになり、「女の子が苦しむ様子を見たい」という衝動が強まった。シャツを着たまま自分の腹部を刺し、流れ出る血がシャツを染めていくのを見て「女の子が腹部から血を流して苦しんでいる姿」を想像し、性的興奮を得るようになった。
こうして自傷行為はエスカレートしていき、2004年には自分の腹をナイフで刺して出血が止まらなくなり救急搬送された。この時、腸が傷ついてしまい、医師から「このままでは腸閉塞になる恐れがある」と告げられた。
勝田は「サディズム型ペドフィリア」
勝田は「津山小3殺害事件」を含め、判明しているだけで4つの事件を起こしている。
- 2000年、兵庫県明石市で女児6人に対し、腹部をげんこつで殴ったり、下腹部を触ったりするなどした暴行や強制わいせつの罪で有罪判決(執行猶予付)と保護観察処分を受けた。
- 2004年、津山小3殺害事件を起こしたが、勝田に捜査の手はおよばなかった。
- 2009年、兵庫県姫路市・三木市・太子町で少女5人の腹部を殴るなどした暴行・傷害罪で懲役4年の実刑判決を受けた。
- 2015年、姫路市車崎で女子中学生に対する殺人未遂を起こして懲役10年の判決を受けた。その服役中である2017年9月頃、警察はようやく勝田に辿り着き、十数回にわたる任意聴取の末、自白を引き出した。
勝田の精神鑑定を担当した医師は法廷で、他人に身体的心理的な苦痛を与えることに性的興奮を抱く「性的サディズム障害」と、子供に対して性的興奮を抱く「ペドフィリア(小児性愛障害)」が複合した「サディズム型ペドフィリア」と説明した。
別の殺人に関与?
勝田の住んでいた兵庫県加古川市では、2007年に「加古川小2女児殺害事件」が起こっている。
2007年10月16日午後6時頃、兵庫県加古川市別府町の小学校2年生・鵜瀬柚希さん(当時7歳)が公園から帰宅し、自宅の東側に自転車を置いて家に入ろうとしたその時、何者かに刺されて死亡した。
悲鳴を聞いて家族が駆け付けた時、犯人はすでに逃走していて、柚希さんは「大人の男の人にやられた」と言ったそうである。事件現場は勝田の自宅からわずか数キロの場所であることから、関与が強く疑われたが、現在に至るまで未解決のままである。
たつの市でも殺人未遂事件
また、この事件の前年2006年9月には「たつの市小4女児殺人未遂事件」も発生している。たつの市は姫路市の隣に位置し、姫路市といえば勝田が2015年に中学3年の女子生徒を襲った場所である。
この事件は、兵庫県たつの市内の学習塾前の路上で、小学4年生の女児が身長約170cmの男に刃物で襲撃され、左胸と左腕に負傷を負ったというもの。男は女児の背負ったリュックサックを勝手に触ろうとしたので拒んだところ、態度を豹変させて襲ってきたという。この事件も未解決となっている。
この2つの事件は、どちらも勝田の行動半径内で発生しており、犯行の手口・被害者像などからも勝田犯人説が濃厚である。しかし有力な証拠はなく、その立証には至っていない。
「津山小3女児殺害事件」の裁判
2021年10月6日、岡山地裁で勝田州彦被告の初公判が裁判員裁判で開かれた。直接的な証拠がないため、裁判の争点は勝田被告の自白の信憑性だった。
勝田被告は罪状認否で「絶対やってない。津山市にも現場にも行ってない」と起訴事実を否認し、無罪を主張した。弁護側は冒頭陳述で「自白には犯人しか知り得ない『秘密の暴露』はなく、供述を裏付ける客観的な証拠もない」と説明。実際、勝田被告が現場にいたことを示す物証や凶器とされる刃物も見つかっておらず、「勝田被告は犯人ではない」と訴えた。
勝田の精神鑑定を担当した医師は、犯行に至る誘因のひとつとして、勝田が自傷行為で入院したことをあげ、「自傷行為ができなくなり、性的な快感が得られない抑圧された状況の中で ”犯行への衝動性” が高まったのではないか」と分析した。
自傷行為について、裁判官から「どういうときにやろうと思うのか?」と質問された際、勝田被告は「ふっと思います。やったろかなという感じ」と答えた。
2015年の鑑定時、勝田はIQ76だったが、本事件での鑑定ではIQ70だった。しかし、このことで法的判断が困難な精神障害があるとは認められず、医師は「事件当時も現在も責任能力がある」と証言した。犯罪に至った過程については「被告の人格傾向(異常性癖)によるもの」との診断を下している。
弁護側は、「両親の厳しいしつけと中学時代に受けたいじめによって、心理的な抑圧を受け続けてきたことが、性癖の形成に結びついた」と主張した。
一審判決は無期懲役
2021年11月24日、論告求刑公判にて、検察側は勝田被告に無期懲役を求刑。そして2022年1月6日の判決公判で、岡山地裁判は勝田被告に無期懲役の判決を言い渡した。
裁判長は、勝田被告が取り調べにおいて「女の子を左手で1回、右手で3回刺した」と供述し、実際の傷の状況と整合していたことをあげ、争点になっていた自白の信用性を認めた。そのうえで「見知らぬ男に刺された女の子の恐怖や遺族の悲しみは計り知れない」と勝田被告を非難した。
また、「自傷行為と性的興奮との結びつき」を次のように認定している。(勝田被告は2004年から2015年の服役していない時期は自傷行為を行っていた)
裁判長「被告人はかねてから、自己の腹部をシャツの上からクラフトナイフ等で刺し、これが血に染まるのを見ながら、少女が腹部から血を流しているのを想像して性的興奮を覚え、強い行為を行うという特異な性癖を有していたが、本件前に腹部を刺しすぎて入院し、医師からもう刺すことはできない旨告げられたことから、これ以上自傷が不可能なら、現実の少女の腹部を刺したいと考えるようになり、『好みの女子を探してその腹部を刺そう』と決意して、犯行に及んだ」
弁護側は、判決を不服として即日控訴した。遺族は「死刑に処されるべき」と主張してきたが、判決後は「有罪判決が出てひとまずホッとしている。判決が確定するまで裁判を見守りたい」とコメントを出した。
無期懲役が確定
控訴審初公判は2022年7月11日に開かれた。弁護側は改めて無罪を主張、検察側は控訴棄却を求め、即日結審した。そして7月28日の判決で、広島高裁は「自白の信用性に関する判断は変わらない」として、一審に続いて無期懲役の判決を言い渡した。
裁判長は勝田被告の自白について「実際の状況と矛盾のない一貫した具体的なストーリーを作り上げるには、偶然の重なりがなければならず、被告が虚偽のストーリーを作り出したとは考えがたい」と指摘した。
この判決に対し、勝田被告側は上告するも最高裁は2023年9月7日付でこれを退け、不服とした被告側は異議申し立てを行った。しかし、最高裁は異議申し立てについても9月20日付で棄却を決定、勝田被告の無期懲役が確定することとなった。