スポンサーリンク
スポンサーリンク

トリカブト保険金殺人事件|コナンも驚く?小説並みの時間差トリック

日本の凶悪事件

トリカブト保険金殺人事件

1986年5月20日、沖縄県の石垣島で、新婚の女性が突然苦しみ出し、そのまま息を引き取った。嫌疑をかけられた夫・神谷力(当時47歳)は、この日は別行動だったため「毒殺は不可能」と主張。
しかし司法解剖医の地道な調査で、神谷にも殺害可能であることが判明する。「推理小説の謎解き」のような ”1時間40分の時間差トリック” は、見事に解明されたのだ。
こうして1億8500万円の保険金をだまし取る計画は、ここに崩れ去った。

事件データ

犯人神谷力(当時47歳)
犯行種別保険金殺人事件
犯行日1986年5月20日
犯行場所沖縄県
被害者数1人死亡
判決無期懲役
2012年11月 病死(享年73歳)
動機保険金目当て
キーワードトリカブト

事件の経緯

神谷力(当時47歳)と妻の利佐子さん(33歳)は、結婚して3か月の新婚だった。利佐子さんは結婚前、池袋のクラブでホステスをしており、客として訪れた神谷と恋愛に発展、そのまま結婚したのだという。

1986年5月19日、2人は沖縄旅行のために沖縄県那覇市に到着。翌20日には、ホステス時代の3人の友人も合流し、5人で石垣島に行くことになっていた。

20日午前11時40分、友人3人と那覇空港で無事に合流し、これから石垣島へ、という時だった。神谷は突然「急用を思い出した」と言い出したのだ。仕方がないので、女性4人は予定通り石垣島へ行くことにし、神谷は自宅のある大阪に戻ることになった。

突然苦しみだした利佐子さん

トリカブト保険金殺人事件被害者の利佐子さん
被害者となった利佐子さん

その後、利佐子さんと友人3人は予定通り石垣島に到着、ホテルにチェックインしたのは正午過ぎだった。
ところが、これから楽しもうという午後1時30分頃、利佐子さんは突然体調が悪くなる。大量の発汗、悪寒、手足麻痺で苦しみだした利佐子さんを見て、友人たちは「ただ事ではない」と感じた。そして、すぐに119番した。

到着した救急車で八重山病院に搬送される途中、利佐子さんの容体は急速に悪化、心肺停止に陥ってしまう。病院に到着してからも、懸命な治療が続けられたが、その甲斐もなく利佐子さんは午後3時4分に死亡が確認された。

しかし、治療に当たった医師は「ただの病死ではない」と感じ、警察に通報。友人たちも、那覇市にいる神谷に電話で事情を伝えた。そのため、神谷は急遽石垣島に来ることになった。
到着した神谷は、警察から司法解剖することを伝えられる。難色を示す神谷だったが、警察に説得される形でこれを承諾した。

解剖にあたった大野曜吉・琉球大学医学部助教授は、利佐子さんの死因を、急性心筋梗塞と診断した。
彼は、心臓の一部に”小さなうっ血”を発見したが、内臓には病的な異変は見あたらなかった。また、急死につながる明らかな異常も無かったことから、不審に思った大野助教授は、利佐子さんの心臓血液30ccを保存した。

この判断が、のちに事件解決につながるとは誰も予想しなかった。

一方、友人たちは神谷に対して不信感を抱いていた。3人は、神谷が利佐子さんに何かのカプセルを飲ませているのを見ていたのだ。
東京に戻ったあと、友人たちはそのことを池袋警察に話したが、真剣に捉えてはくれなかった。仕方がないので、友人たちは自分たちでできる範囲で調べてみた。それによって、いくつかのことがわかってきた。

かけられた保険金は1億8500万円

神谷は、出会ってわずか6日で利佐子さんにプロポーズしていた。利佐子さんの気を引くため、大量の贈り物もしていた。また、神谷は仕事が公認会計士と言っていたのにも関わらず、公認会計士名簿には名前が記載されていなかった。

そして何より怪しいのが、利佐子さんが多額の保険に複数加入させられていたことだった。その額はなんと1億8500万円。掛け金が月18万円にもなるこの保険は、利佐子さんが亡くなる20日目に加入したばかり。しかも支払ったのは、たった1回だけだった。

保険会社は、利佐子さんに告知義務違反があったとして、保険金の支払いを保留していた。利佐子さんは以前、神経系の病気で通院歴があったが、それを契約のときに通知しなかったというのだ。

1986年11月、神谷は保険金の支払いを求めて民事訴訟を起こした。神谷は、自分で作成した手記をマスコミに配りはじめ、一審の東京地裁は「告知義務違反は無かった」として、神谷が勝訴した。

次々と暴かれる過去

トリカブト殺人事件
当時の写真週刊誌「FOCUS」の記事

一方、友人たちは神谷の疑惑をマスコミ、新聞社などに訴えかけ始めた。その中で「日刊スポーツ」と「FOCUS」が事件に興味を示し、この疑惑を大々的に報じた。
マスコミが参入したことで、神谷の疑惑は次々と暴露されることになる。

利佐子さんの葬式の参列者に、神谷の関係者は0人だったり、供花の企業名は架空のもので、神谷の自作自演だったことも報道された。

結婚相手は全員死亡

しかし最大の疑惑は、神谷が過去に結婚していた2人の女性に関することだった。驚いたことに、2人はすでに亡くなっていて、利佐子さんも含めて神谷と結婚した女性は全員が死亡するという、異常な事態だったのだ。

神谷の最初の結婚は25歳の時、1965年のことだった。ところが8年後、神谷は別の女性と愛人関係となっている。そんな中、1981年に妻が心筋梗塞のため死亡。この時は、妻には保険金をかけていなかった。

妻が亡くなると神谷は愛人女性と同棲を始め、翌年に結婚。神谷はこの時、自身が受取人の1000万円の保険をかけている。そして、この2度目の結婚も長くは続かなかった。1985年、妻は急性心不全で亡くなり、神谷は保険金1000万円を手にした。

利佐子さんと交際が始まったのは、2人目の妻の死からわずか2ヶ月、さらにその3か月後にはスピード結婚していた。

保険金の裁判は、保険会社が控訴したため2審が開始されたが、ここで事態は急変する。
利佐子さんを検死した大野助教授が、「利佐子さんの死因が、毒物による可能性がある」と証言したのだ。

神谷は、訴訟を取り下げた。

事件の発覚

2種類の毒/トリカブトとクサフグ
トリガブト(上)とクサフグ(下)どちらも猛毒を持っている

利佐子さんが亡くなってから、5年の月日が経ったある日のこと。
1991年6月9日、警視庁は神谷を別の横領事件で逮捕した。その捜査の過程で、5年前の妻・利佐子さんの死が、保険金目当ての殺人であった可能性が浮上。7月1日、警視庁は殺人と詐欺未遂で神谷を再逮捕した。

5年前ということもあり、証拠は無いものと思われていたが、この間も大野助教授は毒物に関する調査・研究を続けていた。その結果、利佐子さんの死はトリカブト毒によるものと突き止めていたのだ。

Bitly

利佐子さんの血液心臓を保存していたことが、ここで功を奏する。これらを東北大学や琉球大学で分析した結果、トリカブト毒のアコニチンが検出され、利佐子さんが毒殺されたのは確実なものとなった。

捜査では、ある花屋が神谷にトリカブトを69鉢売ったことが判明。さらに、神谷が借りていたアパートの大家は、水道代・電気代料金が異常に高い月があったと証言した。
これを受け、警察が部屋を調べた結果、畳からトリカブト毒が検出され、神谷への疑惑は一層強まった。

さらに、神谷にクサフグを1000匹以上売ったという漁師が現れた。警視庁は、琉球大学に保存されていた利佐子さんの血液を、東北大学の協力を得て改めて調べたところ、フグ毒のテトロドトキシンが検出された。

1時間40分の壁

公判で検察は、「トリカブトやクサフグを大量に購入し、その毒を使用して利佐子さんを殺害した」と主張した。しかし神谷は、「トリカブトは観賞用、フグは食品会社を起業するために購入した」と説明し、さらに疑惑については「トリカブト毒には即効性があり、死亡前後に一緒にいなかった自分には殺害できない」と反論した。

これを受け、検察は千葉大学に「カプセルで効き始める時間」の検証を依頼した。結果は、カプセルを2重3重にしても、効果は5分~10分程度遅れるだけだった。

仮に利佐子さんがトリカブト毒で死亡したとすると、神谷は容疑者ではなくなってしまう。神谷は那覇市で彼女たちと別れ、彼女が苦しみだしたのは1時間40分後の石垣島だった。

「トリカブト毒で死んだ」と証明することは、神谷のアリバイを証明することにもなってしまうのだ。

崩された1時間40分のトリック

しかし、このアリバイはまたもや大野助教授によって崩される。

大野助教授は、神谷が2種類の毒を手に入れたことに注目していた。なぜ2種類必要だったのか、その疑問を解くため、彼は研究を重ねていた。そしてこの研究の結果、驚くべきことがわかる

片方ずつなら即効性があっても、2つを同時に服用するとどうなるか?

2つの毒が同時に体内に入ると、互いが毒の効果を打ち消しあう「拮抗作用」が起こり、毒は効かない。しかしフグ毒の効く時間が先に終わると、あとはトリカブト毒の効果だけが残るのだ。

わかりやすくいうと、1時間40分後に「トリカブト毒だけを摂取した状態」を作ることができるということだ。

これにより、時間差トリックは崩れ、神谷が利佐子さんを毒殺することが可能であることが判明した。

1994年、東京地裁は神谷に対し、求刑通り無期懲役の判決を下した。神谷は控訴したが、東京高裁はこれを棄却、その後の上告も2000年2月21日、最高裁が棄却したため、神谷の無期懲役が確定した。

こうして推理小説顔負けのトリックは破れ、事件は解決した。

犯人・神谷力の生い立ち

神谷力

神谷力は、1939年に宮城県仙台市で生まれた。
父親は東北大学の教授で、比較的裕福な家庭で育った。小学3年の時、父親が政治犯として捕まり、その後に母親は愛人を作り、家族は崩壊する。小学5年生の時には、母親が睡眠薬自殺した。このあたりの事情については、神谷自身が手記で説明している。

Bitly
神谷力の手記より

戦後、父は東北大学工学部教授の職を辞して、革新政党の活動に身を投じます。
私が小学3年のとき、父は占領軍の弾圧を受け、いわれのない政治犯として、自由を奪われる身となります。
実母は、教授夫人から一転して貧しい立場に追い込まれ、働きながら私を育てます。母は寂しさから、6歳ほど年下の男性Yに身も心も移しました。
小学5年のとき、講和条約が発効し自由の身となった父は、母を心を込めて説得しますが、母は家庭を捨ててのもとに走ります。ですが、遊びにすぎなかったに、けんもほろろに跳ね返されます。

母が多量の睡眠薬を飲み自宅で深い眠りについていたとき、唇にひび割れしないように脱脂綿に水を浸して母の唇を湿していた私は、東京に働きに出ていた5歳年上の兄が戻ってきて、父と隣室で相談しているのを聞いてしまい、母の自殺がYの無責任さにあることを知り、Yへの怒りが込み上げてきます。
意識が戻ることを心待ちにした私の願いもむなしく、2日ほど苦しんだ母は、私に見守られながら息を引き取りました。兄は外出し、父は台所で夕食の支度をしているときです。
私は涙を一切流していません。涙さえ浮かばぬほど、私は悲傷に打ち拉がれていたのです。

小学6年から中学2年までは、県北にある工場に住み込みで働きながら学校に通った。
中学3年のはじめ、父親義母と暮らすようになる。この義母とは心が通い合ったそうだ。

1955年、仙台市立仙台高等学校入学。1958年卒業、東北大学受験は失敗する。

結婚と職歴、そして犯歴

1959年、東京に転居し、池袋の書店に勤務する。
1961年、音響機器製造会社に入社。1964年、会社は倒産。

————
1965年2月、25歳の時に山下恭子さんと結婚をする。
1972年11月山田なつ江さんと愛人関係になる。
————
1973年、空調機器製造販売会社入社。1977年、経理部副部長となる。
1981年、食品会社(株)ヘルシー設立準備を始める。
————
1981年7月、妻・恭子さんが心筋梗塞で死亡
1982年10月、愛人のなつ江さんと結婚する。
1985年9月、2人目の妻・なつ江さんが急性心不全で死亡保険金1000万円を手に入れる
1985年11月10日、池袋のクラブで、ホステスとして席に着いた工藤利佐子さんと出会う。
1986年2月10日、知り合って3ヶ月で、利佐子さんと結婚する。
1986年5月20日、結婚後3ヶ月で、利佐子さんを殺害
————
1986年12月、自転車部品製造販売会社・S社に入社。1990年、S社を依願退社する。
1991年6月、S社での業務上横領容疑で逮捕される。
1991年7月1日、殺人と詐欺容疑で逮捕される。

2000年2月21日 、無期懲役が確定。服役。
2012年11月、大阪医療刑務所で病死。(享年73歳)

なお、神谷には5歳年上の兄がいて、皮肉なことに冤罪事件の救援活動をしていた。
神谷は、その兄に裁判中助けを求めたが、「君は信じられない」と断られたという。神谷はこれをマスコミの報道を信じたせい、と手記で語っている。

事件を解明した大野曜吉さん

大野曜吉さん
時間差トリックを見破った大野曜吉さん

大野曜吉さんの経歴

推理小説のトリックさながらの謎を解明したのは、当時、琉球大学助教授をしていた大野曜吉さんだった。
大野さんは、利佐子さんの死に疑問を持ち、血液や心臓を保存していた。これがなければ、事件は完全犯罪となっていた可能性が高い。

さらに、死因にトリカブト毒を疑い、時間差のトリックも見事に解明し、事件解決の立役者となった。
大野さんはその後、日本医科大学の教授になり、2019年3月に退職している。

タイトルとURLをコピーしました