「船橋18歳少女殺害事件」の概要
2015年4月、「卒アル返さないから殺す」という信じ難い事件が発生した。湯浅成美(当時18)は、幼なじみの少女が卒業アルバムを返さず、さらに貸した金も返さないままホストに貢いでいることに激怒。知人の井出祐輝(当時20)に相談して、少女を生き埋めにする計画を立てた。
井出は中野翔太(当時20)にも協力させ、3人は少女を拉致。そして、用意した穴に少女を横たわらせ、生きたまま土砂をかけて窒息死させた。この鬼畜のような犯行に、湯浅成美は「計画の詳細は知らなかった」と主張するも退けられ、3人全員に無期懲役が確定した。
事件データ
犯人1 | 湯浅成美(当時18歳) 無期懲役:栃木刑務所 |
犯人2 | 井出祐輝(当時20歳) 無期懲役 |
犯人3 | 中野翔太(当時20歳) 無期懲役 |
犯行種別 | 強盗殺人事件 |
殺害日 | 2015年4月20日 |
犯行場所 | 千葉県船橋市 |
被害者数 | 1人死亡 |
動機 | 卒アルを返さないから |
キーワード | 生き埋め |
事件の経緯
湯浅成美(当時18)と野口愛永さん(当時18)は、幼なじみで高校も一緒だった。野口さんは高校を1年で中退するが、その後も付き合いは続き、一時期は成美の実家で一緒に暮らすほどの仲だった。
ある日、野口さんは路上で客引きされたことがきっかけで、ひとりのホストに舞い上がってしまう。それからは会いたい一心でホストクラブに通い詰めるようになり、多額の金が必要になった。短期間で効率良く稼ぐことを考えた野口さんは、風俗店で働くようになるが、18歳の野口さんが夜の仕事をするには「写真付きの身分証明書」が必要だった。
運転免許証を持っていない野口さんは、中学校の卒業アルバムを身分証明書の代わりに提出した。だが、野口さんはあちこちの風俗店の ”体験入店” で稼いでいて、前の店に卒アルを提出したまま無断ですぐに次の店に移ることをくり返した。そのため卒アルは返却されず、次の店で働くために「別の友人から卒アルを借りては返さない」ことが多くなった。
やがて、野口さんによる ”卒アル被害者” が増えていくが、野口さんが音信不通になると、苦情は仲の良かった成美のもとに集まることとなった。ほかにも野口さんは、複数の友人から洋服や化粧品なども借りたままで、成美はそれに加えて金銭も貸していた。
生き埋めにすることを決意
ある時、成美は「野口さんがホストの記念日に100万円のシャンパンタワーをやる」という話を聞きつけ激怒する。自分たちが貸した金は返さず逃げているのに…と考えると、成美の中で憎悪が膨らんでいった。
「本当に連絡取れなくて、取れたらキレる。警察に捕まる覚悟でやっちゃう」「卒アル返さないしマジやる。中途半端にやって警察にバレると嫌だから殺す」成美は怒りにまかせて肉体関係のあった知人・井出裕輝(当時20)に ”野口さんへの報復” について相談した。
これを受け、井出は成美と ”野口さんを捕まえ、現金を奪った上で殺害する” という計画をたてた。4月18日夜、井出は仕事仲間で友人の中野翔太(当時20歳)に、「人を埋められる場所はないか?」「埋める前に殺すのと生きたまま殺すのどっちがいいか」などと持ちかけた。
この質問に中野は「殺してから埋めると重くなるから、そのまま殺した方がいい」と答えたため、この方法を取ることに決めた。2人は千葉県酒々井町のホームセンターで、拘束用の結束バンドや粘着テープ、口に突っ込むための靴下を購入。それから井出は実家でスコップを調達し、中野に指示して実家近くの畑(千葉県芝山町)に深さ約1mの穴を掘らせた。
中野は以前、井出に借りた携帯で勝手に12万円も使い込んだことがあり、怒った井出からパシリのような扱いを受けるなど、友人でありながら上下関係があった。
翌4月19日早朝、井出が借りたレンタカーで千葉市に移動した2人は、仕事終わりの成美と合流。野口さんが「100万円のシャンパンタワーをやる」と周囲に伝えていたホストクラブの前に駐車し、野口さんが店から出てくるのを待ち伏せた。
この時、井出は「野口さんを後部座席の中央に座らせて逃げ出せないようする」「合図をしたら、両手足を結束バンドで縛る」などの指示を中野に伝えた。本名が知られないよう、井出と中野をそれぞれ「ケイ」「ジョン」とあだ名で呼ぶことも決められた。
野口愛永さんを拉致
野口さんは、なかなか店から出てこなかった。すると、成美の友人で東京都葛飾区の鉄筋工の少年(当時16)から「車がパンクした」との連絡が来たため、3人は埼玉県のパーキングエリアに移動し、中野がタイヤの交換をしてやった。少年が井出と中野に会うのは、この時が初めてだった。
その後、レンタカーに井出と中野が、少年の運転する車に成美が乗り、再び野口さんを探しに向かった。一方、野口さんは成美らが埼玉に移動したあと、友人の女性とともに退店して千葉市内のホテルで休憩していた。午後10時頃、野口さんたちがホテルを出て歩いていると、突然車が進路をふさぐように停車し、車内から成美が現れた。
成美は ”卒アルや金を返さない” ことや、”音信不通になっている” ことを非難すると、野口さんは動揺した様子で「携帯の電源が切れてた」「今から仕事があるから」と答えて逃げようとした。しかし成美は引き下がらず、「近くに先輩が近くに来てるから、一緒に話しよう」と野口さんを強引に車に乗せようとした。
成美の強い説得に負け、野口さんは友人と別れて車に乗った。数分後、友人は男友達からの電話で、野口さんに危険がせまっていることを知る。心配になった友人は、野口さんに電話を架けたがつながらなかった。
野口さんの友人は、「(成美が)何が何でも車に乗せようとしていて違和感があった」と話している。また、成美は友人との電話で、「誰にも言うなよ。今から人殺すんだよね」と笑いながら話したという。
車内で”死刑宣告”
成美と少年は野口さんを発見後、井出らと合流。野口さんを含む5人は、井出の運転する車に乗った。この時、野口さんは後部座席の中央で、その左右を成美と中野が挟み込むように座った。中野と少年は、この日まで野口さんと面識がなかった。
車内では成美と野口さんが卒業アルバムのことなどを話していたが、やがて成美が野口さんから携帯電話を取り上げて少年に渡した。井出も「シャンパンタワーと友達のもの、どっちが大事なの」などと詰問したり、勝手に野口さん財布の中を見て「これだけかよ」と言ったりしていた。
すると突然、井出が「準備しろ」と合図を出し、成美と中野が野口さんの手足を結束バンドで拘束。口の中に靴下を入れて粘着テープを巻き、頭に土嚢袋をかぶせた。井出は「耳だけ聞こえるようにしろ」「横に倒せ」などの指示を出していた。
井出が「これからどうなるか教えてやれよ」と言うと、中野は「これからお前は死ぬんだよ」と死刑宣告のように言い放った。それから井手と中野は、野口さんを林に連れて行き強姦。戻ってくると、成美は笑いながら野口さんの体にタバコを押しつける ”根性焼き” をしたり、井出らも殴ったりといった暴行が続けられた。
ひとしきり暴行を終えると野口さんの体を荷台に移し、車は中野が掘った穴のある畑に向かった。途中、スコップなどの道具を取りに井出が実家に立ち寄った際、野口さんが「もう一度、話がしたい」と成美に伝えたが、成美は「話すことはない」と拒否した。
命乞い無視して生き埋めに
2015年4月20日午前0時過ぎ、車は畑に到着。井出と中野が荷台の野口さんを抱えて穴のある場所に向かった。井出は中野に「ちょっとだけ埋めておいて」と指示すると、中野だけを残して他の3人はその場を離れた。
穴の中で膝立ちになり、恐怖で震える野口さんに中野は横になるよう命令。倒れた野口さんの体に土砂をかぶせていった。野口さんは、「殺さないで。死にたくない」と泣きながら命乞いをしたが、中野は静まりかえる周辺の民家に聞こえるのではないかと心配になった。
犯行の発覚を恐れた中野は焦り、声が聞こえなくなるよう井出の指示に反して顔が見えなくなるまで土をかぶせていった。こうして、午前0時半頃までに野口さんは生き埋めにされ、窒息死により殺害された。
井出・成美・少年の3人が現場に戻った時、すでに埋め終えたことを知った井出は「もう埋めたのか。鬼だな」と、おどけたように言った。それから埋めた場所にスコップを刺して「届かないか」と笑ったり、地面を農具でならして葉っぱをかけるなど、発覚を防ぐ工作もした。この時、井出は「俺もやりたかったのに」と残念そうだったという。
犯行を終えたグループは車で帰宅した。その途中、誰かが少年に野口さんの携帯を川に捨てるように言い、少年はその通りにした。野口さんから奪った現金は、成美が1万円、井出と中野が2千円ずつの分配にした。井出は「この仕事、2千円かよ」とぼやいていたという。
犯行を自慢して事件発覚
犯行グループは、野口さんを生き埋めにしたことを周囲に喜々として吹聴していた。
- 【湯浅成美】犯行後の午前5時頃、友人に電話で、「生き埋めにした。めっちゃびびってた。いらだって根性焼きした。私関係ない」などと笑いながら伝えた。
- 【湯浅成美】犯行日の午前10時頃、卒業アルバムを野口さんに貸した別の友人が、電話で成美に「22日に野口さんと会う」と言うと、成美から「もういないよ。畑に埋めてきた」「手足縛って、携帯は川に流した」「うるさくて太ももにタバコ押しつけた。魚みたいに飛び跳ねた」と笑って話し、「誰にも言わないでね」と言って電話は切れた。
- 【中野翔太】犯行日の夕方、友人にメールで「今の俺さ、最強だよ。ここだけの話しさ、人を容赦なく殺せるもん。ちゃんと痛めつけてからね」と喜々として犯行を報告。職場でも「むしゃくしゃしてやった」と話していた。
- 【井出裕輝】犯行翌日、知人に「女の子を殺しちゃった。中野がやった。しばらく会えなくなる」と普通の口調で話した。
彼らは犯行を隠すどころか、方々で自慢げに話していた。この話を聞いたうちのひとりが、犯行翌日の4月21日、「連絡の取れない少女がいて、埋められたという話がある」と千葉県船橋東署に相談したことで事件は発覚した。
警察の捜査が始まると、成美は友人らに「自分が野口さんを逃がしたことにしてほしい」と口裏合わせを頼み、井出は捜査の手から免れるため、「福島で除染の仕事があるから一緒に行こう」と中野を誘うなどしていたという。
4月23日、少年と成美が逮捕され、24日午後には警察に出頭してきた井出と中野も逮捕となった。そして供述により、成田空港に近い千葉県芝山町の畑で野口さんの遺体が見つかった。
犯人グループと被害者について
この事件は、幼なじみの湯浅成美と野口愛永さんによる「金や物の貸し借りトラブル」が発端となっている。借りたまま音信不通を決め込む野口さんに、成美は殺したいほどの憎悪を膨らませた。そして、それを具体的に実行に移したのが井出裕輝と中野翔太である。
中野は井出の言うことに逆らえない立場であったが、被害者の野口さんとは犯行当日まで面識がなかった。にもかかわらず、中野はひとりで野口さんに土砂をかけて生き埋めにした。
当時、成美と交際していたとみられる鉄筋工の少年は、野口さんの拉致監禁には関わったが、殺害については「共謀関係がない」と認定されている。
湯浅成美の生い立ち
湯浅成美は1997年3月生まれ。両親・祖父・弟2人の6人家族で暮らしていた。被害者の野口愛永さんとは幼馴染みで高校も同じだった。成美の家には頻繁に野口さんが遊びに来ており、一時期はこの家で同居していたというほど仲が良かった。
成美は中学時代、ハリーポッター好きな普通の少女だった。所属していたテニス部では、後輩の面倒見もよく、テニスも上手と評判だった。だが、高校に入ると異性との交際が派手になり、深夜に男性のバイクに乗っているところを目撃されたこともあった。
被害者の野口愛永さんとは幼なじみで、高校まで一緒だった。その後も、互いに夜の飲食店勤めだったこともあり、付き合いは続いていた。
被害者の野口愛永さん
野口愛永さんは3人姉妹の長女で、両親と5人暮らしだった。父親は厳格なトラック運転手で、近隣住民によると、家族仲良く出掛ける姿がよく目撃されている。野口さんは子供の頃、 “空手少女” で地元の大会で上位に入賞するほどだった。きちんと敬語も使える礼儀正しい子で、小学生の妹の面倒もよく見ていたという。
だが、野口さんは高校を1年で中退してから変わっていく。服装がどんどん派手になり、ツイッターには次々と変わる交際男性の写真をアップしていた。
そんな野口さんだが、あるホストとの出会いが人生を大きく狂わせてしまう。野口さんはそのホストに路上で客引きされ、すっかり舞い上がってしまった。その後、ホストが在籍するホストクラブに頻繁に通うようになり、生活がどんどん乱れていった。ホストクラブは夜と朝の2部制で、野口さんは深夜から昼近くまで入り浸ることもあったという。
やがて、それが理由で父親と衝突し、18歳になった2014年の年末に家出。翌年2月以降は一度も家に帰っていなかった。野口さんは愛するホストに貢ぐため、ソープランドなどの風俗店がひしめく繁華街、千葉・栄町で、寝る間も惜しんで身体を張って稼いだ。
野口さんはホストに対する一途な思いを、ツイッターに書き込むことがあった。
「お茶。入金できない。るかに会えない。死んじゃいたい」
※ お茶=客がゼロ、るか=ホストの名前(天咲流華?)
貢がれてる側に
貢いでる側の気持ち
分かるわけないし
分かってほしくもない
死ぬ気で働く。
るかの笑顔のため。
それ以外なにもいらない
最低で最悪な事も全部全部
知ってるよ。でもね、それでも
るかを捨てられない。
るかだけいればいいって。
そんなわけないのにね。
でも私が変わっても仲良くして
くれてる今そばにいる人達を
大切にしたいと思ってる。
るかじゃなきゃダメで
るかしか、いらなくて
るかだけが好きで
るかだけだ大切なの。
るかを好きなあたしが好き。
るかを思うあたしが好き。
るかの笑顔歌声笑った顔
怒った顔寝起きの声。
全部全部全部全部好きだよ
野口さんはこの店以外に2つのホスト店に通うほど、ホスト遊びにはまっていた。やがて、膨らんだツケは風俗街で働いても追いつかず、友人たちから借金するように。そのうちのひとりが本事件の犯人のひとりである湯浅成美だった。
井出裕輝の生い立ち
井出裕輝が2歳の時に両親は離婚したため、井出は実家に預けられた。16歳頃から父親と同居を始め、その後、再び別々に暮らすようになった。しかし、父親との交流は続いていたという。
事件当時の井出は無職だが、過去に鉄筋屋で働いたことがあり、その職場で共犯の中野翔太と知り合っている。もうひとりの共犯・湯浅成美とは肉体関係があったが、恋人同士というわけではなかった。
成美は野口さんに激怒していて、それを井出に相談したことで事件へと発展した。
実行犯・中野翔太の生い立ち
中野翔太は幼い頃、両親が離婚して母親は家を出て行った。父親も再婚して子供たちを引き取らなかったため、兄弟3人(姉と弟)は祖母に育てられた。
中学時代は陸上部に所属。学力が著しく低かったため、高校進学はできなかった。逮捕後の精神鑑定でも「軽度の知的障害がある」と診断されているが、その自覚を持ったことはなかったという。
精神鑑定で入院した際、中野は部屋に女優・堀北真希の写真を飾ったり漫画を読むなど、実行犯とは思えないリラックスした態度で、反省した様子はみられなかった。
事件前、中野は携帯電話を料金滞納で止められた際、犯行仲間の井出祐輝から借りた携帯電話で12万円分を使い込んでしまう。その金額分を返すため、食べ物を買いに行かされたり、車を洗車させられたりといったパシリのような扱いを受けていた。
やがて、鉄筋屋の給料をそのまま渡したり、素手や棒で殴られるなどの暴力も受けるようになった。公判では、弁護人が「力関係から犯行への協力を拒めなかった」と主張したが、中野自身は報道機関のインタビューで「パシリはしていたが、友人には変わりなかった」と話している。
裁判:3被告に無期懲役
2017年10月10日 | 中野翔太の無期懲役確定 |
2018年12月25日 | 井出裕輝の無期懲役確定 |
2019年6月3日 | 湯浅成美の無期懲役確定 |
2015年6月4日、千葉地検は井出裕輝と中野翔太を強盗殺人・逮捕監禁罪などで起訴。犯行時、未成年(18歳)の湯浅成美は、強盗殺人・逮捕監禁の非行事実で家裁送致した。
鉄筋工の少年(犯行時16歳)は、強盗殺人については「共謀関係がない」として不起訴、逮捕監禁の非行事実で家裁送致された。(その後、少年院送致)
7月17日、千葉家裁は湯浅成美について検察官送致し、7月24日、千葉地検が強盗殺人・逮捕監禁罪で起訴した。弁護側は強盗殺人罪について「計画性はなく殺意もなかった」と争う姿勢を示し、少年院送致が望ましいと主張していたが、認められなかった。
裁判では、湯浅成美・井出裕輝・中野翔太の3被告全員に無期懲役が確定している。
湯浅成美の公判
2017年1月13日、湯浅成美被告の裁判員裁判が始まった。成美は「殺意はなかった」と主張。弁護側は「殺害計画は他の被告が立てた。(被告人は)畑で何をするのか知らなかった」として、強盗殺人罪の成立を否定した。
検察側は冒頭陳述で「被告人はトラブルのあった被害者の態度に腹を立てた。所持金を奪って殺害しようと考えて井出被告に伝えた」と説明。事件前に ”殺害の計画をうかがわせる言動” がみられる点も指摘した。
1月16日の第2回公判では、控訴中だった中野翔太被告が出廷し、成美に対して「否認しないで、すべての罪を認めて」と述べた。犯行当日、中野・成美・井出の3人はホストクラブ前で被害者を待ち伏せしていたが、すでに退店したことがわかると「(成美は)焦っていた。井出も『もう、埋める穴も掘ったんだよ』と苛立っていた」と話した。
また、成美が穴について問うことがなかったことから「殺害計画を知っていると思った」と話し、「被害者のバッグと携帯電話を奪ったのは成美で、被害者の足を殴ったり、タバコの火を押し付けたりもしていた。笑っていて、楽しんでいる様子だった」と振り返った。
1月19日の第5回公判では成美の友人男性が出廷し、事件当日の夜、成美が電話で「今から人を殺す」と話したが、「冗談だと思った」と述べた。
この日は、成美の中学時代の同級生の男性も出廷。成美から事件後「(被害者を)殺した」と聞かされたと証言した。状況を話す成美の口調は軽く、「やってしまった、という感じではなかった」と振り返り、反省している様子は「なかった」と答えた。埋めたと言うので「お前がやったの?と聞くと『頼んだ』と言っていた」と述べた。
殺害計画知らなかったと主張
1月23日の第6回公判で、成美は「(被害者が)埋められたと確信したのは逮捕されてから」と述べ、「半信半疑。あり得ないと思ったし、考えたくなかった」と当時の心境を話した。その後、「私も何かされるんじゃないかと思い、(井出と)連絡を取らなかった」と述べた。
殺害計画については、「聞かされていなかった」と説明、「(貸した)卒業アルバムがある場所に行ってくれるんだと思った」として、殺意や計画性などを否定した。
事件前、少女が友人に「中途半端にやって警察に言われたら困るから、最後までやる。殺す」などと明かしたとされる点については「そのときは、捕まってもどうでもいいと思っていた」とした上で「殺すとは言っていない」と否定した。
第7回公判(2017年1月24日)で、成美は「遺族にこういう謝罪をしよう、という具体的なものは何もないのか」と問われると、「はい」と即答。「自分は価値観が狂っているので、立ち直って今回の事件が重大なことだと理解するまで何も言えない」とし、今は「自分のことでいっぱいいっぱい」とはっきりした口調で答えた。
また、「(他人に)暴行することには抵抗がない」と断言し、自分の改善点として「人の痛みが分からない」「感情をコントロールできない」といった点を挙げた。
成美の主張は通らず無期懲役
2017年1月25日の論告求刑公判で、検察側は無期懲役を求刑。2018年2月3日、千葉地裁は無期懲役を言い渡した。裁判長は「被害者に多大な苦痛や絶望を与え、非情で悪質。厳しい非難は免れない」と非難。計画を知らなかったとする主張には「遅くとも犯行直前には、具体的に認識していた」と指摘した。
さらに「井出らが被害者を殺害するかもしれないと認識しながら、それならそれでも構わないと考えた」として、未必の殺意があったと判示。「強盗殺人の成立は免れない」とした上で「犯行を主体的・能動的に行い、重要な役割を果たした」と結論付けた。
その後、控訴するも2018年12月11日に棄却、2019年6月3日には最高裁が上告を棄却したため、湯浅成美被告の無期懲役が確定した。
中野翔太の公判
2016年11月11日、中野翔太被告の裁判員裁判が千葉地裁で始まった。中野は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
検察側は冒頭陳述で、井出に誘われて犯行に加わったが、生き埋めの穴を掘ったのも、実行したのも中野だとして、「残虐かつ計画的な犯行で、動機は身勝手。犯行の重要な部分で自ら手を下している」と述べた。
弁護側は、事件前から中野と井出は対等な関係ではなく、「井出の指示に従い続けた」と主張した。
11月15日の第3回公判で、中野は「バレると思い、焦って全部(土を)かけた」と述べた。一方、検察側は犯行後に中野が友人に「人を容赦なく殺せる」とメールしていたことも明らかにした。
中野は、事件前から井出との間に主従関係があり「井出が上だった」と説明。事件前日、井出に「人を埋める場所はないか」と尋ねられた際は「人を殺すのだと思った。手伝えと言っているのだと思ったが、関わりたくなかった」と述べた。
弁護人にはっきり断らなかった理由を問われると「(関与は)嫌だったが(井出に)言いくるめられると思い、断れなかった」と答えた。
弁護人も、犯行以前から車の洗車をさせられたり、木の棒や素手で殴られるなどの暴力振るわれたり、給料を握られていたりといった力関係が井出との間にあり、「協力を断れず犯行に加担した」と主張した。
犯行をひとりで実行した点については「井出に『ちょっとだけ埋めておいて』と言われ、土をかけ始めたら被害者が声を上げた。(周囲に)聞かれるとバレると思い、焦って全部かけた」と説明。さらに、当時は人を埋めることが「あまり重い罪だとは思っていなかった」と述べた。
11月18日の第5回公判で、中野の精神鑑定をした精神科医が出廷。中野には「軽度の精神遅滞がある」とした一方、「集団心理で行動がエスカレートした。精神遅滞がなくても生じ得た犯行」と述べた。
最高裁で無期懲役が確定
11月21日の論告求刑公判で、検察側は「あまりにむごたらしく残虐」として無期懲役を求刑。弁護側は有期刑を求めて結審した。
11月30日の判決公判で、裁判長は「命乞いを無視して生き埋めにしており、残虐というほかない」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。
続けて裁判長は「生きながら土中に埋められた被害者の恐怖や苦しみ、絶望や屈辱は言葉で言い尽くせるものではない」と指摘。動機について「『井出の指示を断ると面倒』というのは安易で身勝手」と指弾した。
また、中野が「井出に支配されて犯行に関与したわけではなく、相当程度、能動的に動いた」と判示し「犯行の主要部分を実行し、不可欠な役割を果たしている」と述べた。知的障害の影響も「限定的なものにとどまる」として、犯行の残虐さなどから「有期懲役が相当とは言えない」と結論付けた。
その後、中野は控訴するも2017年6月8日棄却、2017年10月10日、最高裁で無期懲役が確定した。
井出裕輝の公判
2017年2月13日、井出裕輝被告の初公判が開かれ、井出は「強盗殺人ではない」と起訴内容の一部を否認した。
検察側は冒頭陳述で、井出が「犯行の計画を立てるなど、主導的な役割を果たした」と指摘。中野翔太被告に生き埋めにする穴を掘るよう指示したうえ、中野が女性を埋めたあとは「『俺もやりたかったのに』と残念がった」と述べた。
一方、弁護側は「脅すことが目的だったが、被害者が騒いだために中野被告が殺してしまった」と主張。「被害者が亡くなることは予定外だった」として、”金品を奪い殺害する” 事前計画はなかったとした。井出・中野両被告が「ジョン」「ケイ」という偽名を使ったのも、「被害者を解放後、警察に暴行が発覚しないようにするためだった」として、殺意も否定した。
2017年2月21日の第7回公判で、井出が遺族に向けて書いた謝罪文を、弁護人が代読した。
- 「軽率な気持ちで(湯浅成美に)誘われるがまま手を貸してしまった。被害者さまを助けることなく逃げ出したことを後悔している」
- 「被害者さま、ご遺族さまの人生を変えてしまった。深く反省している。誠に申し訳ありません」
- 「過去の自分を戒め、決別したい。被害者さまの冥福を心よりお祈りしています」
井出は文中で、被害者とその遺族に陳謝したうえで、犯行での主体的な立場を否定した。
この日の被告人質問で井出は、「逮捕直後、罪から逃れたいという気持ちがあり、本当のことを話さなかった」と述べ、検察側から「今もその気持ちがあるのでは」と問われると「今は真実を全てお話ししています」と淡々と答えた。
2月23日の論告求刑公判で、検察側は「犯行を計画して周到に準備し、黒幕として取り仕切った。まれに見る凶悪事件」として無期懲役を求刑。弁護側は「金に困っておらず、殺害の動機がない。強盗殺人罪は成立しない」と主張し結審した。
一審の無期懲役、最高裁で確定
2017年3月10日、井出裕輝被告の裁判員裁判の判決公判が、千葉地裁で開かれた。裁判長は「人間としての尊厳を踏みにじった残虐な犯行。不合理な弁解に終始し、真摯に反省している態度も見られない」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。
事件当時の井出の言動からは「殺害が本気でない」との判断はできず、中野に埋められた被害者を助けようともしなかったことから、「全く想定外の事態であったとは考えがたく、殺害を企図していた」として殺意を認定。さらに、おどけて地面にスコップを突き刺し、中野を非難する言動も一切なかったことから、「想定外の出来事でパニック状態だった」とする弁護側の主張を退けた。
井出は控訴したが、2018年3月1日、東京高裁は一審の無期懲役を支持して控訴を棄却。2018年12月25日、最高裁が上告を棄却したため、井出の無期懲役が確定した。