姫路2女性殺害事件
「失踪した23歳の娘を探してほしい」と、両親が兵庫県警姫路警察に相談したのは2005年1月20日。しかし姫路警察はまともに取り合わず、両親は知り合いのツテで兵庫県警に刑事に相談する。
この刑事は容疑者を特定し、姫路警察はせっつかれる形でこの男性宅を捜査。部屋には意識もうろうの少女や血痕を確認していたにもかかわらず、「問題なし」として引き上げていた。そのため、兵庫県警刑事が自ら容疑者と対面。覚せい剤使用が疑われたため、相生警察に通報したことから事件は明るみになる。
犯人の高柳和也(当時39歳)は、失踪女性とその友人を殺害、バラバラにして海などに遺棄していた。事件後、姫路警察は不誠実な対応が問題となり、土下座謝罪に追い込まれた。
事件データ
犯人 | 高柳和也(当時39歳) 読み:たかやなぎ かずや |
犯行種別 | 殺人事件 |
犯行日 | 2005年1月9日 |
犯行場所 | 兵庫県相生市(犯人の自宅) |
被害者数 | 女性2人 |
判決 | 死刑:大阪拘置所に収監中 |
動機 | 口論になり、頭髪をつかまれた |
キーワード | 警察の怠慢、飛松五男、バラバラ殺人 |
事件の経緯
2004年の年末、姫路市の女性・畠藤未佳さん(当時23歳)は、自身の勤める風俗店で、ひとりの男性客と知り合う。彼は「ウエダ」と名乗る28歳の男性で、”資産家の息子”と称していた。
彼女は「ウエダ」を家に連れて行き、両親にも紹介していた。年明けには、2人で和歌山に旅行もしている。
未佳さんは風俗勤務であることを両親には隠していたため、「ウエダ」を彼氏と紹介していた。
しかし、未佳さんは2005年1月9日、突如として失踪してしまう。未佳さんの部屋には現金などが残されており、両親は単なる家出ではないと感じた。
心配した両親は1月20日、姫路警察署に出向いて相談した。だが担当の刑事は「年間1200人もの捜索願が出ているので、相手できない」とまともに取り合ってくれなかった。
両親は飛松五男氏を頼った
1月22日、姫路警察署の対応に失望した未佳さんの両親は、知人のつてで兵庫県警刑事の飛松五男氏を紹介してもらう。両親は、未佳さんが家に連れてきていた「ウエダコウイチ」と名乗る男性のことを、飛松氏に話した。”鉄工所を経営する資産家の息子” というその男性について、不審に思った美佳さんの父親が、男の写真を撮り、車のナンバーを控えていたのだ。
飛松氏はこの情報をもとに調査し、「ウエダコウイチ」の本名が高柳和也(当時39歳)であることや、彼の住所をつきとめた。そして翌29日まで張り込み、そのあとを姫路警察署に託した。
1月29日、姫路警察署員2人は高柳の自宅へ向かった。この時、生活安全課の高井統括係長が1人で家の中に入った。しかし、室内に未佳さんがいなかったうえに、高柳が任意同行に応じなかったことからそのまま引き上げてしまったのだ。
部屋には意識朦朧状態の19歳女性がいたが、高井統括係長はこれを放置した。
その後、未佳さんの両親はこの対応に納得がいかず、再び飛松氏に相談する。そして今度は飛松氏が高柳の自宅に赴いた。高柳と対面した飛松氏は、彼が覚せい剤を使用していることを見抜いてこれを追及。高柳は否定したものの、最終的にはこれを認めたため、午後6時時30分に相生警察署へ通報した。およそ1時間半後に捜査員が駆けつけ、高柳を任意同行。翌日の1月30日に覚せい剤取締法違反により高柳は逮捕された。
捜査員が部屋に入った時、室内はただならぬ状態であった。異臭がただよう部屋には、スタンガンや拘束器具、カーペットには血痕があるのも発見した。さらには意識がもうろうとした別の女性(19歳)を確認したために、これを保護した。
高柳の部屋からは、血のついた美佳さんのネックレスも発見された。
姫路警察の発表
姫路署生活安全課はこの時、未佳さんは風俗で働いていて生きている、そのうち帰ってくる、と両親に説明した。そしてマスコミもそれを報道した。
姫路署生活安全課は根拠もなく「未佳さんは風俗で働いていて生きている」と発表した。
事件発覚後、「風俗店勤務」であることが虚偽と報道されたが、実際は事実だった。未佳さんは、風俗で働いていることを両親には隠していたため、このような報道になったと思われる。
しかしー。
未佳さんは友人の谷川悦実さん(23歳)とともに殺害されていた。兵庫県警は、高柳の自宅から複数の血痕を検出。DNA鑑定の結果、女性2人のものと一致したため、何らかの事情を知っているとみて高柳を追及した。
彼は当初、犯行を否認していたが、逮捕から約2か月半後の4月12日に犯行を自供した。その後の捜査で、4月17日、飾磨港から若い女性の骨盤や肩甲骨などの複数の骨が見つかった。これらはDNA鑑定で2人のものと一致、高柳は5月10日に死体遺棄容疑で逮捕され、5月20日には殺人容疑で逮捕された。
事件の真相
事件の真相はこうだった。
未佳さんと友人の悦実さんは高校時代の同級生で、悦実さんはそのころ専門学校生だった。2人はとある風俗店に勤めていて、高柳はそこの客だった。未佳さんとは2004年12月に店で知り合っている。
高柳は ”鉄工所を経営する資産家の息子” であると嘘をついていた。
知り合った直後から、高柳は未佳さんから高額なブランド品や現金を要求されるようになった。未佳さんは ”暴力団関係者の伯父” の威厳も利用していたとされる。これに高柳は精神的に追い詰められていた。当初、約100万円あった高柳の所持金は、事件後は15万円にまで減っていた。
- 未佳さんに1回会うたびに2万円を渡す約束で、それが5万円になり、最後は10万円に引き上げられた(2万円だけ渡すと「(暴力団関係者の)伯父さんに言いつける」と言われた)
- 一緒に買い物に行き、ブランド品のバッグやアクセサリー、携帯電話、黒いパグ犬の代金約40万円を高柳が支払った
- 2人で行った和歌山旅行で、高柳は10万円を支払った
- 未佳さんから現金40万円を要求されていた(その後、70万円に引き上げられた)
未佳さんと悦実さんは、高柳の家に1週間ほど滞在していたが、2005年1月9日、言い争いから未佳さんが高柳の頭髪を引っ張るなどした。これに激高した高柳はその場にあった鉄製のハンマーで未佳さんの頭部を殴って殺害。さらに、その場に居合わせた悦実さんも、口封じのために殺害してしまう。
そして、2人の遺体をのこぎりや包丁でバラバラに解体し、1月11日~16日の間に姫路市の飾磨港や上郡町の山中などに遺棄した。
なお、被害者の頭部はいまだに発見されていない。
犯行後は未佳さんにメールを送るなどして、自分は無関係であるような偽装をしていた。また、事件後の1月20日頃から逮捕されるまでの9日間、風俗店で知り合った19歳少女を自宅に連れ込み、一緒に覚せい剤に溺れていたという。
姫路警察は土下座で謝罪
2006年1月13日、毎日放送で姫路警察署の署長以下幹部が遺族に土下座して謝罪する様子が放映された。これは遺族側が隠し撮りしていたものである。
両親が初めて捜査を依頼した2005年1月20日以降、誠実な捜査はまったく行われなかった。そのため両親が頼った兵庫県警の飛松五男氏にせっつかれる形で犯人宅を捜査した時も、問題なしとして引き上げていた。だが実際は、「意識朦朧の19歳少女」や「部屋に残された血痕」を確認していたことがわかっている。
そして「未佳さんは風俗で働いていて生きている」と発表したが、実際はこの時点で殺害されていた。事件後、このような不祥事が問題視されて謝罪に追い込まれた。
逮捕に至った過程も、姫路警察の功績ではない。両親に頼まれた飛松氏が、犯人宅を訪れて対面した際、覚せい剤の使用を見抜いたことがきっかけだった。飛松氏は相生警察に通報し、高柳は覚せい剤で逮捕されたのだ。
そして、その後の追及で4月12日、被害者2人の殺害を自供した。最初の逮捕から約2か月半経っていた。
犯人・高柳和也の生い立ち
高柳和也は、犯行時年齢から逆算すると、1965年生まれ。事件当時は相生市に住み、溶接工をしていた。
知的障害があって言語能力も低いことから、少年時代はいじめに遭っていた。地元の定時制高校を中退後、職を転々。2度の離婚歴がある。
2001年には、車を運転中に衝突事故を起こし、主婦(27歳)とその次女(2歳)を死亡させている。この事故で、懲役1年2月の実刑判決を受けた。そして、仮出所から2カ月余りでこの事件を起こした。
取材した記者によると、「知的能力は予想を超えて低い」とのこと。高柳とやり取りした手紙の中で、本人が「IQ63」と書いていて、それは納得させられたという。手紙は、ほとんどがひらがなで、文法もおかしい。読むのに苦労するレベルだったという。(平成監獄面会記/(著)片岡健)
未佳さんとは彼女が勤める風俗店で知り合い、交際が始まった。高柳は自身のことを「資産家の息子」と称していたが、高柳の弁護人は「被害者がそれを信じたはずがない」と主張していた。なぜなら高柳の自宅はかなりのボロ屋で、それをみれば資産家でないことは一目瞭然だからだ。トイレも汲み取り式だったという。
裁判では2013年11月25日、最高裁で死刑が確定した。現在は、大阪拘置所に収監中である。
裁判:第一審・神戸地裁
2005年8月11日の公判で、高柳は「かみそりを持ってきた未佳さんともみ合いになり、とっさにハンマーで殴ったが殺意はなかった。それを目撃した悦実さんには殺意を持ったが、殴ったのは一度だけ」と殺意を否認した。
9月21日の公判で弁護側は、未佳さん殺害について「殺意はなく傷害致死事件」とした。そして、相手が襲いかかってきたもので正当防衛が成立する、と無罪を主張した。
2007年2月21日の公判で、高柳が書いた「遺体の遺棄場所を示した上申書」が証拠として採用された。これをもとに、兵庫県警は3月下旬に相生湾の壺根港を捜索し、頭部以外の人骨片数十個を発見した。DNA鑑定の結果、骨は2人のものと判明した。
高柳は弁護団全員を解任したため、公判は長引いた。
2008年9月16日の論告求刑で検察側は「極めて自己中心的な残忍かつ悪質な犯行で、遺族の処罰感情も極めて強い」とし、「殺意をもってハンマーで多数回、頭部などを殴打したのは明らか」と指摘。
11月18日の最終弁論で、弁護側は「犯行は計画性がなく偶発的だった。死刑は回避すべき」と主張した。さらに「金銭を要求され、もみあいとなりとっさにハンマーで頭を一回殴った」と殺意を否定。悦実さんについては「犯行を目撃され、発覚を恐れハンマーで殴った」と説明した。
高柳は「2人に謝りたい。遺族に深い傷と悲しみを与えて申し訳ない」と謝罪した。
2009年3月17日、裁判長は判決を下すにあたって、次のように述べた。
- 資産家であるという嘘が発覚して口論となり、髪をつかまれたことで激高、犯行におよんだ
- 動機は極めて自己中心的。2人の尊い命が奪われ、結果は重大
- 罪を軽減しようと供述を二転三転させるなど、罪を償う意識が乏しい
- 被害者らの受けた肉体的苦痛はもとより、恐怖感、無念さには想像を絶するものがある
- 被害者がカミソリで襲いかかった形跡はない
- 2人の頭部をハンマーで数回にわたって殴るなど、強い殺意が認められる
- 計画性がないことを、過大に考慮できない
- 犯行は極めて残忍で、凶暴かつ残忍極まりない
- 遺族の処罰感情も厳しい
- 犯行の重大性を真剣に受け入れようとせず、更生の余地は乏しい
そして求刑通り、死刑判決を言い渡した。
控訴・上告するも死刑確定
控訴審:大阪高裁
2010年2月3日の初公判。
弁護側は知的障害が判明したとして、心神耗弱を主張、精神鑑定を申請したが却下されている。
高柳は、「2人の殺害順序が違う」とする、控訴趣意書を提出した。さらに「突発的な犯行で計画性はなかった」とも主張した。
一方、検察側は「いずれも理由がない」と控訴棄却を求めた。
2010年10月15日、大阪高裁は、完全責任能力、殺意ともに認めたうえで、控訴を棄却した。
上告審・最高裁
2013年10月3日の最高裁弁論。
弁護側は「被告には知的障害があり、責任能力に疑問が残る。一、二審は責任能力などの評価を誤り、量刑も重すぎる」と主張した。
検察側は「基礎学力は乏しいが責任能力に問題はない。残忍な犯行で極刑が相当」と訴えた。
2013年11月25日、最高裁は「強い殺意にもとづく残忍な犯行。身元判明を妨ぐため遺体を徹底的して海中に投棄しており、非人間的で残虐。被告は不合理な弁解に終始しており、真摯な反省はうかがえない。計画性がないことを考慮しても、刑事責任は極めて重大」として上告は棄却、死刑が確定した。
高柳和也は現在、大阪拘置所に収監されている。
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