「寝屋川市中1男女殺害事件」概要
2015年8月13日夜、大阪府高槻市で中学1年女子の遺体が発見される。警察は現場の防犯カメラに映った不審車両の所有者・山田浩二を追跡。21日深夜に山田が立ち寄った竹林から、中学1年男子の遺体を発見する。被害者2人は幼馴染みで、犯行前夜から夜通し行動をともにしていた。
山田はこの時、未成年者監禁事件で懲役12年の刑に服し、出所して10か月しか経っていなかった。裁判では第一審で死刑となり、控訴する。
山田は些細なことで自ら控訴を取り下げるが、これはなんとか無効にすることができた。しかし、彼は再び控訴を取り下げてしまう。2度目は有効と判断され、山田の死刑は確定した。
事件データ
犯人 | 山田浩二(当時45歳) 現在は水海浩二 |
犯行種別 | 殺人事件 |
犯行日 | 2015年8月13日 |
犯行場所 | 大阪府寝屋川市、高槻市、柏原市 |
殺害者数 | 中学生男女2人死亡 |
判決 | 死刑:大阪拘置所に収監中 |
動機 | (詳細不明) |
キーワード | 控訴取り下げ |
「寝屋川市中1男女殺害事件」経緯
2015年8月12日午後9時頃、大阪府寝屋川市の星野凌斗くん(12歳)が平田奈津美さん(13歳)に会いに行くと母親に告げて外出した。2人はこの春から寝屋川市立・中木田中学校の1年生になったが、幼馴染でもある2人は仲が良かった。
午後9時半頃、星野くんと平田さんらしき2人が、自宅近くのコンビニエンスストアで目撃されている。2人は夜通し一緒にいたとみられ、翌13日早朝の午前5時9分に京阪・寝屋川市駅前のアーケード商店街を歩いていた。
その後、平田さんは午前6時45分頃まで友人とLINEでやり取りしている。その中で平田さんは友人に「(星野くんと)今から京都へ行く」と送信しているが、実際は京都へは行っていない。
13日午後3時頃には、星野くんが自転車を駐輪場に止める姿が、防犯カメラの映像に残っていた。そしてこれ以降、2人の足取りは途絶えてしまう。
平田奈津美さんの遺体発見
8月13日午後11時半頃、高槻市の物流会社駐車場で「身元不明の少女」の遺体が発見される。
14日午後2時55分頃、平田さんの友人が電話するも、平田さんは出なかった。翌15日午前10時半頃には「みんなが心配している」「何をしているの」などLINEで呼びかけたが、いずれも返答はなく、既読のマークもつかなかった。
その日の夜には平田さんが帰宅しないことを、母親が警察に相談。警察は13日に発見されていた少女の遺体が平田さんだと考え、母親に確認する。だがその際に母親が伝えた特徴が、少女の遺体とは異なっており、警察は当初「同一人物の可能性は薄い」と判断していた。
しかしその2日後、母親が平田さんの服装を訂正したことから、13日の遺体が平田さんである可能性が強まり、身元の特定につながった。
平田さんは13日午後7時頃には、すでに殺害されていたとみられている。
遺体は粘着テープで縛られ、左半身を中心に多数の切り傷があった。司法解剖により死亡推定時刻は午後7時半頃、死因は窒息と判明している。
立ち寄った竹林から星野くんの遺体
平田さんの遺体発見現場では、発見直前の午後10時34分~午後11時10分頃まで不審な車が停車しているのを現場近くの防犯カメラが捉えていた。捜査本部が映像解析した結果、不審車両の所有者が寝屋川市香里新町の山田浩二(当時45歳)であることを特定。山田は過去に未成年者監禁の前科があり、10か月前(2014年10月)に出所したばかりだった。
失踪日の13日午前5時11分と午前5時17分に、山田浩二の軽ワゴン車(三菱・初代eKワゴン)が寝屋川市駅近くを走行するのを防犯カメラが捉えていた。この時間は、2人がちょうど駅前アーケード商店街を歩いていた時間である。
山田は福島県で除染作業員をしていたが、8月12日~16日はお盆休みで大阪に戻っていた。17日~19日は再び福島に戻り、除染作業。そして20日~22日は休みをとり、再び大阪に戻ってきていた。
8月21日午前1時15分頃、大阪府警は大阪市北区の駐車場で山田の車を発見し追跡を開始。山田は大阪市北区の同性愛者専用サウナに7時間半滞在、ここで夜を明かした。
その後サウナを出た山田は、午前中に柏原市の竹林に数分間だけ立ち寄った。捜査員があたりを捜索したところ、少年の遺体がみつかる。
夜になって遺体が星野凌斗くんと確認。星野くんの遺体は死後数日が経過して一部白骨化していた。のちに死因は首の圧迫と判明している。
午後8時20分頃、大阪市城東区の路上で平田さんの死体遺棄容疑で山田を逮捕。山田は平田さんを殺害した13日の昼頃、コンビニで粘着テープを購入しており、これは計画性をうかがわせるものだった。
第三者の犯行に偽装
山田は逮捕当初、「助手席には同乗者がおり、同乗者が平田さんを殴るなどし、知らないうちに死んでいた」「(同乗者の)名前や年齢は言いたくない」などと供述したあと、黙秘に転じた。だが捜査員が複数の防犯カメラを確認したところ、「同乗者」の存在は確認できなかった。
警察は、事件当日2人に接触できた人物は山田以外にあり得ないとして、山田単独による犯行と断定。また、山田の車内から検出した血液が、平田さんのDNA型とほぼ一致した。
山田は、星野くんの着衣のポケットに体液入りの使用済みコンドームを入れるという、偽装工作を行っている。これは「第三者による性犯罪」に見せかけようとしたものと思われる。
このコンドームは大阪市北区にある同性愛者専用サウナから拾ってきたものだという。
山田浩二の生い立ち
山田浩二は1970年(昭和45年)4月4日生まれ。大阪府枚方市香里ケ丘の団地で、両親と5歳年下の妹の4人家族で育った。
山田は少年時代から、家族も含めて評判が悪かったという。
同じ団地の小学校の先輩によると、小学生時代の山田は周囲から嫌われ、いつもひとりだったそうだ。
- 団地内の他人の家に勝手に上がり込んで食べ物を食べる
- 年下の子に突然唾をかける
- 殺した虫を女子に投げつける
- 他の子供の上履きをドブに捨てる
- 突然ハサミを振り回して暴れる
このようなことを日常的にやっており、山田一家が引っ越していった時は「ホッとした」と証言している。また、親の財布から金を盗んだり、スーパーで商品を盗むといった窃盗を度々起こしていた。
山田は少年期に養子縁組で「渡利」姓に改名している。 枚方市立開成小学校小学6年の卒業作文は渡利浩二と記名されている。
中学以降さらに悪く
中学生になると落ち着くどころかさらに悪くなり、「窃盗」や「弱い者に暴行」などをくり返すようになる。そして、このころから本事件を起こす片鱗を見せ始めた。
年下の男の子をしつこく追いかけ回し、同級生を監禁する事件を起こした事もあり、少年鑑別所にも入所している。
同級生からは「変態」と呼ばれ、何を考えているのかわからない不気味な存在として距離を置かれていた。山田は運動も勉強もまったく出来なかったという。
中学卒業後は、進学も就職もせずフラフラしていた。このころからシンナーを始め、不良仲間とつるんでバイクを乗り回すようになる。仲間内で性的な会話になると、山田の話す卑猥な話は「対象が男性」で、自分が同性愛者である事をほのめかしていたという。露骨な表現で仲間は引いていたそうだ。
また、高熱のアイロンを仲間の肌に近づけ、熱がる様子を見て喜ぶといった残虐性もみせていた。
生計は、「麻薬やシンナーの密売」、「繁華街での強盗」などの犯罪行為で立てていた。暴力団組織との繋がりがあったとも報じられている。
山田浩二の前科
山田は2002年2月~3月にかけ、男子中高生ら7人に対するわいせつ目的の監禁事件を起こし、懲役12年に処されている。
2002年3月1日午後8時頃、大阪市西区南堀江1丁目の路上で、自転車で帰宅中の中学3年男子(当時15歳)ら3人に声をかけた。そして自分は警察だと嘘をつき「聞きたいことがある」とタクシーに乗せた。
タクシー内では3人に手錠をかけたり、ナイフで脅迫。その後、拉致現場から約5km離れた京阪・京橋駅近くで2人を解放、別のタクシーに乗り換えて残る1人を守口市内まで連れ回し、後ろ手に手錠をかけて携帯電話などを奪った。(タクシーは事件を連絡しなかった)
2002年3月8日午後10時40分頃、京阪・寝屋川市駅付近で、山田は車から17歳の少年2人に「道案内してくれ」と声をかけた。(市内の公立高校2年生とその友人の無職少年)
2人が後部座席に乗り込むと車中でナイフを見せて脅し、手錠をかけた上で衣服を脱がせて下着姿にして、粘着テープで目隠し、さらに両手足首を縛った。その状態で約4時間連れ回し、摂津市鳥飼上(寝屋川市駅から約4km)で2人を降ろした。
その際、男子高校生の顔に油のような液体をかけ、ライターで点火して軽い火傷を負わせたほか、無職少年にも肩などに軽傷を負わせた。
2002年3月18日午後5時頃、門真市の京阪・古川橋駅前で中学2年男子(当時14歳)ら少年2人へ守口への道案内を頼み、車に乗り込んだ2人に手錠を掛けて小銭・携帯電話などを奪って車内に監禁した。その後、午後10時頃までに2人を解放したが、監禁中に少年らを門真市から守口市や大阪府・奈良県境付近などへ連れ回し、車内でわいせつ行為をした。
2002年3月30日午後10時50分頃、京阪・香里園駅付近で自転車の中学2年男子(当時14歳)に寝屋川市駅への道案内を頼み、少年を後部座席に乗せた。しばらくすると「俺は警察だ。持ち物を調べる」と脅し、手錠をかけた上で現金1,500円・携帯電話を奪い、翌31日午前0時40分頃に寝屋川市田井町の駐車場(拉致場所から約1km)で解放した。少年は服を脱がされ、左太腿をナイフで切り付けられている。
※一連の未成年者監禁事件を起こした2002年当時の名前は、「渡利浩二」だった。
警察は「手口・発生場所・犯人の特徴」に共通点が多いことを踏まえ、犯人は土地勘を持つ男で同一犯の可能性が高いとみていた。
寝屋川署は摂津警察署とともに捜査した結果、容疑者として山田が浮上。寝屋川署は2002年4月3日に逮捕監禁などの容疑で山田を逮捕した。
山田は最終的には強制わいせつ・強盗・銃刀法違反など 8件の事件で起訴され、2003年10月に懲役12年(求刑:懲役15年)の実刑判決が確定。2014年10月に出所するまで徳島刑務所で服役していた。
山田は服役中に獄中結婚している。相手の姓を名乗り、当時の名前は「柴原浩二」だった。
しかし出所する前に離婚、山田浩二に戻っている。
徳島刑務所を出所後、山田は福島県で福島第一原子力発電所事故の除染作業員として働いており、8月12日~16日に盆休みを利用して大阪に戻っていた。その間に本事件を起こしている。
裁判では一審で死刑となり控訴していたが、ささいなことからこれを取り下げた。弁護人の尽力もあってこれは無効とすることができたが、山田は翌年再び控訴を取り下げる。
2度目は撤回できずに死刑が確定となった。現在は大阪拘置所に収監中である。
2020年10月に獄中結婚したことで、結婚相手である女性の姓「水海」に改姓。現在の名前は「水海浩二」である。
山田浩二死刑囚の描いた絵
「第16回死刑囚表現展」(2021年10月23~25日)に出展された山田浩二死刑囚が描いた絵。
タイトルは「すぐに終わるから」”死刑執行の瞬間” を漫画チックに表現している。
裁判員裁判
2018年11月1日の初公判で、山田浩二被告は土下座して遺族に謝罪した。
罪状認否では「殺すつもりはなかった」と起訴内容を否認した。
検察側は冒頭陳述で、山田被告には完全責任能力があると主張。山田被告がスマホで、睡眠導入剤「ハルシオン」の子どもへの効力を検索していたこと、被害者2人の体内から睡眠薬の成分が検出されたことを明らかにした。
さらに、星野くんに窒息死の特徴がみられたと指摘。山田被告は8月13日午後9時頃まで柏原市内に滞在し、少年の遺体を竹林に遺棄したと主張した。
弁護側は、山田被告は2人を商店街で見つけ、家出を心配して声をかけると「遊びに連れて行って」と車に乗ってきたと説明した。
星野くんについては、熱中症などによる体調不良で死亡したと主張。車内で多量の汗をかき、少女の助言で睡眠導入剤を渡したあと、けいれんして息をしなくなったと説明した。
平田さんはその後も「帰りたくない」と話していたが、大きな声を出したので口を押さえ、気付くと手が首にあったとして、いずれも殺意を否定した。死因については「首を圧迫したことで死亡した」と認めた。
カッターナイフで傷つけたことには「生き返らせようと思ってやった」、顔に粘着テープを貼ったことについては「死に顔を見たくなくてやった」と説明した。
2日の第2回公判で、星野くんの母親が「持病はなく、健康に問題はなかった」と証言。平田さんの母親は「あの男(山田被告)は最低です。人間じゃないです」と話した。
矛盾だらけの供述
7日の第4回公判では、熱中症の専門家が出廷。この専門家は、”熱中症に関するデータ” や ”事件当日の大阪府内の気温が、それほど高くなかった” ことを説明した。
そして「星野くんは健康で、夏休み中も屋外で部活動をしていた」「山田被告の車のエアコンは、正常に作動していた」ことなどから、「熱中症の危険性はほぼなく、命に関わるほどの熱中症に罹患した可能性はない」と述べた。
14日の第5回公判で山田被告への被告人質問が初めて行われ、2人を車で連れて行った経緯を説明し、「家まで送るため声をかけた。無理やり乗せたのではない」と述べた。
星野くんについては、車内で大量の汗をかいて動かなくなったと説明した。
15日の第6回公判で精神鑑定をした医師が出廷、山田被告の性格について、「演技的、衝動的で、攻撃性もあった」と指摘。反社会性パーソナリティー障害がみられ、事件に影響したが、治療が必要な統合失調症やうつ病などの精神障害の所見はないとした。
19日の第7回公判で、山田被告が逮捕当初「車内に同乗者がいた」と供述したことについて「当時は頭の中が混乱していた」と述べ、供述が虚偽だったと認めた。検察側が「わいせつ目的で2人に声を掛けたのではないか」との質問には明確に否定した。
20日の第8回公判で山田被告は、「申し訳ありませんでした」と改めて遺族に謝罪。検察側が「過去に起こした未成年者監禁事件のこと」を問うと、「どんな事件かも記憶にない」と述べた。
求刑は死刑
21日の論告で、検察側は遺体を鑑定した医師の証言から、2人の「死因は窒息」で他殺であると指摘。一緒に行動していた山田被告が犯人とした上で、「窒息には数分間首を圧迫し続ける必要があり、殺意があった」と強調した。
続けて「動機は身勝手で、殺害方法も残虐。出会った日に2人を殺害しており、生命軽視の度合いも高い」と述べ、これまでに何度も服役していることから、「犯罪傾向は顕著で更生は困難」と主張。犯行後の状況は「凶器や2人の所持品を廃棄し、第三者の体液入りコンドームを遺体付近に置く”偽装工作”をするなど悪質」と述べた。
また、遺族の処罰感情は峻烈で、「公判では言いたい放題、矛盾に満ちた弁解をし、形だけの土下座パフォーマンスをした」と公判の姿勢を非難。「生命への敬意がみじんも感じられず、”2人殺害” の事件の中でも極めて重い部類。誰もが被害者になり得た事件で、社会に与えた不安は大きい」とも述べ、死刑を求めた。
最終弁論で弁護側は、星野くんは熱中症などの体調不良で急死したとして無罪を求めた。平田さん殺害についても「パニック状態だった」と主張。当時は心神耗弱状態だったと訴え、傷害致死罪にとどまると主張した。
第一審判決は死刑
判決で裁判長は、星野くんの死因について「健康な中学生が突然死するとは考えられない」と指摘。「歯や骨に窒息死の特徴である変色があった」とした法医学者の証言に基づき他殺と判断した。
2人に対する殺意については、窒息死させるには ”首を数分間にわたり圧迫する必要がある” ことから「殺意があったのは明らか」と述べた。
平田さん死亡時の刑事責任能力について「発達障害の傾向はあるが、事件に与えた影響は限定的だった」として完全責任能力を認めた。
計画性については「認定できない」としたが、面識のない中学生2人を次々と殺害したことに「生命軽視の度合いが著しい。”2人殺害” の他の事件と比べても類をみない」と指摘した。
さらに山田被告が12年服役(未成年7人に対する逮捕監禁罪など)した約10か月後に事件を起こしていることから、「犯罪傾向は深化している」と言及。山田被告の公判供述を虚偽と断定し、「罪に向き合っておらず、更生はかなり困難」として死刑が相当と結論付けた。
2度の控訴取り下げ騒動
第一審死刑判決を受けて、弁護側は即日控訴した。しかし、山田被告は2019年5月18日付で、控訴を取り下げてしまう。
原因は些細なことだった。
5月18日、山田被告は「貸出されていたボールペンを、時間内に戻さなかった」ことで刑務官にとがめられる。これに反論したことから”ひと悶着”あり、懲罰処分を食らいそうになった。
山田被告は「懲罰を受けるようなことはしてない」と強く反発。そしてパニック状態になり、その勢いで控訴取り下げをしてしまった、というのだ。
2019年5月30日、弁護側が取り下げ無効を大阪高裁に申し出る。2019年12月17日、大阪高裁【第6刑事部】は、取り下げを無効として控訴審を再開する決定をした。
大阪高裁【第6刑事部】は「死刑判決が命を奪う究極の刑罰である」ことを踏まえ、「(控訴取り下げを)ただちに確定させてしまうことには、強い違和感と深い躊躇を覚える」と説明、取り下げを無効と結論づけた。
この決定に大阪高検が異議を申し立てる。2020年3月16日、大阪高裁【第1刑事部】は、高裁【第6刑事部】の出した取り下げ無効の決定に対し「合理的な根拠を示していない」と指摘。「判断には誤りがあり是認できない」として、審理を差し戻す決定をした。
2度目の控訴取り下げ
この決定に対し、弁護側は23日付で特別抗告。ところが山田被告は3月24日、なんと2度目の控訴取り下げの書面を提出する。だが直後には弁護士の説得を受けて再び「控訴取り下げ無効」を高裁に申し出た。
しかし、最高裁は「大阪高裁【第1刑事部】による審理差し戻し」を支持。11月26日、大阪高裁【第1刑事部】は、「控訴取り下げを有効」とする決定を出した。
山田被告は拘置所職員から「このまま高裁に届けることになるがいいのか」と念を押され、「このままでいい」と返答していた。
こうした経緯を踏まえ、「不備を承知しながらあえて出した。2度目の控訴取り下げであることは軽視できない」と指摘。1回目の取り下げの効力については判断せず、2回目の控訴取り下げを有効と判断した。「拘置所側の措置が不快だったから取り下げたのであって、意思表示の効力に影響を及ぼすようなものとはいえない」とした。
弁護側は11月30日に異議を申し立てた。しかし2021年3月22日、大阪高裁の異議審は、弁護側の異議申し立てを棄却した。
山田被告の手紙に「取り下げの経緯」が正しく記載されるなど、「控訴取り下げがもたらす効果について、十分に理解していた」と指摘。精神障害の影響を疑わせるものもなく、意思表示に誤りはないと判断した。
弁護側は29日付で最高裁に特別抗告した。8月25日、最高裁は「控訴取り下げを有効とした大阪高裁【第1刑事部】決定」を支持、弁護側の特別抗告を棄却した。
こうして山田浩二被告の死刑が、確定することとなった。