「新幹線 無差別殺傷事件」の概要
2018年6月9日、新幹線車内で前代未聞の無差別殺傷事件が発生した。犯人の小島一朗(当時22歳)は新横浜駅を出発した4分後、隣席の女性をいきなり刃物で襲い、それを止めようとした男性を殺害した。一瞬にして車内はパニックとなり、新幹線は最寄りの小田原駅に緊急停車。乗り込んできた警察に逮捕された小島は、抵抗する様子もなかった。
5歳で発達障害を疑われ、社会に適応できなかった小島。最終的に辿り着いた答えが「一生刑務所で暮らす」という信じがたいものだった。裁判では望み通りの無期懲役が下され、小島は万歳三唱したという。
事件データ
犯人 | 小島一朗(当時22歳) |
犯行種別 | 無差別殺傷事件 |
犯行日 | 2018年6月9日 |
場所 | 東海道新幹線「のぞみ265号」12号車 新横浜 → 小田原間を走行中 |
被害者数 | 1人死亡、2人重傷 |
判決 | 無期懲役 |
動機 | (無期懲役で)刑務所に入るため |
キーワード | 発達障害 |
事件の経緯
2018年6月8日、小島一朗(当時22歳)は長野県辰野町のホームセンターで鞘付きのナタと果物ナイフを購入した。これを使う目的はなんと ”殺人” で、ナタを選んだ理由は撲殺との両面を考えてのことだった。
小島は5歳の時に発達障害の疑いを指摘されたが、両親は「そのうち治る」と放置。そのせいか、大人になっても社会に適応できず、どこで暮らしても親族から邪魔者扱いされてきた。やがて「刑務所で一生暮らしたい」との考えに至り、「新幹線で無差別殺傷する」ことで無期懲役刑を受ける計画を立てたのだ。
翌9日の朝、小島はJR岡谷駅に自転車を停め、特急あずさに乗って新宿へ向かった。昼頃に到着すると、事前に調べていたラーメン屋で食事をした。そのまま新宿で時間をつぶし、夜が来るのを待って東京駅へ移動した。
東京駅に着くと、JR東海道新幹線の券売機で、最終便「のぞみ256号」の指定席券を購入。誰でもいいから隣に座った人間を襲い、その後は目についた相手をもう1人、あとは流れに任せようと考えた。座席は被害者の退路を塞ぐため、2人席の通路側を選択した。
改札を抜けるとトイレの個室に入り、ナタを取り出しやすくするなど犯行の準備をした。そして新幹線「のぞみ256号」12号車18番D席に乗り込んだ。午後9時24分、のぞみ256号は定刻通り東京駅を発車。新横浜駅に停車すると大勢が乗り込んできて、空席の目立つ車内は7割近くが埋まった。
この日は日産スタジアムで「東方神起」のコンサートがあり、新横浜から乗り込んだ約880人のほとんどがこの帰り客だった。
小島の隣となるE席(窓側)にはA子さん(当時27歳)が座り、通路を挟んだC席(通路側)にはB子さん(当時26歳)が座った。ふたりともコンサート帰りの客だった。
惨劇は突然始まった
新横浜駅を発車して約4分後の午後9時45分、小島は荷物棚のバッグから鞘を外したナタを取り出し、無言のまま隣のA子さんの首めがけて一気に振り下ろした。突然の衝撃に何が起こったかわからないA子さんだったが、何度目かの攻撃のあと、自分の首をさわって異常事態を知った。手にはべっとり血がついていたのだ。
A子さんの悲鳴で横を見たB子さんは、その光景に凍り付く。若い男が女性に刃物を何度も振り下ろしているのだ。立ち上がって逃げようとした時、後方から来たひとりの男性が小島を止めに入った。
この時、小島と目が合ったB子さんによると、小島の表情からはまったく感情を感じなかったという。
男性は、小島の2列後ろに座っていた梅田耕太郎さん(当時38歳)。3日前から東京出張に来ていて、仕事を終えたこの日は友人とゴルフを楽しみ、「のぞみ256号」で妻の待つ兵庫県尼崎市に帰るところだった。梅田さんは小島の背後から近づいて動きを制止、その隙にA子さんは重症を負いながらも逃げることができた。
その後、梅田さんは小島と激しくもみ合って転倒してしまう。すると小島はB子さんに襲いかかったが、すぐに立ち上がった梅田さんにまたもや邪魔される。こうして2人の女性を避難させた梅田さんに、腹を立てた小島はナタで容赦なく襲いかかった。
あっけなく逮捕
このころには、12号車の乗客は隣の車両に逃げようとパニックになっていた。10号車を巡回していた車掌長も、叫びながら逃げ込んでくる乗客たちを見て異常を察した。流れに逆らい12号車に着いた車掌長は、そこで梅田さんに馬乗りになってナタを振り下ろす小島の姿を目にする。
車掌長は座席の座面を取り外し、それを盾にしてゆっくりと近づきながら小島に声をかけた。だが、小島は意に介さずナタを振り下ろし続けている。やがて疲れたのか、動きを止めた小島は車掌長の顔を見たが特に反応はなかったという。
非常停止ボタンが押された新幹線「のぞみ256号」は、緊急停車したのち再び動き出して小田原駅に向かっていた。車掌長はナタを捨てるよう促したが、小島はそれに従うことはなかった。
午後10時3分、「のぞみ256号」が小田原駅に緊急停車すると、待機していた警察官が乗り込んできた。「手を上げろ、うつ伏せになれ」と警察官に命令された小島は、抵抗する素振りも見せずに応じ、あっけなく逮捕された。12号車の通路は、一面が血の海だったという。
負傷した女性2人は小田原市内の病院に搬送された。梅田さんは、搬送時にはすでに心肺停止となっており、まもなく死亡が確認された。死因は失血死で、胸や肩をはじめ約60ヵ所の傷があった。
小島は取り調べに対し、「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と供述。この時点から、「刑務所に入りたかった」「無期懲役を狙った」などと供述していた。
犯人・小島一朗の生い立ち
小島一朗は、両親の仕事の都合で3歳まで愛知県岡崎市の母方の実家に預けられていた。その後、一宮市にある父方の実家に引っ越し、中学卒業まで両親と年子の姉、(父方の)祖父母の6人で暮らした。
共働きの両親に代わって食事を作る祖母は、小島の分だけ作らないことが度々あったという。生まれた時から一宮で暮らしてきた姉と違い、小島はここに移るまで一度も顔を見せたことがなかった。それにこだわる祖母からは「お前は岡崎の子だ。岡崎の家へ帰れ」と言われ続けた。
小島は5歳の時に発達障害が指摘され、「育てにくい子どもだった」と両親は語る。 小中学校でも、小島は周りとトラブルを度々起こしていた。同級生によると「(怒ると)椅子とかで思いっきり殴ってくる。殺されるんじゃないかと思ったくらい」だったという。
小島は精神的に幼いところがあり、特に中学生になると「体と精神面の差」が開いた。中学2年生までは剣道部に所属していたが、1級に昇級した直後に「部活を辞めたい」と言い出した。父親は反対したものの小島は遅刻をくり返し、最終的には部活に行かなくなった。
中学2年の夏休みの終わり、小島は新学期に水筒が欲しいと訴えたが、姉には新品で自分には中古の水筒を渡されたことで激怒。夜中に寝室のドアをけ破り、包丁と金槌を投げつけてきたという。母親が110番通報し、父親は警察が来るまで息子を押さえつけた。
そして、中学3年生になると「友達がいない」「授業についていけない」という理由で不登校になり、自室にこもってパソコンやゲームに没頭するようになった。
刑務所に入るための殺人
高校入学を機に、小島は母親が勤めていたNPOの自立支援施設に入所した。施設では率先して手伝いをして、職員の指導にも素直に応じた。勉強にも真面目に取り組み、電気工事士など複数の資格を取得している。
定時制高校、職業訓練校を経て2015年4月、埼玉県の機械修理会社に就職。しかし、人間関係のトラブルなどが原因で出血性大腸炎になり入院、約10か月で退社している。
自立支援施設の代表(70代男性)は「自分から話しかけるタイプではないが、人とうまく付き合おうとしていた」と話す。就職が決まった際は、年配の入所者から背広をプレゼントされた。
2016年10月頃、20歳になった小島は、唯一慕っていた岡崎の祖母(母方)の家に身を寄せた。祖母には「こんな生活情けない。でも、また仕事で挫折するのが怖い」「僕はこの世に適応しない」などと本音を打ち明けた。
だが、祖母宅には伯父夫婦も同居しており、伯父は小島との同居に猛反対。暴言や暴力で追い出そうとしたため、小島は自殺をほのめかして家出をくり返すようになる。しかし、そのたびに警察に保護されるなどして戻るのだが、2017年2月〜3月頃には精神的な不調をきたして入院した。
そんな2017年9月のこと。精神科に入院中の小島が、両親に「助けてほしい」という内容の手紙を送った。これをきっかけに話し合いがもたれ、母方の祖母と養子縁組することになった。
その後、新たな就職先を約1カ月で退職した直後の2017年12月、「自由になりたい」と言い残して小島は4度目の家出をする。祖母は自分のキャッシュカードを渡しておいたが、口座からは毎月約10万円が引き出され、2018年4月に残高が底をついた。そして約2カ月の長野県内での野宿生活を経て、2018年6月9日、本事件を起こした。
動機は「刑務所に入るため」。社会に適応しようがしまいが、決して ”拒否されることがない” 刑務所を、小島は安住の地と考えたのだ。
両親との関係
事件の翌日、小島の父親(当時52歳)は報道陣の取材に「一朗君とは今は家族ではない。中学生の頃からほとんど会話はなく、関係は断絶していた。(被害者には)申し訳ない」と話し、まるで他人事のようなコメントには批判が殺到した。
そんな父親の教育方針は「男は子供を谷底に突き落として育てる」というもの。それにくわえて母親も共働きで忙しく、代わりに面倒を見ていた父方の祖母には嫌われ、小島は育児放棄同然の扱いを受けていた。
母親は共産党候補として、市議会議員選挙に出馬した過去がある。
5歳の時に発達障害の一種「アスペルガー症候群」の疑いを指摘されるも、母親は「そんなの大きくなれば治る」と意に介さず、父親も成長が遅いと感じつつも放置した。14歳の頃、自ら病院に行こうとするも、薬代の高さから親は連れて行かなかった。
『発達障害』の著者、昭和大学医学部の岩波明教授は、本事件と発達障害の関連について次のように話している。
「今回の事件を見ていると、必要な時期に適切な愛情を受けて育たなかったということはかなり決定的な気がします。大切に育てると社会的な予後が違う。犯人は、かなり自分に不全感を持っていて、それは親から見捨てられたという感情から来ているものもあったと思います」
「自殺も考えたということは衝動的な感情が内に向いていたということ。それが今回は逆に外に向かい暴発したともいえる。自分の内に向かうものが外へ向く、こうしたスイッチはわりと起こりやすい。今回の事件が発達障害の典型例かというとそうではないが、衝動的な行動パターンを選んでしまうというのは(発達障害の)ひとつの特徴ではあります」
両親からは厚い愛情を受けられず、代わりに面倒を見る父方の祖母にも冷遇され、唯一慕っていた母方の祖母宅では同居の伯父から「出て行け」などの暴言を受けた。そして、安住の地を模索した結果、「刑務所で暮らす」という突拍子もない考えに辿り着いた。
小島は「そのためには何をすればいいか」を逆算して考え、新幹線車内で無差別殺傷を行うことを思いついたのだ。一生刑務所にいられるように「無期懲役刑」を目指し、殺害は2人までという ”軽すぎず重すぎない” 犯罪を計画した。
家族の接見を完全に拒否
逮捕後の2018年6月14日と15日、父親、母親、母方の祖母の3人が小田原署に接見に出向いたが、小島はこれを拒絶。面会室の扉が開き、父親と目が合った瞬間に扉を閉めている。差し入れの下着や、現金3万円の受け取りも同様に拒否した。
そのため、一番心を通わせていた祖母が、7月10日にひとりで接見に行ったが、これも拒否。祖母が送った手紙さえ受け取らないため、警察から破棄していいかと連絡があったという。
公判が始まると、小島は有期刑に減刑されないように遺族への謝罪などは行わず、傍若無人な振る舞いを連発した。望み通り無期懲役が言い渡されると、小島は万歳三唱をして世間をあきれさせた。
梅田耕太郎さんの生い立ち
梅田耕太郎さんは、1979年8月5日、神奈川県横浜市で生まれた。地元では頭がいいことで知られ、社交的で挨拶のできる明るい子だった。
子供の間で仲間外れが起きると「そういうのやめようよ」と注意するような、正義感の強い性格でもあった。小学校時代の梅田さんをよく知る男性は、「見知らぬ女性を守って犠牲になった」と聞いて、彼らしいと感じたという。
小学校を卒業すると、神奈川県が誇る超名門の中高一貫校私立「栄光学園」に入学した。高校時代の同級生は「栄光学園の中でも成績は優秀。単なるガリ勉ではなく、スポーツ好きでバスケットボール部に入っていたり、バンドも組んでいた」と評する。
高校を卒業すると、東京大学工学部に進学。勉強に励みながら、テニスサークルの活動にも精力的だった。東京大学卒業後は、東京大学大学院新領域創成科学研究科に進み、修士課程を経て博士課程の特別研究員となった。
特別研究員とは、「研究費をもらいながら学べる優秀な研究員」のこと。梅田さんは『プラズマ核融合』の研究を進めていて、成果も挙げていたという。
事件当時、外資系の化学メーカー「BASFジャパン」に勤めていた梅田さん。仕事で東京出張した帰りの新幹線車内で、襲われている人を助けようとして命を落とした。(享年38)
大学院時代の友人は、「困っている人を見ると、積極的に手を差し伸べてくれる人。今回の彼の行動も、考えるよりも先に身体が反応したのかも」と話した。
裁判:無期懲役で万歳三唱
2018年7月13日、横浜地検は小島一朗被告の精神鑑定を行うための留置を開始。その結果、「刑事責任能力がある」と判断され、11月19日に殺人罪などで起訴された。
2019年11月28日、横浜地裁で初公判が行われ、小島被告は「殺すつもりでやりました」と起訴事実を認めた。乗客の女性2人に怪我を負わせたことについては「残念ながら殺し損ないました」と言い、梅田さん殺害については「見事に殺しきりました」と述べた。
初公判の当日、小島は許可を願い出ることなく勝手に髪を剃り、懲罰を受けたという。剃髪の途中で制止されたため、頭頂部だけが不自然に短く刈られた状態だった。
髪を剃ったことについて質問されると、小島被告は「刑務所に入りたいという主張に説得力が出ると思った」と答えている。
11月5日の第4回公判では、「無期懲役囚として刑務所に行きたい」という希望を述べた。
動機について「子供の頃から刑務所に入りたかった」「自分で考えて生きるのが面倒くさかった。他人が決めたルール内で生きる方が楽だと思い、無期懲役を狙った」という趣旨の供述をしており、また攻撃対象については「誰でもよかった」と話した。
また、小島被告は「有期刑になれば、出所してまた人を殺します」と述べ、厳罰を求める被害者の調書が読み上げられたときには、笑顔で拍手さえしている。こうして心証を悪くすることで、無期懲役刑の判決が出ることを望んでいた。
被害者や遺族への気持ちを改めて問われても「無期懲役になりたいので謝罪の気持ちは一切ないし、無期懲役になっても謝罪は一切しない。なぜなら、無期懲役は仮釈放があるから。謝罪すると仮釈放されてしまう」と独自の理論を唱えた。
12月18日の判決公判で、横浜地裁は求刑通り無期懲役を言い渡した。すると小島被告は、「はい!控訴は致しません。万歳三唱させてください」「ばんざーい!ばんざーい!ばんざーい!」と、裁判長の制止を無視して、いきなり腕を3回振り上げ、大声で万歳三唱した。
その言葉通り小島被告側は控訴せず、翌2020年1月に無期懲役が確定。現在は横浜刑務所にて刑に服している。
判決後、「無期懲役を望む凶悪犯に無期懲役の判決を下すのは、”褒美を与えるようなもの” ではないか」という意見も散見された。
新幹線の安全対策強化
本事件を受けて、新幹線を運行するJR各社は新幹線の安全対策強化に取り組んだ。
事件の舞台となった東海道新幹線(JR東海)は2018年6月13日、警備員を増員して車内や駅構内での巡回を強化する方針を明らかにした。また、7月25日には防護盾・刺又など防護用具や救急用品を車内に配備し、緊急対応用のグループ通話システムを整備することも発表した。
2019年3月には、東海道新幹線の全列車において警備員が同乗する態勢が実現。JR東日本・JR西日本でも同様の対策に取り組んだ。
一部には「空港と同様の手荷物検査を導入すべき」との声も上がったが、JR東海は「利便性を著しく損なうので導入は難しい」との見解を示している