東尋坊殺人事件
2019年10月18日、ひとりの若者が東尋坊から身を投げた・・・。だが、これは自殺ではなく、殺人事件だった!
自殺の名所を利用して、凄惨な集団リンチの痕跡を消そうとした少年6人と成人ひとり。彼ら犯行グループは果てしない暴行の末、被害者に東尋坊から飛び降りるよう強要したのだ。
しかし、彼らはその日のうちにあっけなく逮捕となる。あまりにひどい暴行の有り様を目撃していた彼らの知人が、通報していたのだ。
注目された判決は、主犯格の少年に懲役19年、ただひとりの成人・上田徳人に懲役10年が言い渡された。
事件データ
主犯 | 小年A(当時19歳)とび職 判決:懲役19年(控訴中) |
共犯1 | 少年B(逮捕時19)アルバイト 判決:懲役10~15年 |
共犯2 | 少年C(逮捕時19)無職 判決:懲役5~10年 |
共犯3 | 少年D(逮捕時17)通信制高校性 判決:懲役6年~12年 |
共犯4 | 少年E(逮捕時17) 通信制高校性 判決:懲役5年~9年6カ月 |
共犯5 | 少年F(逮捕時17)とび職 判決:懲役5年~9年6カ月 |
共犯6 | 上田徳人(逮捕時39)とび職 判決:懲役10年(控訴中) |
犯行種別 | 暴行殺人事件 |
犯行日 | 2019年10月18日 |
犯行場所 | 殺害:福井県(東尋坊) 暴行:滋賀県 |
被害者数 | 1人死亡 |
動機 | 制裁 |
キーワード | 少年犯罪 |
2022年4月1日まで20歳未満は「少年」として扱われ、死刑が確定した場合を除いて実名報道がされなかった。
事件の経緯
2019年9月中旬、滋賀県東近江市の嶋田友輝さん(20歳)は、主犯格の少年A(当時19歳)と知り合った。やがて嶋田さんはAの父方で同居するなど、行動を共にするようになる。
ある時、Aがブラジル人から暴行を受けるという出来事があった。その際、Aは嶋田さんが助けてくれなかったことに、わだかまりを残していた。
さらに10月7日、嶋田さんがコンビニエンスストアで暴力団関係者とトラブルになったが、Aは一緒にいたためにこのトラブルに巻き込まれ、腹を立てていた。
10月8日、Aと嶋田さんは、共犯少年B(当時19歳)とその交際女性Gと一緒に、滋賀県内のカラオケ店に行った。Bは、Aとは以前少し話したことが1度あるだけで、嶋田さんとは初対面だった。
嶋田さんに腹を立てていたAは、午後11時頃、嶋田さんに対して”スパーリング”と称した暴行を始めた。
”嶋田さんのせいで暴力団関係者とトラブルになり、女性Gがそれに巻き込まれている” とAから聞かされたBは腹が立ってきて、A同様に嶋田さんに対する暴行に加わった。
暴行はその場で終わることなく、場所を変えながら10日午前0時頃まで続いている。
9日には石川駅近辺で、A、B、女性Gにくわえ、共犯少年C(当時19歳)、少年D(当時17歳)、少年E(当時17歳)、少年F(当時17歳)の4人も暴行に加わった。嶋田さんは、Aからスパーリング相手を選ぶように言われCを指名したが、嶋田さんと初対面だったCはこれには応じなかった。
さらに、A、B、Dの3人は、10月10日午後1時頃~12日午前3時頃までの間、Aの父方やその他の場所においても暴行をくり返した。
一旦収まった集団リンチ
その後、Aは交際相手の女性から止められ、数日間は嶋田さんへの暴力行為を控えていた。14日には、交際相手に促されて嶋田さんを病院に連れて行き、けがの原因を口止めしつつも、受診させるなどした。嶋田さんは暴行により、肋骨が折れていた。
一旦は収まった嶋田さんへの暴行だったが、10月16日午後10時45分頃、Aの父方にいる時、ある出来事が転機となり再びそれは始まる。
嶋田さんは、トラブルになっていた暴力団関係者との電話で、Aの居場所を教えてしまったのだ。これにAは激怒、その場にいたA、B、D、E、Fの5人は、嶋田さんに対する集団リンチを再開する。
凄惨な殺人リンチが始まる
暴行が近所にバレるのを避けるため、彼らは場所を変えることにした。嶋田さんは自身の車であるプリウスのトランクに詰め込まれ、別の場所に移動した。
移動の途中、CとFも合流した。そして、17日午前0時30分頃~午前1時頃までの間、「奥びわ湖ロッヂ跡地」前の路上においても、彼らは暴行を続けた。
その後、彼らは嶋田さんを “自殺させる” ことにし、「中郡橋」に移動。Aは橋から飛び降りるよう命令したが、嶋田さんは怖がり、飛び降りなかった。人が来ると困るということもあり、これは中止にしてAの父方に戻った。
10月17日午前5時45分頃、Aの父方に戻った後も、A、D、Eの3人は引き続き暴行を加えた。さらに嶋田さんに、裸で踊らせたり、自慰行為をさせるなどもしている。
午後3時頃、Cも合流してリンチに参加。その後、Fや上田徳人(当時39歳)も到着、Bも仕事が終わるとやって来て、暴行に加わった。
Aは他にも知人を呼んでいたが、暴行のひどさに見かねたその知人が通報、10月18日午前3時頃、警察がAの父方にやって来た。
その頃には嶋田さんの顔は、原型を留めていないほどのひどい状態だった。だが、上田が嶋田さんをプリウスに乗せていたため、嶋田さんが発見されることはなかった。
焦り出す極悪少年たち
警察が来たことで、Aらは焦っていた。犯行が警察に発覚することを怖れた彼らは、嶋田さんをBの家に移動させることにした。A、D、E、Fと上田は、嶋田さんを連れてBの家に集合した。
Bの家でも午前8時頃まで、暴行は続いた。Aらは嶋田さんを「今後どうするか」を、本人の目の前で話し合った。それは嶋田さんを生かすか、殺すか、という決断だった。
Bは「嶋田さんを働かせて、金づるにする」ことを提案したが、Aは反対し、殺す場合の方法も検討した。それからAは、「捕まっても人のせいにするな」と言って、その場にいる一人ひとりの具体的な暴行内容を指摘した。結局何も決まらないまま、同じ場所に長居するのは危険と考えBの家を出た。
車3台に分乗したAらは、嶋田さんをトランクに詰め込み、10月18日午前8時30分頃、多賀サービスエリアに到着。しばらくここで滞在し、嶋田さんの処遇についての続きを話し合った。Bは友人に、自分と嶋田さんをしばらくかくまってくれるよう頼んだが、断られてしまった。
最悪な”決定”
ここでも何も決まらないまま、午後2時頃、多賀サービスエリアを出発。その後、プリウスの車内で東尋坊に向かうことが決まった。彼らは、嶋田さんを生かす選択をしなかったのだ。
彼らは東尋坊が自殺の名所であることを利用して、嶋田さんを自殺に見せかけて殺すことにしたのだ。「自分で落ちろよ、あと1時間の命やしな」、Aは嶋田さんに対し、そう言った。
10月18日午後6時10分頃、東尋坊に到着。多賀サービスエリアからは約150kmの道のりだった。
到着すると嶋田さんは車から降ろされ、「はよ歩けや」などと足蹴にされながら崖の上まで移動した。そして、崖の上に立たされた嶋田さんに、BやDは「はよ落ちろや」などと追い詰めた。
長時間の暴行に体も精神状態も限界だった嶋田さんには、抵抗する気力もまったく残っていなかった。嶋田さんは言われるがまま、東尋坊に身を投げた・・・。
嶋田さんは、崖下で頭を強く打ち、死因は脳挫滅だった。遺体は19日午前4時頃、海に浮かんでいるのを発見された。
あっけなく逮捕
嶋田さんを自殺に見せかけて殺し、罪を逃れようとしたこの犯行だったが、そんな幼稚な画策は通用しなかった。17日深夜に彼らの知人が通報して以降、滋賀県警は捜査を続けていたのだ。
犯行を終えて滋賀県に戻った7人は、午後10時30分頃、多賀サービスエリアで滋賀県警に見つかり、事情聴取を受けている。
そして、翌10月19日には、少年6人(A、B、C、D、E、F)と上田徳人は監禁容疑で逮捕された。
暴行の詳細
取り調べでわかった暴行の内容は、凄惨極まりないものだった。
10月8日深夜から始まった暴行は、一旦は中断したものの、16日から再開、18日に殺害されるまで続いた。殴る蹴るだけでも相当ひどいもので、実際、嶋田さんの顔は原形を留めていなかった。葬式では、友人たちにも顔を見せられないほどだった。
しかし、暴行はそれだけではない。怒りに任せた集団リンチというだけではなく、彼らのしたことは「暴行を楽しんでいる」ふしさえあり、それはもう拷問のレベルだったのだ。
- タバコを火が付いたまま鼻にいれる
- フライパンに指を載せ、ハンマーでたたく
- 車で足をひく
- 電動ドライバーを口の中で作動させる
- ハンマーで歯を引っこ抜く
- ライターで背中や手を焼く
判決:7人全員に実刑
上田徳人の裁判員裁判:大津地裁
2021年5月10日 初公判
上田徳人被告は殺人と傷害の罪について「関与していない」と起訴内容を否認した。
検察側は冒頭陳述で、「上田被告は嶋田さんを車に乗せて東尋坊に向かう途中、仲間の元少年らと殺害方法を話し合い、東尋坊の崖から落とすことを決定した」などと指摘し、いずれの罪も成立すると主張した。
弁護側は「上田被告は東尋坊の駐車場で待機し、飛び降りの現場には立ち会っていない。極めて従属的な役割でしかない」などとした。
2021年5月27日 求刑公判
弁護側は「上田被告は、けがを伴う暴行には加わっておらず、元少年らに言われるまま東尋坊まで車を運転したに過ぎない」と、殺人と傷害について共同正犯は成立しないと主張した。
検察側は論告で、「上田被告は、(共犯の)元少年らが嶋田さんを死に追い込んでいく状況を認識しながら東尋坊まで連行した」とし、いずれの罪も成立すると指摘。その上で「(犯行に関わった中で当時)唯一の成人で、元少年らを制止すべき立場だった」と非難した。
論告の前に嶋田さんの母親が意見陳述し、「上田被告は、暴行を受けた友輝と2時間以上2人きりでいて、助けられたのに見殺しにした」と厳罰を訴えた。
2021年6月16日 判決公判
公判では、傷害と殺人の罪について、共同正犯が成立するかが争点となっていた。
裁判長は「嶋田さんを殴るなどしたうえ、共犯者の暴行も黙認した。殺害の意図を知りながら、嶋田さんらを東尋坊まで車で連れて行った」として、いずれも成立を認定。「人を人とも思わない扱いで行動の自由を奪い、嶋田さんを肉体的・精神的に極限まで追い詰めた。酌むべき事情はない」と非難した。
そして求刑通り、懲役10年の判決を言い渡した。これを不服として、上田は大阪高裁に控訴している。
少年6人の判決
・主犯・少年A(長浜市・とび職・犯行時19歳)
判決:懲役19年(控訴中)
裁判長は、少年Aがグループ全体の意思決定をしていたと認定。判決の言い渡し後、「執拗に暴行を繰り返され、どれほど苦しかったか。嶋田さんの絶望感や痛みを想像しましたか。過ちはあまりにも重大かつ深刻で取り返しがつかない」と説諭した。
・共犯・少年B(彦根市・アルバイト・犯行時19歳)
判決:懲役10~15年の不定期刑
・共犯・少年C(彦根市・無職・犯行時19歳)
判決:懲役5~10年の不定期刑
・共犯・少年D(大津市・通信高校生・犯行時17歳)
判決:懲役6~12年の不定期刑
・共犯・少年E(大津市・通信高校生・犯行時17歳)
判決:懲役5年~9年6カ月の不定期刑
・共犯・少年F(多賀町・とび職・犯行時17歳)
判決:懲役5年~9年6カ月の不定期刑
この事件の問題点
凶暴さを競い合う間柄
この犯行グループ、よく見ると出来立てほやほやのグループのようです。
少年Aを中心に見ると、嶋田さんとは約1ヶ月、少年B、C、Fは10日ほどの付き合いです。少年D、Eは後輩ですが、どのぐらいの期間か不明です。少なくとも半分は知り合ったばかりです。
こういう浅い関係性では歯止め役がいないのです。それどころか、「俺はもっとすごいことやるぞ」と競い合うことになりやすい環境だそうです。彼らなりの「いいところ」を見せようという姿勢なのかもしれません。
それゆえ、暴行はエスカレートしたのでしょう。そして行き着くとこまで行って、もう後戻りできなくなったのです。
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件も似たような経過を辿っています。この事件では3人の未成年犯罪者が死刑確定となりました。こちらのグループも知り合って間もない間柄で、競うように被害者に暴行を加えています。