「宇都宮実弟殺人事件」の概要
2005年5月、殺人で無期懲役をくらった男が、その仮釈放中に実弟を殺害、という事件が発生した。
長谷川静央(当時62歳)は、母親の遺産が不当に少ないと思い込み、弟を殺して全て手に入れようと企てる。「仮釈放中に捕まるわけにはいかない」と考えた長谷川は、ホストクラブの同僚に殺害を依頼。5月8日、弟は殺害された。しかし4か月後、2人は逮捕される。
”仮釈放中の再犯”、しかも ”殺人” という点を重く見た司法が、下した判決は死刑だった。
事件データ
犯人 | 長谷川静央(当時62歳) |
事件種別 | 殺人事件 |
発生日 | 2005年5月8日 |
犯行場所 | 栃木県宇都宮市御幸町 |
被害者数 | 2人死亡(本事件で1人、過去にも1人) |
判決 | 死刑:東京拘置所に収監中 |
動機 | 母親の遺産を実弟から奪おうとした |
キーワード | 仮釈放中の殺人 |
「宇都宮実弟殺人事件」の経緯
本事件の犯人である長谷川静央は、過去にも人を殺した前科があった。1976年(昭和51年)12月、当時34歳の長谷川は、勤務先の金の使い込みが発覚しそうになり、経営者を殺害したのだ。
これにより、殺人罪・死体遺棄罪などに問われ、1980年3月、宇都宮地方裁判所で無期懲役判決を受けて服役していた。しかし2003年5月に仮釈放となり、長谷川は埼玉県上福岡市に住むようになった。
まだ服役中だった1993年、長谷川の母親は交通事故で死亡していた。仮出所後、その遺産を実弟の統康さん(当時60歳)から受け取った長谷川だったが、分配が不公平と感じたため、さらに金を要求する。統康さんは、宇都宮市で父親から相続したアパートを経営していたが、その家賃収入のうち、約1000万円を支払うように再三言ってきたのだ。
母親の遺産は、死亡保険金や不動産を分割し、約3000万円分が長谷川に与えられた。このうち、殺人事件の遺族に親類を通じて見舞金を渡し、仮出所後の2003年6月に残りの約1700万円分を長谷川が受け取った。
しかし、これを拒否され続けた長谷川は、財産を全て手に入れようと殺害を決意する。
2005年3月頃から、当時勤めていたホストクラブのホスト数人に、報酬1000万円を示して殺害を依頼した。この話にただひとり乗ってきたのが鈴木克己(当時33歳)で、彼には「報酬を上げるかもしれない」と言ってその気にさせていた。
長谷川は、鈴木を連れて統康さん宅の周辺を下見して、犯行の計画を立てた。そして2005年5月8日夜、鈴木は宇都宮市御幸町の統康さん宅に、無施錠の2階から侵入して待ち伏せる。そして午後10時頃、帰宅した統康さんの胸や背中をナイフで約10回刺して失血死させた。
さらに、鈴木は家にあった現金約3万円を盗み、統康さんの車(2003年式日産サニー)で逃走した。この犯行の間、長谷川は上福岡市の居酒屋に行ってアリバイを作っていた。
第一発見者を装い通報するも…
犯行2日後の5月10日、長谷川は第一発見者を装って宇都宮東警察署に「弟と連絡が取れないので、家を訪ねたら死んでいた」と通報。これを受け、栃木県警は捜査員を動員して、殺人事件として捜査を開始した。
鈴木が逃走に使った統康さんの車は、6月1日になって東武鉄道・春日部駅東口から約200m離れたコインパーキングで発見された。
鈴木は長谷川に報酬を要求したが、長谷川は150万円程度しか払っていなかった。
その後、長谷川は8月12日の夜、横浜市内の洋品店で、経営者に「ピストルと爆薬を持っている」と書いたメモを手渡して脅迫するなどして、神奈川県警に逮捕され、横浜地検が起訴していた。
一方、統康さん殺害の捜査では、鈴木が容疑者として浮上する。そして9月21日、鈴木は栃木県警により逮捕となった。
鈴木は取り調べに対し「統康さんと面識はなかった。殺害は長谷川静央に頼まれた。金に困っていた」と供述。捜査本部は9月30日、長谷川を殺人容疑で逮捕した。長谷川は「ギャンブルなどの遊興費で金がなく、借金もあった」と供述している。
長谷川静央の前科など
長谷川静央は、1942年(昭和17年)8月6日生まれ。
長谷川(当時34歳)は1976年12月、ギャンブルの穴を埋めるため、勤務先である宇都宮市内の乾物店から約2500万円を横領。それが発覚しそうになると、店主(当時49歳)をバットで殴り、タオルで首を絞めて殺害した。
遺体は車のトランクに隠した後、1977年5月に福島県内の山中に埋めた。そして、金は店主が使い込んだようにみせかけようとするも失敗。犯行から13ヶ月後の1978年1月、死体遺棄容疑で逮捕され、ついで殺人でも逮捕された。
1980年3月、宇都宮地裁で無期懲役の判決を受けて服役。そして2003年5月に仮釈放されていた。その2年後(2005年5月)に本事件を起こし、9月に仮釈放が取り消されて受刑者に戻っている。
長谷川は親族を相手取り、きちんとした遺産相続が行われなかったなどとして、7000万円の損害賠償を求めたが、2007年7月23日、宇都宮地裁は「理由がない」として請求を棄却した。
本事件の裁判では、「過去の殺人で無期懲役刑(仮釈放中)にもかかわらず、再び殺人に手を染めた」という点が重くみられ、2008年3月19日、上告を取り下げたため死刑が確定。現在は東京拘置所に収監されている。
長谷川静央死刑囚が描いた絵
「死刑囚表現展 2020」に出品された、長谷川静央死刑囚の作品。完成度の高さが評判になった。
名義は「露雲宇流布(ローンウルフ)」としている。
また、福島瑞穂が行った死刑囚へのアンケートには、次のような回答を寄せている。
長谷川静央「外部交通を妨げる所長や幹部職員の越権行為はとうてい許されるものではありません」「(外部交通に対して)女性友人に、私の書いた小説を出版社に投稿する目的で書いた書信を削除された」
裁判
長谷川静央被告は、2006年1月31日の宇都宮地裁初公判で、起訴事実を全面的に認めた。
長谷川被告は、論告求刑前の公判で、自らの量刑について「極刑をお願いしたい」と述べている。
検察側は論告求刑で「1980年に殺人罪などで無期懲役の判決を受け、20年以上も更生教育を受けたにもかかわらず、仮釈放のわずか2年後に事件を起こした」と指摘した。
さらに、「仮釈放後も生涯をかけて贖罪しなければならないのに、事件の黒幕として行動しており、矯正は不可能。無期刑の受刑者に対し、重複して無期刑に処することは意味がない」と結論づけ、死刑を求刑した。
弁護側は最終弁論で、「無期懲役刑の仮出獄中の再犯だが、必ずしも被告人の矯正不可能さが増したとは言えない」として死刑回避を求めた。
2007年1月23日の判決公判で、宇都宮地裁は長谷川被告に死刑を言い渡した。
裁判長は「遺産の配分が不当であると考え、法的な議論を経ずに弟を殺害した」と非難。”生涯かけて贖罪すべき無期懲役刑” の趣旨に反し、再び殺人を犯したことには「長期の受刑によっても、性癖は改善に至らなかった」と指摘した。
30年前の殺人と今回の殺人は、利欲的で身勝手な動機・周到な計画性など、「強い共通性を認めることができる」と述べ、「矯正可能性は皆無に等しい。さらなる犯罪におよぶ恐れも否定できない」と判決理由を説明した。
最高裁で死刑確定
被告側は控訴するも、2007年8月16日に棄却。上告するも、2008年3月19日、自らこれを取り下げたために長谷川被告の死刑が確定した。
裁判長は、「弟の態度は明らかに不当とは言えない。解決には法的手段を取るべきで、弟を殺害して財産を得ようと考えた動機は、極めて自己中心的で強い非難に値する」と退けた。
現在、長谷川静央は死刑囚として、東京拘置所に収監されている。
共犯で実行役の鈴木克己被告は、求刑無期懲役に対し、2006年6月15日、宇都宮地裁で懲役23年の判決だった。しかし2006年11月13日、東京高裁で一審破棄、懲役30年の判決。2007年2月13日、最高裁で被告側の上告棄却、懲役30年が確定した。