「福岡3女性連続強盗殺人事件」の概要
スナックでの大盤振る舞い・パチンコ・出会い系サイトなど、稼ぎを超える浪費で鈴木泰徳(当時35)は1000万円の借金があった。これは父親が肩代わりしたものの、実家の自動車整備工場はクビ、妻にも愛想をつかされた。やがて鈴木は性欲と金銭欲を満足させるため、強姦・強盗殺人に手を染めるようになる。
2004年12月からの約1カ月間に、鈴木は女性3人を殺害。そして被害者の携帯で出会い系サイトを利用し続けたことから足が付き、逮捕となった。反省の態度が微塵も感じられなかった裁判では、死刑が確定。その8年半後、死刑執行となった。
事件データ
犯人 | 鈴木泰徳(当時35歳) |
犯行種別 | 強盗・強姦殺人事件 |
犯行日 | 2004年12月12日、福岡県飯塚市 2004年12月31日、福岡県北九州市 2005年1月18日、福岡県福岡市 |
被害者数 | 3人死亡 |
判決 | 死刑:福岡拘置所 2019年8月2日執行(50歳没) |
動機 | 性欲を満たすため |
キーワード | 強姦マニア、性欲絶倫 |
事件の経緯
パチンコやスナック通いで身の丈以上に浪費していた鈴木泰徳(当時35)は、自宅を担保に約1000万円の借金を抱えていた。これを知った父親は借金を肩代わりしてくれたが、実家からは勘当された状態となった。実家の自動車整備工場もクビになり、鈴木は運送会社に勤め出した。
その後、性懲りもなく自宅を担保に借金したことから、今度は夫婦関係にも影響が出て、夜も拒絶されるようになる。もともと性欲の強い鈴木は、あろうことか強姦することでその欲求不満を解消しようと考えた。
鈴木は1999年に看護師の女性と結婚し、子供2人にも恵まれていた。にもかかわらず、出会い系サイトなどにも大金をつぎ込んでいた。
1か月間に3人を殺害
第1の殺人
2004年12月12日午後11時40分頃、鈴木は歯科技工士の専門学校に通う久保田奈々さん(当時18)に目を付けた。
鈴木は背後から久保田さんの口を塞いで福岡県飯塚市の公園に引きずり込んだ。そして仰向けに倒れた久保田さんに馬乗りになり、マフラーを両手で引いて首を絞めて気絶させた。それから強姦したあと、さらに強い力でマフラーを絞めて絞殺。通行人に目撃されることを恐れて何も盗らずに逃走した。
久保田さんは長崎県の離島で生まれ、14歳で膠原病を発病。入院しながらも努力を重ねて高校を卒業し、4月からひとり暮らしを始めたばかりだった。この日、久保田さんは友人と会った帰りだった。
第2の殺人
2004年12月31日午前7時頃、北九州市の路上でパート従業員・大中敏子さん(当時62)の胸や背中を包丁で刺して殺害、約6000円入りの財布などが入ったバッグを奪った。
大中さんは、勤め先のスーパーに向かう途中だった。
第3の殺人
3番目の被害者は、2005年1月18日午前5時半頃、福岡市で大手航空会社の子会社勤務の福島啓子さん(当時23)だった。鈴木は近所で納品作業をしており、午前5時~5時40分までの休憩時間内に犯行は行われた。
鈴木は通勤中の福島さんに背後から近づき、口をふさいだ状態で公園に引きずり込んだ。それから顔を殴って仰向けに転倒させ、首を絞めたうえで強姦しようとしたが、通行人に見られることを恐れて断念。腹などを包丁で刺して殺害し、携帯電話や財布(約1000円)が入ったカバン(約45000円)を奪った。
発見した主婦によると、遺体は下着を脱がされていて腹部は血まみれだったという。現場の大井北公園は空港にほど近い場所で車通りは少なく、人家からも離れていた。見通しは悪くないものの、早朝の暗い時間帯なら人がいても気づかない可能性が高かった。
被害者の携帯を使い、逮捕
こうしてわずか1ヶ月の間に3人の女性を殺害した鈴木だったが、事件後は変わった様子もなかったという。特に第3の事件では、わずか40分の休憩時間内での凶行だったが、鈴木は何食わぬ顔で業務に戻っていた。ただ、短期間に3度の車の自損事故を起こして、働き始めたばかりの運送会社は1月22日に退職した。
退職後の 1月下旬、訪れたスナックのママが経営する土木建築会社で雇ってもらえることになった。店を手伝う女の子が、鈴木の子供が通う保育園の保育士だったことで信用を得たのだ。そのため、逮捕時は「土木作業員」と報道されていた。
鈴木は被害者から奪った赤い携帯電話を、スナックなどの人前でも平然と使っていた。この携帯で鈴木は、出会い系やアダルトサイトにアクセスしていたが、これは警察にとっては犯人を特定する大きな手がかりになった。
この被害者の携帯の位置情報から、それを使用する鈴木が容疑者として浮上。2005年3月8日午前1時頃、捜査本部は福岡市で携帯を持っていた鈴木を直方市内で見つけ、占有離脱物横領の現行犯で逮捕した。
捜査本部は3月8日、鈴木の自宅や車を家宅捜索したところ、英会話用のヘッドホンステレオが見つかった。内容は英会話の教材で、客室乗務員を目指していた福島さんが、通勤しながら聞いていたものだった。
当初、事件の関与を否定していた鈴木だったが、福島さんの「携帯電話」や「ヘッドホンステレオ」の物証を示されると、観念したのか自供を始め、3月10日に強盗殺人容疑でも逮捕となった。
鈴木泰徳の生い立ち
鈴木泰徳は、福岡県直方市の南に位置する町で自動車整備工場を経営する家に、長男として生まれた。
鈴木は中学校時代から、女性の下着に執着して窃盗をくり返していた。中学校を出ると、鞍手郡宮田町(現:宮若市)にある公立の農業高校に入学。高校時代の同級生によると、そんなに目立つタイプではなかったとのことだが、冗談が通じなかったりキレやすい印象があったという。
高校卒業後は、自動車関係の専門学校に進み、卒業すると実家の整備工場で働くようになった。1989年頃に車で人身事故を起こし、被害弁済のために消費者金融で借金したことをきっかけに、その後も金を借りるようになった。
事故の翌年(1999年)、鈴木は看護師の女性と結婚、子供2人にも恵まれた。しかし性欲の強い鈴木は、20代半ばから強姦モノのビデオを好んで見るようになる。2003年からは、出会い系サイトで見知らぬ女性とわいせつな内容の会話やメールのやり取りをしていた。
逮捕時、鈴木の自宅からは「強姦モノ」のビデオやDVDが大量に押収されている。
虚栄心の強さが仇となり…
鈴木は虚栄心が強く、繁華街の複数のスナックなどで大盤振る舞いをして、女の子の歓心を得るのが好きだった。店には寿司折りなどのおみやげを持って行き、自分をカッコよくみせようと稼ぎ以上に金を使った。そのため友人や消費者金融から借金を重ねようになり、膨れ上がった借金は約1000万円。
家を抵当にしていたようで、これは父親が肩代わりしてくれるも勘当されてしまい、2004年5月に自動車整備工場もクビになった。だが鈴木はこれに懲りず、その後また自宅を抵当に借金をした。それが2004年9月頃にバレてしまい、今度は夫婦関係も破綻、夜も拒絶されるようになった。
そんなストレスからか、2004年12月12日、最初の事件を起こす。強姦で性欲を満たし、奪った金は生活費にできる、鈴木にとっては一石二鳥だった。そして2004年12月31日には第2の事件を、年明けの2005年1月18日には第3の殺人に手を染めた。
実家の自動車整備工場を辞めたあとは、運送会社に勤めたが、立て続けに車の自損事故を起こして1月22日に退職していた。しかし、1月下旬に訪れたスナックで、鈴木は職を得ることになる。2度目に来店した時、求職中だという鈴木を、ママが直方市内で経営する土木建築会社に雇い入れたのだ。
鈴木は被害者から奪った赤い携帯電話を、スナックなどの人前でも平然と使い、アダルト系サイトにアクセスしていた。この携帯の位置情報から鈴木は容疑者となり、逮捕につながった。
裁判ではあまりの無自覚・無反省ぶりに、遺族のみならず検察官や裁判長からも反感を買った。結果は死刑確定。(2011年3月8日)そして2019年8月2日、死刑執行となった。(50歳没)
同日、大和連続主婦強盗殺人事件の庄子幸一死刑囚も死刑執行されている。
裁判
鈴木泰徳被告は、最初の殺人の殺意については認めたが、それ以外のほとんどを否認した。
- 飯塚市の事件:殺意を認めたが強盗目的を否認 → 検察側は「捜査段階の供述から、強盗目的はあった」と指摘
- 北九州市の事件:「女性ともみ合ううちに転倒し刃物が刺さった」と殺意を否認 → 検察側は「包丁で刺した回数や傷の深さなどから、強固な殺意があった」と指摘
- 福岡市の事件:殺意・暴行・強盗目的のいずれも否認 → 検察側は「傷の状況や犯行態様、当時の生活状況から暴行・強盗目的だった」と指摘
2006年1月26日の公判で、検察官は「3人を殺して無期懲役になるのは虫が良すぎる。今から(死刑を)覚悟しておいた方がいい。こんな事件を社会は許さない」と語った。
公判で鈴木被告は「取り調べに対する不満」を述べることに終始した。裁判長は「君は事件に向き合っていない。被害者の立場で考えることが責任ではないか」「遺族は君の反省の言葉を望んでいる。君が殺したんだよ。遺族は『到底許せない』との気持ちを深めたと思わないか」と声を荒らげ、約10分間説諭した。
検察側は論告で、事件の動機について「経済的な困窮と性的な欲求不満から、強盗と暴行目的で女性を物色していた」と指摘。いずれの事件も「口封じのために殺害した」と述べた。そして「(女性に対して)性や生命への畏敬の念もなく、自らの欲望を満たすために殺害した、凶悪かつ残忍極まりない犯行」と厳しく非難した。
鈴木被告が死刑回避を求めて「若い人に犯罪に走らないよう伝えたい」「命の大切さを伝えるためにも死刑にはなりたくない」などの言い分に対しては、「醜悪極まりなく、常識外れも甚だしい。遺族の怒り、悔しさを増幅させた」と厳しく指弾した。「何の落ち度もない女性を襲った凄惨・冷酷な犯行に酌量の余地は皆無。死刑の適用をためらう必要性など全くない」と述べ、死刑を求刑した。
最終弁論で弁護側は、唯一認めていた飯塚市の事件の ”殺意” をも否認し、「首は絞めたが、殺害目的はなかった」と強盗致死罪の適用を求めた。そして「鈴木被告は被害者に謝罪し、反省しており、更生の可能性はある」と主張した。
鈴木被告は最終意見陳述で、謝罪の言葉を述べる一方、「取り調べでは、捜査側の考えを押しつけられた」「裁判長の質問に、トゲがあるように感じるのは私だけでしょうか」などと、約1時間にわたって捜査や裁判批判を展開した。
一審判決は死刑
2006年11月13日、判決で福岡地裁は鈴木被告に死刑を言い渡した。
裁判長は ”傷跡の状況” や ”凶器の殺傷能力” などから、いずれも「金品を奪い取る目的で、殺意もあった」と強盗殺人罪の成立を認定した。
量刑理由では、「金銭欲などから3人もの女性を殺害した動機に、酌量の余地はない」と指摘。「被害者の携帯電話で出会い系サイトを利用した」ことについては、「被害者への冒涜」と断じた。
鈴木被告は公判中、「捜査官の取り調べに対する不平不満」を述べることに終始したり、「正義の味方面した検察官は許せない」とする文書を福岡県警に送ったりしていた。これらのことについて、「自分の行った行為を見つめ直しているとは言えず、遺族の感情をさらに害した。自己中心的かつ身勝手な考え方や犯罪性向は深まっている」と非難した。
そして、「動機に酌量の余地はなく、殺害方法も凶悪で残忍。被告には反省の態度がなく、遺族の処罰感情は厳しい」「凶悪で残虐極まりない犯行。人間らしい理性もなく、生命をもって償うのが相当」と結論づけた。
控訴・上告も棄却、死刑確定
2007年7月10日の控訴審初公判で、弁護側は鈴木被告が犯行後、”被害者の携帯電話を使い続け”、”凶器の刺し身包丁を捨てずに車中に置き”、”罪の意識もなく生活を送っていた” 点を指摘。「妄想性人格障害か妄想性障害の影響下だった」として、心神喪失か心神耗弱を主張した。
さらには「犯行時、責任能力がないか、著しく欠いた状態だった」とも述べ、精神鑑定を申請したが、裁判長は、精神鑑定の採否について留保とした。
検察側は「著しく不自然・不合理な主張で、到底信用できない」として、控訴棄却を求めた。
11月6日の第3回公判で、裁判長は弁護側が請求していた精神鑑定を却下し、結審した。この日の公判で、遺族は「被告には反省、悔悟が見られない。私の命と引き換えに被告を殺したい」と意見陳述で涙ながらに悲痛な思いを吐露した。
鈴木被告は被告人質問で「『罪を憎んで人を憎まず』と言う。権力が人を許さないと、更生への道を閉ざすことになる」「都合のいいことを言うな、と言われるでしょうが、生きて償う道を私に与えてほしい」と死刑回避を訴えた。
2008年2月7日の判決で、裁判長は「被害者の人格を無視した強固な確定的殺意に基づく、非情かつ残酷な犯行」「目を覆いたくなるほど残虐で、通り魔的犯行として社会を震撼させた。刑事責任は極めて重大で、死刑はやむを得ない」と指摘、被告側の控訴を棄却した。
「極度のストレスで心神喪失か耗弱状態だった」という弁護側の主張に対しては、「不自然・不合理な点は一切認められない。責任能力に疑問を差し挟む余地はない」と、全面的に退ける形となった。
最高裁で死刑確定
2011年3月8日、最高裁は一審・二審の死刑判決を支持し、弁護側の上告は棄却された。これにより、鈴木被告の死刑が確定となり、刑の執行まで福岡拘置所に収監されることとなった。
それから約8年半後の2019年8月2日、鈴木死刑囚の死刑が執行された。(50歳没)