久留米看護師連続保険金殺人事件
2002年、福岡県久留米市で発覚した女性看護師4人による保険金連続殺人事件。
主犯の吉田純子は、看護師学校時代の友人3人を洗脳し、財産を巻き上げていた。やがてそれでは飽き足らず、彼女らの夫2人を殺害させ、保険金を騙し取る。彼女がこうやって得た金は、2億円にのぼるといわれている。荒唐無稽な話を信じさせる手腕はたいしたものだが、洗脳が解けた共犯者の自首により全員逮捕となり、主犯の吉田は死刑となった。
人の命を守るはずの看護師らによる連続殺人。世間は驚愕し、思わず背筋が寒くなった事件である。
事件データ
主犯 | 吉田純子(逮捕時38歳) 判決:死刑(2016年3月25日執行・56歳没) |
共犯1 | 堤美由紀 ・判決:無期懲役 |
共犯2 | 池上和子 ・拘置所で死亡により公訴棄却 |
共犯3 | 石井ヒト美・判決:懲役17年 |
事件種別 | 連続保険金殺人事件 |
発生日 | 1998年1月23日、1999年3月27日 |
場所 | 福岡県久留米市 |
被害者数 | 男性2人(共犯者の夫) |
動機 | 金銭目的 |
キーワード | 保険金・マインドコントロール・洗脳 |
事件の経緯
1979年、吉田純子(当時19歳)は正看護師の資格を取るため、聖マリア看護専門学校に入学した。
吉田は、高校は佐賀女子高校・衛生看護科に通い、きちんと卒業できていれば正看護師を取得しているはずだが、在籍中の不正が原因で資格を持っていなかった。
不正というのは、「『友人が妊娠した』という嘘で、クラスメイトから妊娠中絶費をカンパさせた」というもの。これが発覚したことにより、吉田は転校を余儀なくされ、そんな事情から彼女は准看護師の資格しか持っていなかったのだ。
そしてこの聖マリア看護専門学校で、のちに共犯となる3人、堤美由紀、石井ヒト美、池上和子と出会う。
共犯1人目・堤美由紀との再会
看護師学校を卒業後、かなりの年数が経った1991年のことだった。
吉田純子(当時31歳)と堤美由紀が再会したことで事件は始まる。堤が勤務する病院に、吉田がパート看護師として働くことになったのだ。2人はもともと小中学校が一緒だったが、それほど親しい間柄ではなかった。しかし、あることをきっかけに、2人は急接近するようになる。
そのころ吉田は、夫婦仲の冷めていた夫との間に子どもを身ごもっていた。その中絶に堤が付き添い、吉田を気遣ったことから、それ以降親しく交流を重ねるようになった。
一方、堤はそのころ、既婚者であるスナックのマスターと付き合っていた。やがて妊娠するも中絶。これで彼との縁を切りたいと思った堤だが、マスターはしつこくアパートにやってくる。
断り切れずに困っていた堤は、吉田に相談した。吉田は「自分の知り合いの ”先生” に頼んで始末してあげる」と約束した。
その “先生” は、皇族や検察ともつながりがあり、各方面に顔が利く「日本を動かすほどの大物」だと吉田は説明した。しかし、実際はそんな人はこの世に存在せず、吉田が作り上げた架空の人物だった。
実際、吉田は何もしていなかったが ”偶然” にもマスターは堤の元に来なくなり、悩みは解決する。この一件で ”先生” の存在を信じるようになった堤に対し、吉田は追い打ちをかけた。「マスターはヤクザを使って堤を拉致し、ソープで働かせたあと、東南アジアに売り飛ばす計画だった」と怖がらせたのだ。そして、自分のマンションに身を潜めるように提案し、堤はそれに従った。
堤が吉田と一緒に暮らすようになると、かねてから夫婦仲が冷めていた夫は家を出て行った。こうして、以前にも増して親密さが深まった2人だったが、それは友人関係を超え、1992年3月頃からは同性愛の関係となる。堤は当初は拒んだものの、半ば強引に引き込まれてしまった。
堤は次第に支配下に置かれるようになり、給料やクレジットカードも取り上げられてしまう。堤が起こした交通事故を利用して、堤の母親からも550万円を騙し取った。これらは事故の後始末をしてくれた ”先生” へのお礼という名目だった。
1994年6月頃、堤は睡眠薬を過剰摂取して車を運転したために自損事故を起こし、その後眠り込んでしまうということがあった。
堤が病院で目覚めたとき、吉田は「事故で第三者を死亡させてしまった。でも私が ”先生” に頼んで揉み消してもらった」という嘘を吹き込んだ。
共犯2人目・石井ヒト美との再会
2人目の共犯者・石井ヒト美とは、看護専門学校卒業後も連絡を取り合っていた。
石井は1982年に結婚し、夫との間に3人の男の子をもうけていた。しかし1994年3月、夫の借金や浮気癖にあきれて、子供とともに実家に帰っている状態だった。夫は以前、吉田と交際しており、石井夫婦が知り合ったのも吉田の紹介だった。
石井の家族がそれまで住んでいたマンションは1000万円で売れたが、これを知った吉田は、この金に狙いを定める。
同年6月頃、石井に見知らぬ女性から、夫の借金問題についての電話がかかってきた。しかし、これは吉田が堤にかけさせたものだった。吉田はうまく誘導して自分が交渉人になるようにして、その結果、石井の夫が人から騙し取った金を清算することになった。
石井は、数回にわたって総額750万円を吉田に渡したが、騙されたことに気付いていなかった。それどころか、交渉役の吉田に感謝し、さらに吉田を信頼するようになった。
共犯3人目・池上和子との再会
1990年頃、3人目の共犯者となる池上和子が、吉田宅の近所に引っ越してきた。これをきっかけに、ふたりは再び交流するようになる。
内向的で友人もいない池上だったが、不思議と吉田にだけは何でも話せるとして、大切な親友と思っていた。しかし、吉田のほうはそれほどでもなく、どちらかといえば内心嫌っていた。
かつて吉田は、池上と同じ病院で勤務していたことがある。1996年2月、吉田はその勤務先の看護師・A子が、「池上に損害賠償請求をするつもりでいる」、という作り話を信じ込ませる。
吉田の話はこうだった。
A子は、池上が言った悪口のせいで破談となり、やむなく別の男と結婚した。ここまではある程度は事実で、実際に池上は当時、A子をイジメていたという。ここから吉田は、話を膨らませていく。
「結婚した男はひどいDV男で、日常的な暴力により彼女は障害児を出産、今では悲惨な生活を送っている。そして、すべての不幸の原因は池上にある」というのだ。
吉田は、相手方の交渉人の役を石井ヒト美にさせ、池上と電話で話させるなどして話に信憑性を持たせた。荒唐無稽な賠償話だったが、こうして少しずつ外堀を埋めた結果、池上はすっかり信じてしまう。池上は父親に借りた1100万円を、”交渉役” の吉田に渡した。
その後も、吉田はさまざまな理由をつけ、池上から1年間で合計2800万円もの大金をせしめている。池上の夫は、そんな妻の異変に気付いて家計を管理するようになったり、吉田と口論するなど、吉田にとって邪魔な存在になっていた。
池上和子の夫を殺害
そんな1998年のある日、吉田は「池上の夫を殺害して、保険金を奪う」ことを思いつく。
池上の夫は、愛妻家だったが女性に人気のあるタイプで、池上は夫の浮気を心配をして吉田に相談したのだ。これを吉田は見逃さなかった。
「あなたの夫は、浮気している」
「あなたと子供を交通事故を装って殺し、保険金5000万円を手に入れるつもりだ」
「その5000万円は、愛人との生活費になる」
吉田は、さまざまな嘘を言葉巧みに池上に吹き込んだ。
作り話だけでは足りないと考えた吉田は、ある日、池上の車に睡眠薬を仕込んだ。それを偶然見つけたふりをして「これを使って家族を殺すつもりだ」と言い、話に信憑性を持たせた。
狼狽する池上に「身を守るためには夫を殺すしかない」と吉田は言い放った。仕上げには、「この揉め事に関わったせいで、吉田の長女が拉致された」という設定を作り、解放された時に「池上を恨め、と言われた」と、池上を追い詰めた。
池上は責任を感じ、夫を殺害するしかないと思うようになった。
吉田、堤、池上の3人は殺害の計画を練った。
最初の計画は「カリウムを1ヶ月間にわたり多量摂取させて、急性心不全を起こさせる」作戦だった。しかしこれはうまくいかず、夫の体調に変化はなかった。仕方なく3人は「睡眠薬で眠らせたうえで、カリウムを注射して心不全を起こす」という計画に変更する。
1998年1月22日午前0時、3人は計画通り眠らせた池上の夫にカリウムを注射する。しかし、何度やってもうまくいかないので、吉田は空気を注射することを提案したがこれも失敗。結局、仕切り直すことになった。
翌23日午後11時半頃、帰宅した夫に池上は睡眠薬入りビールを飲ませて眠らせた。そして、池上は吉田と堤が見守る中、何の非もない夫に15回ほどに分けて大量の空気を注射して殺害。夫は病院に搬送されたが、疑われることはなく、計画は成功した。
そして、保険金3500万円が妻である池上に支払われた。池上はこのうち3450万円をはじめ、遺族年金など夫の死によって得た金のほとんどすべてを吉田に渡した。
こうして吉田は、総額1億1000万円以上を池上から奪ったのである。
石井ヒト美の夫を殺害
石井が吉田に750万円を騙し取られたのが1994年。その後、石井は大川市に移ったことで2人は疎遠になるが、1999年正月、吉田がキャラクター電報を送ったことがきっかけで付き合いが再開する。
2月下旬、吉田が石井の家を訪問した時「古林玉枝」と名乗る女から電話がかかってきた。女は「あなた(石井)の夫には愛人がいて、貢ぐための金を複数人から騙し取っている」といい、そのせいで自殺した人までいるというのだ。
困惑する石井だったが、この話もすべて吉田の作り話で、「古林玉枝」の役は池上にやらせていた。交渉役を頼まれた吉田は「遺族の恨みは相当なもので、夫の殺害が望み」と石井に伝えた。そしてこれは相手方の間では決定事項だと言った。
吉田は、その後も「あなたの夫は生きる価値がなく、抹殺されて当然」とくり返し言い聞かせ、石井が殺害を決断するよう説得。これまでも夫の借金問題で苦しめられ、夫に対する不信感が強かった石井は、この一連の話を真実であると信じ込んでいった。
石井は、吉田の術中にはまり、「夫を殺害する」という内容の誓約書を書かされる。しかし、これを書いたことで、不思議と迷いは消えてしまった。
吉田たちは、石井の夫の酒好きを利用して、急性アルコール中毒で殺害することに決めた。
1999年3月27日午後6時頃、石井は「子どものことで話がある」と別居中の夫を呼び出し、睡眠薬を混ぜたカレーライスを食べさせて眠らせた。そして午後10時頃、吉田ら3人を招き入れた。
石井は、夫の鼻にチューブを入れたがうまくできなかった。そこで、こういった作業に一番慣れている堤が交代、堤はチューブからウイスキーを大量に流し込み、殺害は成功した。
こうして吉田は、保険金3257万円を手に入れた。さらに殺害の報酬として、夫の退職金から3000万円を取っている。
さらなる計画
友人たちを騙し利用し、殺人まで手がけて得た金で、吉田は新しいマンションに移った。自身はマンションの最上階に住み、他の3人にはそれよりもっと下の階の別々の部屋に住まわせた。
このころから吉田は “先生” の代役に昇格したとして、3人に自分のことを吉田様と呼ばせるようになった。そして身の回りの家事や子供の世話・父親の介護まで、すべてのことを3人にさせるようになった。吉田は3人の上に、女王様のごとく君臨していた。
総額2億円もの大金をせしめた吉田だったが、借金返済や浪費により使い果たすのも早かった。吉田は次の獲物を決めて、計画に取りかかる。それは、折から嫌っていた堤の母親(当時82歳)を殺害し、財産を奪うという計画だった。
堤の母親は糖尿病でインスリン治療をしており、さらに血糖降下剤を飲ませれば死亡させられる、と考えたのだ。堤は血糖降下剤を渡されたが、さすがに実の母親の殺害はできなかった。
そこで、「石井が探偵を装って訪問、無理やりインシュリン注射をする」という計画に変更。石井はこのころ、夫の件でさらに4000万円を要求されて困っていた。もちろん、吉田が仕かけた詐欺なのだが、計画に協力することで、これを清算できると言われた石井は承諾してしまう。
決行の日は、2000年5月29日。探偵に扮した石井は、柳川市の堤の母親宅を訪問して「娘さんのことでお話を」とうまく家に上がり込んだ。石井はまず偽の調査書類を手渡す。そして、それに目を通している母親の首に注射の針を刺した。痛みを感じた堤の母親は危険を察知し、もみ合いとなった。失敗だと感じた石井は、逃げ出してしまう。
堤の家族は、もともと吉田に対して何か違和感を感じていたが、この一件以降さらに警戒されるようになった。
そこで、吉田は「堤が家族から孤立したほうが都合がいい」と考えた。彼女は本人が書いたように装った絶縁状を家族に送り付けている。
次に吉田は、石井の父親名義の土地300坪を手に入れようとする。堤の母親殺害が失敗に終わった今、4000万円を精算できる方法として、土地を売るように提案したのだ。
石井は困り果て、ついに ”別の人” に相談する。それは、石井の叔父だった。
事件発覚
2001年8月2日、石井は久留米警察署に出頭。石井は、夫殺害については伏せたうえで、「夫の浮気の後処理で脅迫されている」と相談した。
警察に出頭したことを知った吉田は狼狽することになる。共犯者でもある石井が警察に相談するなど、想定外だった。そこで、吉田は石井が書いた抹殺誓約書をちらつかせ、石井を脅迫。「警察に行けば誓約書を各所にばら撒く」という内容のメモを車のワイパーに挟んだり、ファックスで送ったりした。
誓約書を書かせていたことが役に立ったと思った吉田だったが、石井は予想外の行動に出る。8月5日、叔父に連れられて石井は自首し、事件のことを警察ですべて話したのだ。
警察は石井の証言により、この恐ろしい事件の全容を知ることとなった。捜査は進められ、2002年4月17日、ついに吉田純子・堤美由紀・池上和子の3人が保険金殺人容疑で逮捕。石井はその直前に自殺未遂を起こしたため、少し遅れて21日に逮捕された。
主犯・吉田純子の生い立ち
吉田純子は1959年7月10日、福岡県山門郡三橋町に生まれた。家族は両親と弟の4人家族だった。
父親は自衛隊を除隊後、自動車修理工になった。母親も内職をしていたが、生活はかなり苦しかった。
母親は弟だけをかわいがり、吉田にはきつくあたっていたという。
柳河小学校、柳河中学校では、本事件で右腕的存在の堤美由紀が同じ学年だったが、当時はそれほど親しくなかったという。
その後、私立佐賀女子高校衛生看護科に入学。
高校2年の時、吉田の友人が妊娠してしまったという嘘の名目で、クラスメイトから ”妊娠中絶費カンパ” を募る。この嘘はバレてしまい、吉田は停学処分となり転校した。この時、特に反省の態度は見られなかったという。この一件で吉田は正看護婦ではなく、准看護婦の資格しかとれなかった。
その後一度就職したのち、1979年、聖マリア学院看護専門学校に入学して正看護婦の資格を取る。そしてこの学校で、のちに共犯者となる3人(堤美由紀・池上和子・石井ヒト美)と出会った。
1981年、22歳の時に7つ年上の自衛官と結婚、3人の女児をもうけた。だが、結婚直後から夫婦仲は冷え切っていた。
1989年、職場で共犯者・堤美由紀と再会。その後、彼女と性的な関係となる。
1994年~ 共犯者・池上和子、石井ヒト美と再会。ここまでに再会した3人を洗脳する。
1998年1月23日、池上和子の夫を殺害。
1999年3月27日、石井ヒト美の夫を殺害。
2002年4月17日、逮捕。
2010年1月29日、最高裁にて死刑が確定。
2013年時点で再審請求中だったが、2015年に請求棄却となる。その後は、再審も恩赦も拒否し、クリスチャンとして被害者の冥福を祈っていた。そして2016年3月25日、死刑が執行された。(56歳没)
吉田純子が死刑執行された2016年3月25日は、大阪・連続女性バラバラ殺人事件の鎌田安利死刑囚も同時に執行されている。
主犯・吉田純子の裁判
2002年8月27日、福岡地裁の初公判で、吉田純子被告は事件の主犯であることを認めた。しかし、途中から主張を一転させ、犯行への関与や殺意を否認している。
検察側は論告で「吉田被告の異常なまでの金への執着が最大の原動力」と指摘。巧みな話術や演技で、池上・石井両被告に ”夫の浮気” などのトラブルを信じ込ませ、犯行に引き込んだとした。さらに、吉田被告の公判供述を挙げ「事件が発覚しなければ、金目当てに自分の夫の殺害すら考えていた」とも述べた。
弁護側は、2件の殺害事件の起訴事実を認めたうえで「首謀者ではない」と主張。「夫殺害については、妻である池上・石井両被告が抑止力をもつべきだった」「虚言癖などの人格障害が、事件に与えた影響は大きい」と量刑に考慮を求めた。
2004年9月24日の判決公判で、裁判長は動機について「ぜいたくな生活のために殺害計画を発案し、強力に推進した」と認定。看護学校の友人たちを犯罪に巻き込んだ手口については「殺害相手を ”生きる価値のない人間” と思い込ませ、時には恫喝し、執拗に殺害を迫った。仲間でさえ平気で裏切る、驚くべき身勝手さ」と述べた。
さらに「金銭のため、医学知識を駆使して完全犯罪をもくろんだ冷酷非情で凶悪な犯行。共犯者を虚言で巧みに操り、殺人行為に駆り立てた手口は陰湿かつ非人間的で、酌量の余地はない」として求刑通り死刑を言い渡した。
控訴審
弁護側は控訴審で、「事件は、共犯者たちの欲望や意思が起こしたもので、吉田被告はそのきっかけをつくったに過ぎない」と、首謀者であることを否定、無期懲役が相当と主張した。
これに対し裁判長は、「異常な金銭欲を満たしたりするため、ほかの共犯者に嘘をついて操った。犯行によって得た利益のほとんどを得ている」として、ほかの共犯者3人に比べて責任は格段に重いと結論づけた。その上で、「金銭欲のため人命を奪うことをはばからない動機は悪質、冷酷で、人間性のまひは著しい」「被告には、もはや死刑をもって臨むほかはない」と死刑判断の理由を示した。
最高裁
2010年2月18日の最高裁弁論で、弁護側は「吉田被告は首謀者ではなく、心から謝罪している。死刑はあまりに重すぎる」と死刑回避を求めた。さらに、最近になって吉田被告が「主犯」についての説明を始めたと主張。「吉田被告をそそのかし、多額の利益を得た人物が背後にいる」などと述べ、真相を確かめるため審理続行を求めたが、最高裁は認めなかった。
検察側は「犯行計画の発案から実行まで、中心となり利益のほぼ全額を手にした。極めて残虐、冷酷な犯行で自己中心的、医療従事者の誇りも傷つけた。吉田被告が首謀者であることは明白で、罪責は重大」と述べた。
判決で裁判長は、「動機は強い金銭欲。勤務先の病院から薬剤を持ち出すなど、看護師としての医療知識や経験を生かし、周到な計画と準備をした」と指摘。「犯行を発案、主導して共犯者らを操り、犯罪利益のほぼすべてを得た。殺害方法も執拗で残虐、非道」と指弾、吉田被告を首謀者と認定した。
さらに、吉田被告が拘置所内で共犯者に手紙を出して偽証を依頼したことを挙げ、「真摯な反省はうかがえず、死刑を是認せざるを得ない」とした。
吉田は、拘置所の中で配膳係を通じて共犯者3人に手紙を送り、自分の罪を軽くするため偽証することを求めている。しかし、これは発覚して裁判での心証を悪くしただけだった。
こうして2010年1月29日、吉田純子の死刑が確定、福岡拘置所に収監された。
2016年3月25日、死刑執行。(享年56歳)
共犯3人の裁判
堤美由紀
初公判で堤美由紀被告は、心の整理ができていないと罪状認否を留保。そして、吉田被告に騙されたと主張した。
一審で検察の求刑は死刑だったが、判決は無期懲役となった。
その後、控訴するも棄却、上告はしなかったために無期懲役が確定した。
石井ヒト美
石井ヒト美被告は、初公判で犯行を認めて謝罪、吉田被告に騙されていたと主張した。
一審での検察側の求刑は無期懲役だったが、判決は懲役17年となった。
控訴するも棄却され、上告はしなかったため懲役17年が確定した。
池上和子
池上和子被告は、初公判で犯行を認めて謝罪していた。しかし2004年9月1日、子宮ガンを発症したため福岡拘置所で病死。
一審判決前だったが、公訴棄却となった。(享年43歳)
モンスターの餌食になった3人
この事件を本にした森功氏は、吉田純子について、いわゆる“モンスター”だと言っています。
確かにサイコパス的な要素は強く感じます。共犯の女性3人は、その餌食になったようなものでした。
3人は、吉田の導きで殺人まで犯してしまった、ある意味”被害者”かもしれません。3人の問題点は、そういう人間にターゲットにされやすい性格だったということでしょう。
押しに弱くて流されやすい。素直で人を信じやすく、依存体質。性格的にそんな感じを受けます。3人とも吉田に依存するあまり、問題が起きた時にほかの解決法を試さずに、吉田に助けてもらおうとしています。
この異常なまでの依存体質な3人が集まったこと、それこそがこの事件が起こった原因かもしれません。しかし、”組織ぐるみ”や”暴力”でマインドコントロールされたわけではないので、この3人には同情しかねる部分があります。吉田が作ったストーリーは、どれもあり得ないような話ばかりです。
自分の頭で考えて行動するような人間なら、吉田に狙われることはなかったはずです。
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