長野・愛知4連続強盗殺人事件
交通事故で腰を痛めて働けなくなった西本正二郎(当時27歳)は、レンタカーで寝泊りしながら空き巣をくり返し生活費を稼いでいた。
やがて、強盗殺人に手を染めるようになり、タクシー運転手やひとり暮らしの高齢者4人を殺害する。その後、知人宅に忍び込んだところ、セキュリティー設備が作動して警報が鳴り、駆け付けた捜査員に逮捕された。
裁判では情状酌量の余地もなく、死刑が確定。それから2年という短い期間を経て、刑が執行された。
事件データ
犯人 | 西本正二郎(当時27歳) |
犯行種別 | 連続強盗殺人事件 |
事件発生日 | 2004年1月13日~9月7日 |
犯行場所 | 長野県、愛知県 |
被害者数 | 4人死亡 |
判決 | 死刑:東京拘置所 2009年1月29日執行(32歳没) |
動機 | 強盗 |
事件の経緯
2002年8月、西本正二郎(当時25歳)は交通事故で腰椎椎間板ヘルニアを患い、2年ほど勤めた土木会社を退職した。それからは、パチンコに明け暮れるようになり、数百万円もの借金を作ってしまう。
2003年3月22日、西本は、その月の家賃を払わないまま飯田市のアパートを出た。それからレンタカーを借りて、その日からは車で寝泊りするようになる。
西本は、職を求めてレンタカーで愛知県まで出向き、住み込みの仕事を探すも腰痛で力仕事ができない彼に仕事はなかった。西本はそのうち見つかるだろうと楽観し、契約の4日間を過ぎてもレンタカーを返さず、そのまま寝場所として使っていた。
空き巣で生計を立て、豪遊する
アパートを出る時、車や家財道具を売って作った金も残り少なくなってきた。
そんな2003年5月頃、彼は飯田市の民家に空き巣に入り、100万円近い金を手に入れる。思わぬ大金を手にした西本は、その金で鹿児島まで遊びに出かけた。
その後も何度か空き巣をくり返し、盗んだ金で中古のセドリックを購入。それ以降はその車を寝場所とし、レンタカーは松本市内の適当な場所に放置した。
この頃、西本は地元のクラブの美人ママのA子さんに夢中になる。彼は「飯田の有名企業の御曹司」を名乗り、頻繁に通っていた。しかしA子さんは結婚していて、夫は消費者金融に借金があった。西本のことを「金持ちの息子」と思ったA子さんは、彼と親密になっていく。
9月頃、西本は以前住んでいたアパートに空き巣に入り、合計1020万円もの大金を手に入れる。この金で高級腕時計を買い、パチンコに明け暮れ、バーなどで豪遊。車の改造に100万円以上かけ、カーオーディオも高級なものに付け替えた。
このころ、西本が放置したレンタカーが発見される。レンタカー会社からは「延滞料・修理料など120万円が支払われていない」と、警察に届けが出されていた。
わずかな金のため4人を殺害
最初の殺人:名古屋のタクシー運転手
空き巣で手にした1020万円は、12月には底を尽きていた。2004年1月13日、愛知県名古屋市にやってきた西本正二郎(当時27歳)は、タクシー強盗を思いつく。
西本はJR名古屋駅から行き先を春日井市と告げ、1台のタクシーに乗車した。そして到着したところで、運転手の湊保雄さん(59歳)の首を切って殺害、売上金約1万8000円を奪った。湊さんは死ぬ間際、「俺の人生も終わりか」と言ったという。
このころ、クラブママのA子さんは夫と離婚。西本は高森町のA子さん宅に転がり込んだ。A子さんは自分の店を持つようになり、これを西本は手伝うなどしていた。
第2の犯行:飯田市の77歳女性
タクシー強盗から約3か月後の4月26日午後8時頃、西本は金を盗もうと飯田市大王路の島中実恵さん(77歳)宅に侵入。居間にいた島中さんを絞殺し、現金1万5000円と貯金箱を奪った。
実は、西本は島中さんとは面識があった。前年5月に駐車場を借りると偽り、車庫証明の書類を書いてもらったことがあったのだ。その際、西本はサインを残していたことから、飯田署に呼ばれることとなった。
しかし、殺害については厳しい追及はなかった。飯田署は、被害者の長女を犯人と見立て、それに沿った捜査を展開していたのだ。
西本は、むしろ放置したレンタカーについて問い詰められた。そのため、彼はレンタカーの延滞料や修理代を、月3万円ずつ支払うことで会社側と示談した。
ところが西本はこれを無視、7月頃に飯田署から厳しく注意される。さらに、会社側は訴訟を匂わせてきたので、彼は焦ることとなった。大ごとになれば、2件の強盗殺人がバレるかもしれない、と考えたのだ。
第3の犯行:高森町の69歳男性
8月になって、西本はレンタカー会社に「来週支払う」と約束した。しかし払うあてはなく、金を作る必要に駆られた西本は強盗を決意する。
西本は、長野県高森町の有線放送農協が配布する電話帳を見てターゲットを探した。この電話帳には加入者の「住所」と「家族構成」が記載されており、ひとり暮らしの高齢者を容易に見つけることができた。
8月14日午後7時半、西本は集落から離れた加藤仁さん(69歳)宅に侵入。そして、加藤さんの胸をナイフで刺して殺害し、奪った現金26万円をレンタカー会社に最初の2か月分として返済した。
8月下旬、西本はA子さんに愛想をつかされ、マンションを追い出される。彼は食うのに困るようになり、レンタカー会社にも返済の延期を求めた。
第4の犯行:高森町の74歳女性
9月7日午後7時20分頃、道を尋ねるふりをして、高森町のパート従業員・木村あい子さん(74歳)宅を訪れた。この家は以前、空き巣に入ったことがあった。
西本は、玄関先に出てきた木村さんの胸を、ナイフで数ヶ所刺して殺害、バッグを奪って逃走した。バッグの中の現金は、わずか6000円だった。西本は ”足跡” からアシがつかないよう、新しい靴を3足購入して犯行時の靴を捨てた。
殺害された島中さん、加藤さん、木村さんは、いずれもひとり暮らしの高齢者だった。高森町では58年間殺人は起こっておらず、飯田署管轄内でも過去10年以上 ”殺人” がなかった。そんな平和だった町は、一気に恐怖と不安に包まれた。
ついに逮捕
木村さんから奪った6000円では、レンタカーの返済もできず、西本は次のターゲットを探すことにした。
思いついたのは、飯田市に住む会社役員の知人(56歳)だった。9月13日、この日は知人の給料日ということも知っていた。西本は、知人が「不在の間に侵入して待ち伏せて、帰宅したところを殺害しよう」と計画していた。
ところが、侵入するとホームセキュリティーのブザーが鳴り響いたため、西本はあわてて逃げた。しかし駆け付けた捜査員は、現場付近で泥で汚れた西本を発見。金髪で大柄な、いかにも怪しい風貌の西本は職務質問された。そして、窃盗、住居不法侵入容疑で逮捕されることとなった。
その後の調べで、高森町の3件の高齢者殺しについて自供し始めた。さらに1月のタクシー強盗についても自白した。
西本正二郎の生い立ち
西本正二郎は1976年10月22日、長野県飯田市に生まれた。
母親の実家は地元で有名な弁当会社で、父親はその社員だった。そのため、裕福な環境で育てられている。
小学6年の時、家の新築をきっかけに転校。体格は良かったが気が小さく、友達がうまく作れなかった彼は、同級生に現金を渡して、家に遊びに来てもらっていた。その際、サバイバルナイフやエアガンを自慢気に見せていたという。
このころ、父親は西本に暴力をふるうようになる。その腹いせなのか、彼は妹に当り散らすようになり、あまりの激しい暴力に、親類が妹を預かりに来るほどだった。
中学校は休みがちで成績も悪かった。西本は友人に、「生きていても仕方ないので死にたい」と打ち明けていたという。このころ、サバイバルナイフで自分の腕を切り、冷静に自分で縫合をするという、奇行を見せたこともあった。
中学3年の時、両親が離婚。西本は父親に引き取られる。
中学を卒業後、森林整備会社に就職し、”山の斜面に落石防護ネットを張る作業” に従事する。当初は真面目に勤務していたが、18歳頃に車を購入してからは欠勤をくり返し、仕事も不真面目になった。やがて職場での評価も悪くなり、21歳で退職。その後は土木会社などを転々としている。
2002年8月、交通事故で腰椎椎間板ヘルニアになる。仕事ができなくなった西本は、職場を退職したが、パチンコに明け暮れ数百万円の借金を作ってしまう。
2003年3月にアパートを出てレンタカーで車上生活を始める。空き巣や強盗をくり返して生計を立てていたが、やがて本事件を起こす。2004年9月13日に逮捕されるまでに、殺害した人数は4人。
裁判では死刑が確定し、2009年1月29日に東京拘置所にて死刑が執行された。確定から執行まで2年ほどという短い期間だった。
この日は、ドラム缶女性焼殺事件の佐藤哲也・川村幸也、北九州母娘殺傷事件の牧野正の計4人が執行されている。
裁判
西本被告は、起訴事実は認めたものの、1件の事件で「奪った現金の額は、起訴状より多い」と訴えた。
弁護側は、”父親からの暴力を受けた生い立ち” が犯行に影響したとして、被告の情状鑑定を地裁に請求した。これに対し検察側は、「特異な成育歴とは言えない」と反論。長野地裁は情状鑑定請求を却下した。
最終弁論で弁護側は、4人殺害の自供が自首にあたるとし、寛大な処分を求めていた。また、「暴力のある家庭で、両親の愛情なく育った西本被告は、なんでも自分で解決するようになった。しかし、責任を持って対処できず、正当な方向に進むことなく罪を重ねた」と指摘。さらに「強盗だけでなく、なぜ殺人まで犯したのかはわからない」と述べた。
死刑の求刑に対しては「死刑は憲法36条の、残虐な刑罰の禁止などに違反している」と主張。そして、「西本被告は被害者の冥福を祈り、罪を一生背負って生きていくべき」と述べた。
西本被告は「被害者や遺族の人には申し訳ないと思っている。自分には死刑という判決が適していると思う。死を持って償いたい」と話した。
裁判長が「自首」と認めたのは、愛知県のタクシー運転手の強盗殺人1件のみだった。残りの3件については退け「重大性と悪質性をかんがみると、刑を軽減するのは相当ではない」とした。
弁護側が、”父親からの虐待” を理由に求めた情状酌量についても「被告人の刑事責任は、あまりにも重大で極刑は免れない」と述べた。
死刑判決の理由については、以下のように説明した。
- 被告人は確定的殺意を持って犯行におよんでいる
- 犯行は冷酷かつ残忍で、財産的被害も甚大
- 被害者遺族の処罰感情が峻烈である
- 何ら落ち度のない4人の生命を奪い、刑事責任は誠に重大
西本被告は控訴した。
別の犯行を自白?
控訴審初公判は、2006年10月11日に開かれた。西本被告は、控訴した理由を「明らかにしたいことがある」として、一審で問われた4件の殺人事件の前に、「もう1件殺人事件を起こした」と述べた。
「2003年4、5月頃、福島市内をレンタカーで走っていた際、女性をひいた。軽傷だったが、警察に連絡すると言われたので、以前の窃盗などが発覚すると思い殺害を決意した。そして、車内にあったロープで、後ろから女性の首を絞めた。」
また、遺体を山中に捨てに行き、検問中の警察官に不審がられた時は、「いろいろな県をぶらぶらしている」と旅行者を装い通してもらったと証言。その後、「福島の件が発覚しなかったので、自分がよく行く愛知で事件を起こしてもわからないと思った」などと述べた。
控訴審で供述した理由を「その場の感情で殺してしまった。自分でも納得できず、ずっと言えなかった。真実を話すことが償いになると思った。」と説明した。また、一審の死刑判決に不服はないと述べた。
福島県警は、裏付け捜査に延べ1000人以上を投入したが、遺体は見つからなかった。11月20日夜、西本被告は「女性殺害の告白は嘘だった」と供述、11月29日の第3回公判でも、改めて虚偽であったことを認め、謝罪した。
この日で公判は結審し、判決が2007年1月22日に言い渡される予定だった。しかし、2007年1月11日、西本被告は控訴を取り下げ、死刑が確定した。