「名古屋市連続通り魔殺傷事件」の概要
2003年3月30日、名古屋で若い女性を狙った通り魔事件が発生した。この事件で22歳の看護師女性が殺害されたほか、2日後には別の23歳女性が包丁で刺されて重傷を負った。
事件から5ヶ月後、逮捕されたのは伊田和世(当時38歳)、通り魔事件ではめずらしい”女の犯行”であった。別の窃盗事件で逮捕された彼女は、どの犯行の際も派手で目立つ服装だったことが話題になった。
伊田は逮捕前から奇行をくり返すトラブルメーカーで、いつもフリルのついた奇妙な服装だったことから、近所で「ひらひらさん」と呼ばれていた。犯行の動機は「幸せそうな若い女性を刺せば、イライラ解消になると思った」という身勝手なものであった。
事件データ
犯人 | 伊田和世(当時38歳) |
犯行種別 | 通り魔殺人事件 |
犯行日 | 2003年3月30日、4月1日 |
犯行場所 | 愛知県名古屋市北区東水切町4丁目 愛知県名古屋市千種区 |
被害者数 | 1人死亡、1人負傷 |
判決 | 無期懲役 |
動機 | イライラ解消のため |
キーワード | ひらひらさん |
事件の経緯
2003年3月30日午後8時前、名古屋市北区東水切町の路上で、中村区藤江町の看護師・菅谷悦子さん(当時22)が、道を尋ねてきた中年女に包丁のようなもので腹を刺された。
菅谷さんは友人(当時22)と一緒に買い物に行った帰りで、自転車に乗った友人と並んで歩いていると、後方から来た女に「大曽根方面はどちらか」と尋ねられた。菅谷さんが道順を教えようとしたところ、女は自分の自転車のカゴから刃物を取り出し、いきなり菅谷さんの腹部を刺したのだ。
続いて女は友人のほうに向き直り襲い掛かる素振りをみせたので、友人は自分の自転車を女のほうに倒してその場から逃れた。その際、自転車のカゴから投げ出された手提げ鞄を女に奪われてしまう。鞄の中の財布には現金7000円ほどが入っていた。
その後、菅谷さんは意識不明の重体のまま国立名古屋病院に搬送された。だが、2日後の4月1日午前0時15分頃、多臓器不全により死亡が確認された。
菅谷さんは中村区内のリハビリ病院に勤務する看護師で、「青年海外協力隊に参加して、世界の人々の助けになりたい」という目標に向かって努力していた。
第2の通り魔事件が発生
菅谷さんが亡くなった4月1日には、菅谷さん殺害現場からほど近い名古屋市千種区の路上で、第2の事件が起きている。
狙われたのは遠藤美里さん(当時23)で、午後0時22分頃、現場を通りかかった遠藤さんが中年女に包丁で襲われたのだ。遠藤さんは腹部に全治約1か月間の傷害を負い、4万円ほどの入ったシャネルのバッグを奪われた。
両事件の犯人は、どちらも赤いエプロンドレスを着た厚化粧の中年女で、赤い自転車に乗っていたことから ”同一犯による通り魔事件” との見方が強まった。世間では「赤いドレスの通り魔」と呼ばれたが、その後は同様の事件は起こらず、容疑者の特定もされないまま、いたずらに時間が過ぎていった。
通常、通り魔事件の犯人は男性であることが多いので、「犯人は女装した男なのでは?」などの憶測も飛び交った。
別の窃盗事件で逮捕
第2の事件から約5カ月後となる8月28日午前3時40分頃、民家の物置でグラスセット2箱などの盗みを働いたとして、守山区鳥羽見の伊田和世(当時38)という女が現行犯逮捕される。
8月28日深夜2時過ぎ、隣家の物置からの物音に気づいた住人は、自転車で逃げる女を目撃した。しかし女はすぐさま現場に戻り、「何かを持ち出しては自転車で往復する」ということを何度も繰り返していたという。
当初は単なる窃盗犯だと思われたが、逮捕された伊田は厚化粧のうえ、ネグリジェ風の白い花柄のサンドレスとハイヒールという、泥棒には似つかわしくない出で立ち。家宅捜査してみると、伊田の自宅からはシャネルのバッグや血の付いた包丁が見つかった。シャネルのバッグは、製造番号が遠藤さん(第2事件被害者)のものと一致したため、伊田は連続通り魔事件の容疑でも逮捕となった。
6月30日頃には、名古屋市内の民家から婦人用自転車1台を盗んだことも判明している。
女性が通り魔事件の犯人であることはめずらしく、さらに美人で水商売やソープ歴があり、犯行時には派手な赤いエプロンドレスや花柄のブラウスにロングスカートという “奇妙” な格好をしていたことが世間の注目を引いた。
逮捕前日から奇妙な行動
窃盗現場からほど近い場所では、事件の前日からおかしなことが起きていた。前日27日には近所の空き地に「体がバラバラにされたバービー人形30体ほど」が投げ捨てられ、28日には近所の民家の庭に膨大な不気味なゴミが投げ入れられるという騒動が起こっていたのだ。
ゴミの中身は、血痕がついたバラバラにされた7体のリカちゃん人形、腹がちぎられたぬいぐるみ数体、ほかにも使用済みの生理ナプキン、ハイヒール、薬、くい散らかされた食品など、いずれも不気味なものばかりで、大きなゴミ袋9個分という膨大な量だった。これらは伊田の仕業であることが判明している。
逮捕後、伊田は動機について「イライラしていた。幸せそうな若い女性を刺せば気が晴れると思った」と説明している。菅谷さんを刺した伊田は、「意外に手応えがなく、血も出なかった」ことを不満に思い、2日後にもう一度事件を起こしたのだった。遠藤さんがシャネルのバッグを持っていたことから、「この娘は金を持っている」と思って目をつけたという。
伊田和世の生い立ち
伊田和世は1964年11月5日、愛知県名古屋市中区で生まれた。父親は水道修理業を営み、母親と4歳年上の姉との4人家族は、決して裕福とは言えない暮らし振りだった。
母親は美人で派手な格好する女性として、近隣から奇異な目で見られていた。ヒステリックな性格で、まだ幼い伊田に怒鳴る声が頻繁に聞こえてきたという。一方、父親は伊田を可愛がっていたが、風変わりな母親に嫌気がさしたのか、伊田が幼い頃に離婚して家を出て行った。
母親は一家を支えるために働き、家にはほとんどいなかった。機嫌が悪いと人前でも伊田を罵り、悪口を他人に吹聴した。不登校になった小学生の伊田に「行きたくないなら、行くな」と言うなど、娘に対する関心も薄かった。
小中学校時代の伊田は基本的に不登校だったが、時折、気が向いたように登校した。そんな時の伊田の恰好は、ふりふりのスカートにつばの広い帽子をかぶり、髪をカールして化粧までしていたという。そんな年齢や流行に合わない服装や立ち振舞いは周囲を驚かせ、奇異な印象を植え付けた。勉強にはまったく無関心で、授業態度などで教師に注意されることも多かった。
伊田は事件後の精神鑑定で、軽度精神遅滞(IQが50~69の範囲)であるとの結果が出ている。
伊田は幼少期から一貫してトラブルメーカーだった。たまの登校時も目のあった同級生を恫喝し、気にいらないことがあると相手を睨みつけた。変わり者で攻撃的な性格のため、友人はほとんどいなかった。
近所のトラブルメーカー
中学卒業後は、高校には進学せず水商売の道に入った。もともと美人な伊田は人気ホステスとなり、他店から引き抜かれたりもした。ホステス以外にもコンパニオンやモデルなどの派手な職業を転々とした伊田だったが、23歳の時にすべて辞め、「高価なブランド品を購入したいから」という理由でソープランドで働き始めた。
その後、ソープランドでも売れっ子となった伊田だが、20歳以上年の離れた妻子持ちの男性の愛人となり、2年ほどで辞めてしまう。この男性からは、毎月17万円ほどの手当てをもらっていた。
愛人関係の男性とは次第に希薄になっていったが、本事件で伊田が逮捕されるまで関係は続いていた。また、伊田はソープランドを辞めて以降は逮捕時まで無職だった。
1993年頃、29歳の伊田は、愛犬が死んだショックでうつ状態となり、1995年頃から精神科に通うようになる。当時、伊田は母親と2人で暮らしていたが、家の窓を割るなどの危険行動をするようになったために家を出され、近所の借家でひとりで暮らすようになった。
一人暮らしを始めると、伊田は近隣からトラブルメーカーとして知られるようになる。挨拶もしないしゴミの分別もしない。子どもに向かって「うるさい!」と声を荒げたり、ペットの飼い方で「金を払え」と荒っぽい言葉で怒鳴り込むなど、住民とのトラブルが絶えなかった。伊田に目をつけられたために、引っ越しを余儀なくされた家族もいた。
父親との関係
父親は離婚後、娘とは音信不通だったが、岐阜県に移って霊能師として開業した。やがて、「よく当たる」と評判になって経済的にも成功し、伊田に毎月10万円の仕送りをするようになる。
伊田は再び父親と交流を始め、毎月のように父親の元を訪れるようになった。父親の取り巻きから「お嬢さん」と呼ばれてチヤホヤされることが心地よかったのである。しかし、父親には愛人がいて、嫉妬心からその女性の存在が邪魔に感じられた。
2002年8月、37歳の伊田は、父親の家で愛人の洋服を焼き払うという事件を起こした。これにはさすがの父親も激怒し、仕送りを30万円に増やす代わりに一切の関りを禁じられてしまう。自業自得ではあるが、父親から接触を拒まれたことは、伊田にとって相当な精神的ダメージとなってしまう。
ひらひらさんと呼ばれた厄介者
このころから、伊田は精神に変調を来たし出す。奇抜な恰好をして、用も無いのに自転車で徘徊するようになった。バブル全盛期のようなロングの茶髪に真っ赤な口紅、いつもヒラヒラのフリルのついた派手で異様な格好は、近隣住民から「ひらひらさん」と呼ばれた。
伊田は父親からの30万円に加え、愛人契約の17万円も合わせると、月に47万円もの高収入があったが、アンティークの人形や家具に凝るあまり、生活費にも窮するようになった。そのため、万引きしたものをリサイクルショップに売るなどして金に換えた。生活は荒れ、高価なものであふれる部屋の中は、ゴミ屋敷と化していたという。
また、伊田は姉夫婦の家に、1日に何度も電話するなどの迷惑行為をしたことから、姉も次第に伊田を遠ざけるようになった。こうして家族との関係が希薄になり、さらに飼い猫が避妊手術で腹部を切られたことにもショックを受け、伊田は「他人と比べて自分だけが不幸だ」との被害妄想を抱くようになった。
プライドは高いがモラルは低く、罪悪感も持ち併せていない。そんな性格が災いしたのか、次第にストレスはたまり、イライラが募っていった。
死体愛好から殺人願望へ
伊田にはおぞましい趣味があった。彼女は以前から人間の死体に関心を持つ「死体愛好家」だったのだ。死体や殺人、解剖の本を読み、スプラッタービデオなどを見るうちに興奮を覚え、次第に「人を刺し殺してみたい」と思うようになっていった。事件前日にはこの欲望を満足させるため、人形でそれを試し、他人の家や空き地にばら撒いた。
伊田は精神科に通院はしていたものの、親族も彼女を持て余したことから、入院させることも検討していた。そんな矢先に事件は起きた。逮捕後、伊田は犯行の動機を「イライラを解消するため」と供述している。「どうせ刺すなら、苦労知らずのお嬢様っぽい女の子がいい。相手が幸せな生活から不幸のどん底に落ちれば、スッキリする」と思ったという。
伊田は逮捕後も、中学時代のボーイフレンドに「結婚して!」「反省はしていない」などの手紙を書き、家に残した猫の処遇を巡って弁護士を解任するなど、自分の置かれた状況を理解していないと思える奇行をくり返している。
裁判
伊田和世被告は、公判中の精神鑑定で「反社会性の人格傷害などは見られるが、責任能力に問題はない」との結果だった。
精神鑑定書には、犯行当時の伊田被告について「軽度精神遅滞、反社会性パーソナリティー障害および境界性パーソナリティー障害に罹患していた。それが原因で、不安・焦り・怒りといった社会的不適応状態にあったが、善悪を判断する能力や、それに従って行動を制御する能力は保たれていた」との記載があった。
伊田が1995年頃から通院しているメンタルクリニックの医師も、伊田被告は「軽症のうつ状態にあったが、幻覚妄想等の精神病の症状は存在しなかった」と述べている。
しかし伊田被告は、飼い猫の世話をめぐって弁護士を解任するなど、公判中も異常な一面を見せている。
控訴せず無期懲役が確定
弁護側は、菅谷さん殺害について殺意を否定。菅谷さんの友人に対しては窃盗罪が成立するにとどまると主張した。また、第2事件で重傷を負わせた遠藤さんに対する強盗殺人未遂についても「殺害する意思はなかった」と述べた。
2005年11月18日の論告求刑で、検察側は伊田被告に無期懲役を求刑。そして、2006年2月24日の判決公判で、名古屋地裁は「社会に与えた影響は相当に大きく、刑事責任は極めて重い」として、求刑通りの無期懲役を言い渡した。
裁判長は動機について、「飼っていた猫が避妊手術で腹部を切られ、自分だけが不幸との感覚に陥った。幸せそうな若い女性を刺せば、うっぷんが解消されると考えた」と指摘。「動機はあまりに短絡的で身勝手。変装して対象を探し回るなど計画性もある」と述べた。
弁護側の「犯行当時、責任能力がないか、著しく弱まっていた」との主張に対しては、「犯行後に直ちに逃走するなど、行動は合理的」と退けた。
弁護側は閉廷後の会見で、控訴しない方針を明らかにしたため、伊田被告の無期懲役が確定した。