自殺サイト連続殺人事件
2005年8月2日、大阪府河内長野市の河川敷で、女性の遺体がみつかった。
3日後、逮捕されたのは異常な性的サディストの前上博(当時36歳)。自殺サイトで自殺志願者を募った前上は、待ち合わせた女性を残虐な方法で殺害していた。その手口は、「自殺の決意が揺らがないように」と騙して手足を拘束、窒息と覚醒を何度もくり返したあげく、”最後の楽しみ” として絞殺する、というもの。遺体には性的興奮を高めるため、白いソックスを履かせていた。前上が性的に興奮するのは、こういった一連の行為によってのみだった。そして、それは少年時代に父親から受けた ”ある行為” が原因とみられた。
逮捕後、ほかにも2人の殺害が判明した前上は、裁判で死刑が確定。2009年7月28日、死刑執行となった。
事件データ
犯人 | 前上博(当時36歳) 読み:まえうえ ひろし |
犯行種別 | 連続殺人事件 |
犯行日 | 2005年2月19日 2005年5月21日 2005年6月10日 |
犯行場所 | 大阪府河内長野市 大阪府和泉市 |
被害者数 | 3人死亡 |
判決 | 死刑:大阪拘置所 2009年7月28日執行(享年40歳) |
動機 | 快楽殺人 |
キーワード | 白いソックス、窒息マニア |
第1の事件:豊中市の25歳女性
前上博(当時36歳)は、インターネットの自殺サイトでひとりの女性と知り合った。
彼女は豊中市に住む無職・長元美智子さん(25歳)、一緒に死んでくれる人を探すため、この自殺サイトを利用していたのだ。
長元さんは、アルバイト先の人間関係に悩んだのをきっかけにうつ病になり、それ以後自宅に引きこもり、自殺未遂で入院したこともあった。前上はそんな長元さんに対し、一緒に練炭自殺をしようと持ち掛け、彼女も同意していた。
だが、前上に死ぬ気などなかった。これは「死にたい人間なら殺してもいいだろう」という身勝手で残虐な殺人事件の始まりだったのである。
2月19日、前上は長元さんと午後6時に新三国大橋で待ち合わせることにして、午後3時50分頃から現場の下見やレンタカー(トヨタハイエース)の準備をした。三国大橋に向かう途中でビニールテープや白色ソックス、結束バンド、ガムテープなどを購入。木炭は用意しなかった。
午後6時30分頃、先に到着していた長元さんと合流、声をかけてハイエースに乗せた。
午後8時30分頃、大阪府河内長野市の山中の駐車場に到着。前上は練炭自殺の失敗例として、”意識が朦朧とするため無意識にドアを開けてしまう場合がある” ことを彼女に説明し、手足を拘束する了承を得た。こうして結束バンドで手足の自由を奪うと、あとは前上の思い通りだった。
「白いスクールソックス」に強いフェティシズムを持つ彼は、彼女の足にそれを履かせた。そして、いきなり長元さんの口にガムテープを貼り付け、その口を右手で塞いだ。さらに鼻をつまんで息ができないようにすると、もがき苦しんでいた彼女は失神した。その姿に前上は興奮した。
その後、その苦悶の表情を見たいがために彼女の頬を叩いて目を覚まさせ、再び窒息行為を繰り返した。この残虐な行為を、彼は約30分もの長い間続けた。
この残虐な行為により、長元さんの体力はだんだんなくなり、もはやもがき苦しむことさえできなくなった。すると前上は、最後の楽しみとして ”窒息死” させる作業に取りかかる。
口からガムテープをはぎ取ると、意識朦朧となった長元さんが、お経を唱え始めた。前上はそれを意に介さず、20分余りシンナーを嗅がせて失神させた。
そして、長元さんを埋める予定の場所まで車で移動させ、穴を掘った。その後車内に戻り、まだ息のある長元さんの口と鼻を両手で約10分間塞ぎ続けて殺害、性的欲求を満足させた。
遺体は下着1枚の状態にして、山中の砂防ダムに堆積した土砂中に埋めた。
被害者・長元美智子さんについて
長元さんは、母親と兄の3人家族。母親は夫の暴力が原因で、長元さんの出生後に離婚している。長元さんは、夜間の定時制高校に通いながらガソリンスタンドで働き、自分の小遣いを稼ぐようなしっかりした子だったという。
19歳の時、住み込みで働くようになった京都市のパチンコ屋で、同僚の年配女性にいじめられたことがきっかけで精神的に不安定になった。事件前から「死ね」という幻聴が始まり、ベランダから飛び降りようとしたり、練炭を購入したりしていた。
殺害される時にお経を唱えたのは、母娘で宗教を信仰していたためである。
第2の事件:神戸市の男子中学生
長元さんの遺体は、犯行から4日後に発見された。
前上は、捜査の手が自分に及ばないように、自殺サイトにアクセスすることを控えていた。しかし、その後2か月経っても、身元発覚などの続報もないことから、事件が迷宮化するかもしれないと安心し始めていた。
不安な気持ちが薄れてくると、今度は「もう一度、人を窒息死させたい」という性的欲望が強くなってきた。彼は再び自殺サイトにアクセスするようになり、神戸市北区に住む男子中学生の少年A(14歳)と知り合う。そして、3日後に会う約束を取り付けた。
2005年5月21日午後2時頃、少年AをJR南田辺駅まで誘い出し、レンタカーで大阪府泉南郡まで1時間ほど車を走らせた。
犯行の手口は、前回とほぼ同じだった。うまく納得させて手足を縛り、彼にとっては大事な「白いソックス」を履かせた。そして、口にガムテープを貼った上で窒息させ、失神と覚醒を繰り返した。
「お願いやからやめて、人殺しはあかん」と必死に抵抗する少年Aに、かえって性的興奮を高めて窒息行為を繰り返し、失神すると頬を叩いて意識を取り戻させた。
なぜこんなことするのか、と尋ねる少年Aに「俺の趣味や」「呻き声くらい出せるやろ」と言い、デジタルカメラで撮影したり、呻き声を出させるために、みぞおちを思い切り殴りつけるなどした。
午後5時頃、大阪府和泉市に移動。最後はシンナーを嗅がせて失神させ、鼻と口を10分以上にわたって塞ぎ続けて殺害。そして午後5時30分頃、遺体を下着1枚にして大阪と和歌山県境の山中の崖に遺棄した。犯行道具はマンション近くのダストボックスに捨てた。
前上はその後数回にわたって河内長野市内の犯行現場に行き、少年Aの死体をデジタルカメラで撮影している。
さらに遺族をいたぶる行為
少年Aは生前、前上に父親の不満を漏らしていた。それを思い出した前上は、少年Aの父親に苦痛を与えることを目的に、身代金要求の電話をしている。
2005年5月29日午後12時48分頃と午後1時9分頃、大阪府和泉市などの公衆電話から少年Aの父親(当時38歳)の携帯電話に電話をかけた。そしてパソコンで作った合成音声で「お前の息子を預かった。返してほしければ300万円用意しろ。大阪狭山市のミスタードーナツに、明日の午後8時に持ってこい」、「警察に通報すれば、Aの命はない。警察に知らせたら、本当に殺すぞ」などの音声や、録音してあった少年Aの呻き声を聞かせている。
当日、前上はうろたえている父親の姿を見るためにミスタードーナツに行った。しかし、父親は警察の指示で店の外に出ていたので、目的を遂げることができなかった。
前上は父親の携帯に電話をかけ、「Aを殺害した」と伝えている。
第3の事件:東大阪市の男子大学生
3人目の被害者となる近畿大学の男子大学生B(21歳)と会ったのは、2005年6月10日だった。Bは4人兄弟の長男で、ワンルームマンションに一人暮らしをしていた。留年のことで悩んだBは、自殺サイトにアクセスしていたが、前上はそんな彼に練炭自殺を持ちかけていた。
前上は過去2回の経験を踏まえ、ポリ袋片を貼り付けたタオルを準備するなど、犯行も手慣れたものになっていた。
午後4時に狭山小西小バス停前でBと待ち合わせた前上は、午後5時30分頃、レンタカーで大阪府河内長野市の空き地にBを連れて行った。あとは過去2回の犯行と同じように、縛り付けて白いソックスを履かせたうえで、窒息による失神と覚醒を繰り返し、苦悶の表情を堪能した。
ポリ袋片を貼り付けたタオルを使うことで窒息させることが容易になり、そのおかげで1時間以上犯行を続けられた。途中、タバコを吸わせるなどの休憩を数回与えて、体力を回復させたりもした。
「なんでこんなことをするんですか」「ひとりで逝きたくない」「このまま死ぬのはいいから、薬で眠っている間に楽に殺して下さい」と懇願するBに対し、「俺の趣味や。もうちょっと声出せ。悪いけど、俺は死ぬ気さらさらないから」などと言い、最後には15分以上にわたってBの鼻と口をポリ袋片を貼り付けたタオルで塞いで窒息死させた。
窒息方法、失神と覚醒の回数、犯行の時間など、いずれの点も過去2回に比べ、執拗かつ冷酷非道で残虐なものになっていた。殺害後はBの衣服をはぎ取り、午後7時20分頃、遺体を道路脇の山林の崖に遺棄した。
もし逮捕されなければ・・・
2005年8月2日、大阪府河内長野市の河川敷で、長元美智子さんの遺体が発見される。
警察は殺人事件として捜査を開始し、3日後の8月5日に前上博が逮捕された。長元さんが殺害されてから約半年が経っていた。
前上は2004年12月、自殺サイトで長元さんに「一緒に練炭自殺しませんか」とメールを送信。その後、約20回にわたり、メールで自殺予定場所の写真を送ったり、練炭の購入を依頼したりし、自殺志願者を装っていた。殺害後、彼女の衣服や埋めるのに使ったスコップは、付近の池やゴミ箱に捨てたという。また、メールでやり取りした記録も、事前に削除するよう依頼していた。
前上は「口を塞いだ相手が苦しむ様子に性的興奮を覚えた」と供述している。
その後の調べで、前上は神戸の少年Aと男子大学生Bの殺害も自供、供述通り白骨化した遺体も発見されたため、3件の殺人事件は一応の解決をみせた。
しかし警察によると、前年10月以降、前上は別の複数のサイトでも書き込みしており、次のターゲットを探していたことがわかっている。
彼は、自分の意志で犯行を終わらせることは、できなかったのかもしれない。
犯人・前上博の生い立ち
前上博は、1968年8月8日に大阪府で生まれた。父親は「和歌山カレー事件」の捜査を担当していた警察官だった。母親はタイプライターの内職をしていた。
父親は育児には参加せず、母親にまかせきりだったが、母親のしつけは異様に厳しかった。言うことを聞かなかったり、人前であいさつができなかったりすると、お灸や線香の火をお尻に当てられるということが低学年の間は月1、2回はあった。布団叩きで叩かれることもあったという。それに反抗するとやり返されるので、前上は我慢していたという。
前上は、小学4年生の時に読んだ江戸川乱歩の小説の中で「麻酔を嗅がされ失神するシーン」に性的興奮を覚える。その後、父親から窒息させられそうになる出来事があり、「窒息」に対して異常に興奮するようになった。(詳細は下記「前上博の父親について」参照)
そして、同級生を窒息させる空想にふけるようになる。
この出来事以降一貫して、人の鼻と口を、手や薬品を染み込ませたガーゼでふさいで、人が苦悶する表情を見ることで性的興奮を感じるようになった。そして、その様子を思い出しては自慰行為を繰り返している。その対象は男女を問わず、小学生から成人まで様々だった。
通常の男性のように、女性の裸などを見て性的興奮を感じることも、女性と性交渉をもつことも一切なかった。
小学5年生になった4月、下校途中に見かけた低学年の女児を追いかけ、後ろから右手で口をふさいでしまう。これが彼が初めて起こした ”事件” であった。
それ以降、突発的に口をふさぐ行為はエスカレートし、興奮度合いも増していく。このことは、地元では警察を含め把握されていた。
小学校を卒業後、地元の中学校・高等学校を経て、1987年に石川県内の工業大学情報・工学科に入学。大学1年の時、友人のアパートを訪ねた際に、突然友人へのイライラ感が湧きあがった。そして背後から馬乗りになり窒息させようとして無期停学処分となる。結果的に翌年春に自主退学した。
その後、印刷インク会社の配達業務、印刷工などの職を転々とした後、公務員試験に合格、1993年4月から郵便局で配達等の仕事をしていた。ところが、1995年2月に同僚に対して窒息させようとしたり、スタンガンを押し当てる暴行事件を起こして逮捕。起訴されることはなかったが、職場は解雇された。彼はこの時の記憶がないという。
前上博の前科
1995年5月からは、逮捕勾留や服役を除けば、運搬会社、タクシー運転手などの職を転々とする。
2001年3月、通行中の女性の背後からベンジンを染み込ませたタオルを口と鼻に押し当てる暴行事件、6月には、通行中の少女に同様の暴行を加えて約1週間の傷害を負わせた傷害・暴行事件を起こし、懲役1年(執行猶予3年)となった。
この執行猶予期間中の2002年4月、通行中の男子中学生に対し、いきなりゴム手袋をした手で口を押さえ込んで転倒させるという傷害事件を起こす。この事件で2002年8月に懲役10カ月の判決を受けると同時に、前刑の執行猶予が取り消され、併せて服役することになった。出所は2004年3月29日。
このような事件を起こすたび、前上の父親は退職金で被害者に慰謝料を払っていた。
2004年5月から本事件で逮捕される2005年8月5日までは、人材派遣会社に登録して、印刷機械の製造工として働いていた。また、被告人は、1999年12月から2005年2月までの間、結婚を前提として交際する女性がいたが、性交渉はなかったという。
前上博の通院歴
1995年2月の郵便局の同僚に対する事件をきっかけに精神科に通院するようになり、主治医から解離性障害との診断を受け、その後定期的に通院していた。
1996年10月頃、記憶の欠落という症状が出て、約2か月間入院している。それ以後は記憶の欠落はない。
前上は、服役中の2002年5月頃、主治医に初めて自分の性癖を告白する内容の手紙を書いた。出所後の2004年4月から逮捕される前の2005年7月26日までの間、おおよそ2週間に1回の割合で通院を続けていた。
この間、主治医や臨床心理士に対し、不眠やうつ症状を訴えて、睡眠薬や抗うつ剤の処方を受けたことがあるものの、離人感や健忘などの症状を訴えることはなかった。
また、2004年10月に一度だけ「人を襲って窒息させたい性的衝動が抑えきれず、ゴム手袋を買ってしまった」と相談したことがあったが、それ以外は、本事件の犯行を打ち明けたり、性的衝動を抑える手段等について相談することもなかった。
犯行を思いついた経緯について
出所後3か月が過ぎた2004年7月頃、過去の事件を思い出して性欲を満たすだけでは我慢できなくなった。そして、窒息プレイをしたいという欲求は、抑えきれなくなっていく。
そんな時、たまたま見かけたファーストフード店の店員をターゲットにしようと自宅まで調べたが、窒息しさせたあとの遺体処理の方法が思いつかず断念。この店員は、白いスクールソックスを履いていた。
2004年10月頃には、インターネットのSMサイトで窒息行為を受けたい人を募集したが、適当な相手を見つけることができなかった。
そんな2004年12月頃、自殺サイトにおいて、「練炭自殺をしたときの睡眠薬の効きが悪く、無意識に車のドアを開けて警察に駆け込んで失敗した」「次回は失敗しないように手足を縛ることが重要だと思う」との書き込みを見る。
前上は、練炭自殺を一緒にやると騙して相手を誘い出し、この失敗談を口実に手足を縛ることを思いつく。この方法で、抵抗も逃げられもせずに、思う存分窒息プレイが楽しめて、最後は窒息死させられると考えた。
そこで、自殺サイトに「練炭自殺の計画あります。もしよろしければご一緒しませんか」などと投稿し、網にかかる獲物を待っていた。
前上博の父親は警官
この事件を語る上で、父親の存在は欠かせない。
彼の父親は白バイ隊員で、表彰されたこともある優秀な警察官だった。しかし、私生活では暇があれば酒を飲み、家庭を顧みることはなかった。
前上が小学4年生の時、印象的なある出来事が起こる。
ある日曜日の朝、父親が近寄ってきたかと思うといきなり突き倒され、お腹の上にしゃがみこんだのだ。声を出して助けを求めるも、息ができずだんだん苦しくなり、死を覚悟した時、母親に助けられた。
その後1ヶ月の間に、母親の不在時に同じことがあと2回(合計すると3回)起こっているのだ。この時、父親は ”能面” のように無表情だったそうだ。
臨床心理士の長谷川博一氏によると、この時父親に「解離」が起こったのではないかと推測している。
(解離:心の破綻から自らを守るために、無意識的に心の機能を部分的に切断する作用の総称)
私の推測ですが、「飲酒前」「突然」「無言」「能面」といった情報から、父親が何らかの意図を持って行ったものではないと考えています。
「殺人者はいかに誕生したか」長谷川博一・著
恐らく父親に解離が生じ、その行為の記憶すらない中で、抑圧されていた息子への負の感情が放出された・・・。
つまり、父親自身が、幼少期に何らかの心的外傷体験、それも自分の父親からのものを有していたのではないかということです。それは優秀な白バイ隊員という「表の顔」と、酒に溺れ家庭を顧みず不祥事も起こすという「裏の顔」、この二極化した人格を作らせた原因にもかかわる秘密です。私の虐待の心理臨床の経験から来るカンは、そう強く主張するのです。
この ”窒息体験” と本事件には、関連があるのではないか?というのが長谷川氏の見解である。
1994年、前上が25歳の時、職場でたびたび解離が起こっている。ひどいものになると、その年の12月28日頃~2月頃までの記憶がないそうだ。
この間に、前上は同僚に対し傷害事件を起こし解雇されている。何をしたかというと「白いソックスを履いた同僚を、窒息させようとした」のだ。もちろん彼にはその記憶はない。この事件については「明らかに精神状態に問題がある」として起訴はされていない。
アスペルガー症候群とサヴァン症候群
前上博は、IQ128といわれている。
IQの平均値は100であり、85~115の間に約68%の人が収まり、70~130の間に約95%の人が収まる。128という数値は、一般的には高いということがわかる。
本来なら ”頭がいい” はずの彼は、学校で先生の質問にすぐに答えられずに「無視するのか」と怒鳴られたりしている。臨床心理士の長谷川博一氏は、彼との対話の結果、彼はアスペルガー症候群だと考えている。この症候群の人は、言外の意味を汲み取れず、”文字通り” にしか理解できない。
例えば「お風呂見てきて」と頼まれた時、普通は「湯加減」を見てくるのに対し、アスペルガー症候群の人は本当に「お風呂」そのものを見てくるそうだ。この症候群の人には「お風呂の湯加減を見てきて」といわなければ伝わらない。
前上の場合も、先生の投げかける抽象的な質問に、どう答えていいかわからず黙り込んでしまうことが多かったという。「最近どう?」と聞かれたら、最近あったことすべてを言うべきか、迷って答えられないのだ。
アスペルガー症候群と前上の性癖に関連があるとすれば、下記の3が思い当たる。彼が異常なまでに窒息や白いソックスにこだわり続けた理由がここにあるのかもしれない。
- 具体性のないことや抽象的なことが理解できない
- 相手の立場に立つことや場の空気を読んで行動や発言することが苦手
- 興味の対象が偏っていると言われる、興味があることにのめり込みすぎる
- 計画を立てることやスケジュールの管理ができない
- 他人とのコミュニケーションがうまく取れない、話が噛み合わないことがよくある
- 臨機応変な行動が苦手、とっさの判断がうまくできない
- 自分の決めたルールを守らないと気持ち悪い
「殺人者はいかに誕生したか/長谷川博一・著」より引用
また、前上は異常なほどの記憶力を持っているという。
これはサヴァン症候群といい、例えば一度見た景色を、写真のように覚えてしまう。サヴァン症候群は自閉症の人の10人に1人の割合でいるといわれている。
裁判
2005年12月2日、大阪地裁で行われた初公判で、前上被告は起訴事実について全面的に認めた。
弁護側の請求によって行われた精神鑑定は、以下のような結果だった。
- 性的サディズム、フェティシズム(性的倒錯の一種)、反社会性人格障害の混合状態だった
- 物事の善悪を認識する能力が、著しく減退していたとは思われない
- 心神耗弱状態にはなかった
前上被告は「人を殺した時の感触を鮮明に覚えており、忘れたくても忘れることができず、現在に至っても他人をいたぶらないと情緒不安定になる」と発言している。
実際、公判で凶行の詳細が説明された日には、拘置所に帰ってから衝動的に未決囚仲間や看守に殴りかかるという暴力沙汰を起こしている。
2007年2月20日の論告で、検察側は「特異な性癖を認識しながら、欲望だけを追求した犯行で、公判で人ごとのように事件を語るなど犯罪傾向は根深く、遺族の処罰感情も厳しい」と指弾。そして「ゆがんだ性欲のため、4ヶ月間に3人を殺害した犯罪史上例をみない凶悪な犯罪。被害者を何度も失神させ、苦痛を与え続けて窒息死させるなど犯行は凶悪非道で更生は不可能」とした。
2月23日の最終弁論で弁護側は、男子中学生と男子大学生の2件については自首の成立を主張。犯行当時の刑事責任能力についても、「行動制御能力が著しく失われていた」と指摘した。
前上被告は「私が犯した罪は、命をもって償うほかない。どのような判決であれ受け入れるつもりだ」と話した。さらに、退廷まぎわに遺族に向かって頭を下げ「申し訳ありませんでした」と謝罪した。
第一審判決は死刑
判決で裁判長は「特異な性癖を満たすため、4カ月で3人の尊い命を奪った残忍・冷酷な犯行だ。更生も極めて困難」と述べた。また、前上被告が「殺害状況を詳細に記憶し、証拠隠滅のためにメールを削除、犯行に使ったレンタカーの車内を清掃している。精神鑑定の結果も信用できる」として、刑事責任能力を認めた。
その上で「人を窒息させることに性的興奮を覚えるという、特異な性癖を備えたこと自体は、被告にとっても不幸だった。しかし、性欲を満足させるために他人の生命をいとわないという、余りにも自己中心的で身勝手な動機に酌量の余地はない」と前上を厳しく指弾した。
裁判長は被害者3人が自殺志願者であったことにも触れ「練炭自殺による安らかな死を望んでいたのに、拷問により死なせた」と指摘した。窒息で苦しむ姿に興奮するという性癖について「被告に非はなく不幸だ」と言及したが、遺族の処罰感情や犯行の残虐性などを考慮した上で「極刑をもって臨むほかない」と結論付け、死刑を言い渡した。
弁護側は即日控訴したが、前上は2007年7月5日付けで控訴を取り下げたため、死刑が確定した。
2009年7月28日、森英介法務大臣の執行命令書捺印により、前上博の死刑が執行された。(享年40歳)死刑確定から2年という早さであった。同日には大阪姉妹殺害事件の死刑囚他1名の死刑も執行されている。