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あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件|敬語で強盗した元公務員

沖倉和雄/あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件 日本の凶悪事件

「あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件」の概要

東京都あきる野市の元職員・沖倉和雄(当時60歳)は賭け麻雀などで多額の借金があった。返済に困窮した沖倉は麻雀仲間の男を誘い、資産家の家に強盗に入ることを計画する。

2008年4月9日、沖倉と共犯者はあきる野市の資産家姉弟の家に侵入。「強盗です。お金を出してください」と敬語で脅して現金とキャッシュカードを奪ったうえで姉弟を殺害した。裁判では首謀者の沖倉に死刑、共犯者に無期懲役が確定。だが、その7か月後、沖倉は獄中で病死した。

事件データ

主犯沖倉和雄(当時60歳)
判決:死刑(東京拘置所)
2014年7月2日、脳腫瘍のため死亡(66歳没)
共犯伊丸岡頼明(当時64歳)
判決:無期懲役
犯行種別強盗殺人事件
犯行日2008年4月9日
犯行場所東京都あきる野市
被害者数2人死亡
動機賭け麻雀による借金苦
キーワード元公務員

事件の経緯

東京都あきる野市元職員の沖倉和雄(当時60)は、2004年12月に勧奨退職してスナックの経営を始めた。しかし、店は流行らず失敗。これに麻雀の負けがかさんで約4700万円の負債を抱えてしまった。その返済に窮していた沖倉は、金を得る方法として強盗を思いつく。

沖倉は市役所の元同僚から、”あきる野市に住む資産家の姉弟” の情報を入手していた。姉弟は姉の図書館職員・大福康代さん(当時54)と弟の無職・大福広和さん(当時51)で、沖倉は2008年2月中旬に姉弟宅を下見するなど、強盗の標的に決めていた。

2008年4月1日、約3年前に福生市内の麻雀店で知り合った、福生市本町に住む元暴力団組員で土木作業員の伊丸岡頼明(当時64)に話を持ちかけた。伊丸岡も会社や飲食店経営の失敗で約1700万円の借金があったため、会社を再興するためのまとまった金欲しさにこれを承諾した。

沖倉は、伊丸岡を誘う前に麻雀仲間3人に声をかけたが断られていた。

強盗殺人を実行

4月9日午後8時頃、沖倉と伊丸岡は鍵のかかっていない勝手口から侵入。この時、家には弟の広和さんだけが在宅していた。沖倉は「強盗です。お金を出してください」と敬語で脅迫し、伊丸岡が広和さんの両手足を粘着テープで拘束すると、2人で室内を物色した。

その最中、間の悪いことに姉の康代さんが帰宅する。すると、沖倉は再びサバイバルナイフを突きつけて「私は強盗です。お金を盗りに来ました」と脅迫した。伊丸岡が康代さんの両手足にも粘着テープを巻きつけ、弟同様に拘束した。そのうえで室内を物色して、現金35万円とキャッシュカード35点を奪い、キャッシュカードの暗証番号を聞き出した。

翌10日午前1時頃、沖倉が康代さんの頭部に、伊丸岡が広和さんの頭部にそれぞれポリ袋をかぶせ、首に粘着テープを巻いて密封。これにより、姉弟は2人とも窒息死した。朝になって、沖倉は康代さんの職場に「姉は体調を崩して休む」と弟を装って電話した。

同日、沖倉は300万円を借りていた知人男性に「姉の口座から金を下して返済する」と連絡した。その際、姉の代わりに金を引き出す女性を連れて来るよう依頼。知人男性とその知り合い女性を立川市内の銀行に同行してもらい、奪ったキャッシュカードで康代さんの口座から金を引き出そうとした。

女性にはあらかじめ康代さんの生年月日を教えておいたが、窓口で女性がそれを忘れて別人と見破られてしまう。結局、委任状がないと下せないと断られて失敗した。同行した2人は事件とは無関係で、沖倉の姉の口座だと信じていた。知人男性は「お姉さんに委任状をもらいに行こう」と促したが、沖倉ははぐらかした。

同日夜には、沖倉は福生市内の麻雀店で、店長に約50万円の借金を返済。店長に「ありがとう」と言われ、明るい声で「あいよー」と答えたという。この時、沖倉が左手に包帯を巻いていたことを麻雀仲間が覚えていた。どうしたのか尋ねると、沖倉はやや焦った様子で「車をいじっていたら、突然ボンネットが閉まって挟まれた。血が出て大変だった」と答えている。

供述から遺体発見

4月9日から14日にかけ、沖倉と伊丸岡は奪ったキャッシュカードを使用し、ATMで合計約526万円を引き出した。4月13日には、遺体を姉弟の自宅から北西に約150km離れた長野県飯綱町赤塩の山中に、重機で穴を掘って埋めた。埋めた場所は沖倉の義弟が使用していた休耕地だった。

その後、康代さんの車が最寄りの駅近くの駐車場に放置されていることが判明。また、康代さんが欠勤するという ”弟を名乗る男の電話” も不審であることから、警視庁捜査1課は『姉弟が事件に巻き込まれた』とみて捜査を開始した。

すると、4月9日夜から14日午後にかけて、マスクなどで顔を隠した男が複数のATMから計15回、姉弟の口座から現金を引き出したことが判明。防犯カメラの映像を分析した結果、沖倉と伊丸岡が浮上した。賭け麻雀での多額の借金を、沖倉が最近になって返済していることもわかった。

また、姉弟の自宅からは土足で踏み込んだような跡や血痕が見つかった。DNA鑑定の結果、沖倉のものと一致。沖倉の左手には、姉弟を襲撃した際に抵抗されて負傷したとみられる傷があった。

4月21日、沖倉と伊丸岡は窃盗容疑で逮捕される。沖倉は「姉弟のことは知らない」と否認していた。しかし5月7日、伊丸岡の供述に従い、朝から遺棄現場を捜索したところ、夕方になって1メートルほど掘り下げた穴から2人の遺体を発見。上に広和さん、下に康代さんが折り重なるように埋められていた。普段着のままで手足を粘着テープで縛られており、康代さんは口もふさがれていた。司法解剖の結果、2人の死因は窒息死とみられた。

遺体発見に観念したのか、沖倉は一転して死体遺棄と殺害を認めた。警視庁は遺体発見の翌日となる5月8日、沖倉と伊丸岡を死体遺棄容疑で再逮捕。5月29日には強盗殺人容疑で再逮捕した。

主犯・沖倉和雄について

沖倉和雄/あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件
沖倉和雄

沖倉和雄は大学卒業後、いくつかの職を経て1997年4月に本籍地の秋川市(現・あきる野市)の市役所に採用された。それから27年間にわたって勤務していたが、2004年12月31日付で勧奨退職。公務員としての仕事ぶりはまじめで、前科前歴もなかった。

「飲み屋の経営がしたい」と周囲に語っていた沖倉は、市役所を退職したあとスナック経営を始めた。店は退職金約2600万円の一部を元手にして、福生市内の繁華街で開店させたが、麻雀賭博にはまってしまう。

市職員時代も麻雀好きで有名だったが、高額な金を賭ける麻雀賭博に手を染めたのは退職後。麻雀仲間によると、「30分で10万円が動くほどの高レート」で退職金の残金をつぎ込んだという。

負け分を取り返すために借金してまで賭け麻雀を続け、結局は借金を増やすという悪循環に陥った。そのため、事件前年の春頃には資金繰りの悪化からスナックも閉店。知人らによると、野球賭博にも手を出していたという。

2008年2月時点で、沖倉は約4700万円の借金を抱えていた。事件の3か月前から「姉が土地と建物を売り、数千万円を手に入れる。それを借りて借金を返せる」と吹聴して回っていたが、警視庁ではこのころから犯行を計画していたとみている。

死刑確定後、獄中死

2008年4月9日、本事件を起こす。犯行後、数日かけて奪ったキャッシュカードで計526万円を引き出した。その金で4月14日に40万円を返してもらった男性は、沖倉の顔が青白くげっそりしていたのを見ている。この時、すでに捜査の手が沖倉におよんでいたのだ。沖倉は翌日からも毎日ATMで50万円ずつ引き出して返済すると約束したが、警視庁が姉弟の口座を凍結したため、それ以上の返済はなかった。

また、沖倉は少しでも遠くに逃げたかったようで、4月18日に唐突に知人男性を誘って山梨県の温泉に一泊している。さらには「熊本県に車で行こう」と男性を誘っていたが、4月21日に窃盗容疑で逮捕となったため実現しなかった。

その後、強盗殺人容疑でも再逮捕となり、裁判では2013年12月17日、最高裁で死刑が確定した。

共犯の伊丸岡頼明も、犯行後は滞納していた家賃を支払ったり、いつものスウェットではなく小ぎれいなスーツ姿で麻雀店に来店していたという。

沖倉は勾留中の2013年6月に肺がんが見つかり、その後転移。2014年6月から拘置所の集中治療室に移っていた。そして、死刑確定から約7ヶ月後となる2014年7月2日未明、脳腫瘍のため収容先の東京拘置所で死亡した。(66歳没)

被害者の姉弟について

被害者の大福さん姉弟は駐車場などの不動産を所有しており、1998年11月には自宅近くの土地を売却して約3億3000万円を得ていた。地元では資産家として知られていたが、古い木造の家で質素な生活を送っていた。

姉の大福康代さんは調布市立図書館で司書として働いており、職場ではチーフ的な存在だった。弟の大福広和さんは物静かな性格だったが、寺の檀家の総代を務めていた。

姉弟は近所の人からジャガイモや茄子などの季節の野菜をもらう度に「本当に助かりますよ」と顔をほころばせ、頭を下げていた。知人たちは「人に恨まれるような姉弟ではない」と口をそろえた。

裁判

裁判の争点は、『犯行のいきさつ』と『犯行の主従関係』だった。2009年3月9日の初公判で、沖倉和雄被告、伊丸岡頼明被告はともに罪状認否で「間違いありません」と述べ、起訴事実を認めた。

検察側は冒頭陳述で、「沖倉被告が市役所の元同僚から『男性は資産家』との情報を得て、元同僚らに犯行を持ちかけたが断られた」と明かした。そのうえで「金に困っていることを知っていた伊丸岡被告を誘った」と指摘した。

弁護側は冒頭陳述で、「沖倉被告は計画後1ヶ月以上も実行できなかったが、伊丸岡被告を誘ったことで強力な推進力を得たと指摘。「伊丸岡被告が男性の頭に袋をかぶせたので、自分もやらねばしょうがないと思った」と主張した。

一方、伊丸岡被告側は、強盗した際に被害者を殺害する話は聞いていたが、「見張りや被害者を縛るだけと認識していた」と主張し、「犯行は沖倉被告の主導で行われた」とした。

沖倉被告に死刑求刑

3月16日の論告求刑で検察側は「計画段階から沖倉被告が主導した。2人は遺体を遺棄するなど完全犯罪をもくろんだ。両被告の間には明白な主従関係があり、求刑において考慮せざるをえない」と指摘。沖倉被告について凶器や道具の多くを準備したことや、伊丸岡被告が加わったことで計画内容が変更されていない点などを重視。「借金苦を免れたいとの動機に酌量の余地はなく、死刑以外の選択の余地がない」と指摘した。

一方、伊丸岡被告については「供述によって姉弟の遺体が発見され、全容が明らかになった」として、死刑選択を回避した。

同日の最終弁論で、沖倉被告側の弁護人は「犯行計画は中身の薄い稚拙なもの。実行する気はなかった。計画を作ったのは沖倉被告だが、徐々に伊丸岡被告が主犯になった。沖倉被告が、殺人を実行する決意がないうちに、伊丸岡被告が弟を殺害し、これに影響されて犯行に至った。検察官と伊丸岡被告がタッグを組み、沖倉被告と対立している」と主張。伊丸岡被告側は「沖倉被告が一貫して主犯格で、被告は従属的立場だった。沖倉被告の供述は信用できない。逮捕後は反省し、捜査に協力してきた」などと主張した。

結審前、裁判長が「最後に何か言いたいことは」と尋ねると、沖倉被告は「私は人を殺しました。迷惑をかけました」と声を振り絞った。また、伊丸岡被告は「私が自供したのは有利・不利を考えたのではない」と改めて述べた。

沖倉被告に死刑

2009年5月12日の判決公判で、東京地裁は沖倉被告に死刑を、伊丸岡被告に無期懲役を言い渡した。裁判長は「両被告とも借金の返済に窮した犯行動機で、あまりに身勝手で酌量の余地はまったくない」と指弾した。

また、両被告への死刑選択も考慮する必要があるとしたうえで、それぞれが果たした役割や逮捕後の態度を検討。沖倉被告が殺害方法や死体遺棄の場所などを事前に決めていたことから、「終始指導的な立場で、中心的な役割を果たした」と主導性を認定した。

伊丸岡被告については「自供して事件の解明に協力し、心底からの反省と悔悟も認められる」と死刑回避の理由を述べる一方、「本来の責任は重く、一定の年齢にあることを考えると、仮釈放を許すことは適当ではなく、生涯、刑務所で罪の償いをさせるべきだ」と、異例の付言をした。

沖倉被告への死刑宣告については、「被害者の恐怖や苦しみを想像すると戦慄を覚える。すべてを計画したうえで凶器を用意し、何ら落ち度のない2人の命を奪った。遺族の処罰感情も峻烈で、社会に与えた衝撃や不安も大きい。自己の責任を軽くしようとあいまいな供述をしており、真剣に反省しているか疑問だ。死刑の選択を避けるべき特別な事情はない」と厳しく批判した。

この判決に沖倉被告側は即日控訴したが、伊丸岡被告は控訴しなかったため無期懲役が確定した。

沖倉の控訴棄却

2010年8月9日の控訴審初公判で、弁護側は一審に引き続いて「伊丸岡受刑囚が主導した」と主張。「一審判決は重大な事実誤認や量刑不当がある」として死刑適用の回避を求めた。一方、検察側は控訴棄却を求めた。

9月6日の第2回公判では、沖倉被告が「被害者の人生をめちゃくちゃにし、手を合わせる毎日です」と謝罪した。

2010年11月10日の控訴審判決公判で、東京高裁は一審判決を支持し、沖倉被告側の控訴を棄却した。裁判長は「賭け麻雀による多額の負債を返済しようとする、利欲的な動機に基づく計画的犯行だ。冷酷・残虐で、何の落ち度もない2人の命を奪った結果は重大」と指摘した。

また、伊丸岡受刑囚と比べ、沖倉被告は計画段階では主導的立場にあり、犯行時もほぼ同等の役割を果たしたとして、「共犯者に比べて負うべき刑事責任は極めて重く、死刑の選択はやむを得ない」と結論づけた。

死刑確定

2013年11月26日の上告審弁論で沖倉被告の弁護側は、「ほぼ同等の役割を果たした伊丸岡受刑囚と沖倉被告に、死刑と無期懲役を分けるほどの差は認められない」として死刑判決の破棄を主張。対する検察側は、「計画の立案など犯行を主導したのは沖倉被告で、2人の刑事責任には格段の差がある」と反論し、上告棄却を求めた。

2013年12月17日の最高裁判決で上告が棄却され、沖倉被告の死刑が確定した。裁判長は「借金返済という動機に酌量の余地はなく、計画性は高い。殺害方法は極めて残忍。沖倉被告が2人を殺害して金を奪う計画を立案し、共犯者を誘い入れた首謀者。犯行によって共犯者の3倍以上の現金を得ており責任は格段に重い。何の落ち度もない被害者の生命を奪った結果は重大で、死刑はやむを得ない」と指摘した。

沖倉和雄死刑囚は2014年7月2日未明、脳腫瘍のため収容先の東京拘置所で死亡した。(66歳没)沖倉死刑囚は勾留中の2013年6月に肺がんが見つかり、その後転移。2014年6月から拘置所の集中治療室に移っていた。

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