世の中には人に恨まれるおぼえのない人間が、人違いで殺されるという、なんとも後味の悪い事件があります。
犯人が人違いを認めているもの、未解決でも人違いの可能性が限りなく高いものなど、4つの事件を紹介します。
1. 千葉市病院置き去り死亡事件
2020年9月3日、千葉市若葉区の病院「千葉中央メディカルセンター」敷地内に、埼玉県越谷市の島村智広さん(32)が男2人に置き去りにされた。島村さんは全身に殴られたような痕があり、その後、同病院で死亡が確認された。
千葉東署によると、夜間、病院を訪れた20~30代くらいの男性2人が、警備員に「この人をお願いします」と話し、車で立ち去ったという。
翌日4日、埼玉県警草加署に自称建設業・田中大樹(36歳)が出頭した。田中は3日未明に「埼玉県八潮市内の駐車場で島村さんを暴行して車で連れ去り、千葉市内の病院に意識不明の状態で放置して立ち去った」と供述したため、警察は死体遺棄容疑で逮捕した。
その後の9月7日、共犯の自称無職・渡部俊文(42歳)が出頭し、同じく死体遺棄容疑で逮捕されている。 島村さんを駐車場で見つけた渡部が名前を尋ねた際、島村さんは「島村」と名乗ったが、ふたりは「嘘だと思った」といい、島村さんに暴行した旨の説明をしたという。
島村さんは人違いで殺された
捜査関係者によると、2人は反社会的グループの先輩後輩の間柄だった。渡部の供述によると、島村さんが乗っていた車の ”実質的所有者” から「数百万円を取られた」ため、島村さんの乗っていた車にGPSを付けて追っていたという。
島村さんは3日午前1時過ぎ、埼玉県八潮市の飲食店駐車場にこの車を止めていたところを、車の所有者と間違われて襲われ連れ去られた。そして午前4時45分ごろ、数十キロ離れた千葉中央メディカルセンターに遺体で放置されたのだ。襲撃を持ち掛けたのは渡部だった。
司法解剖の結果、島村さんの死因は頭蓋骨骨折を伴う頭部の重い損傷と判明。鈍器などで複数回殴られ、負傷して短時間で死亡した可能性がある。
判決
2021年8月24日、千葉地裁は田中大樹に懲役11年の判決を言い渡した。
判決理由で裁判長は、弁護側が「病院に救命を頼んだ」として無罪を主張した死体遺棄罪に関し、公判での証言などから「死亡しているかもしれないとの認識はあったと推認できる」と判断。「生死の結果も聞かず、すぐに病院を立ち去ったのは、死んでいても構わないという意思の表れといえる」と弁護側の主張を退けた。
2022年3月31日には渡部俊文の判決公判が開かれ、千葉地裁は懲役14年(求刑15年)を言い渡した。
裁判で渡部は「亡くなっていたとは認識していなかった」と述べ、死体遺棄罪の起訴内容を否認していた。
裁判長は「病院に運び込まれた時点で、被害者は呼吸と心拍が停止していたと推認できる。死亡している可能性が高いと、被告らは認識していた」と指摘。そのうえで「自宅で金を盗まれた被告は、知人に制裁を加える目的で犯行を計画した。無関係であるにも関わらず、人違いで暴行され命を落とした被害者の無念は察するにあまりある」と述べた。
2. 井の頭公園バラバラ殺人事件
1994年4月23日午前、東京都三鷹市にある井の頭恩賜公園のゴミ箱から、遺体の一部が27個発見された。それらは同じ大きさに均一に切断され、完璧に血抜きされていた。
遺体は「両手足」と「右胸部」のみで、指紋は削られていたが、わずかに残っていた掌紋とDNA鑑定などから、被害者は公園の近くに住む一級建築士の川村誠一さん(当時35歳)と判明した。奇異な状態の遺体からは死因や死亡時刻は特定できなかった。
川村さんは21日の夜に同僚と別れてから、行方がわからなくなっている。捜査本部は当初、その猟奇的な手口から怨恨による犯行とみて捜査を進めた。しかし、川村さんの周辺にトラブルはなく、怨恨の線は消えた。
その後、犯人に結びつく物証や情報も見つからず、 2009年4月23日公訴時効が成立した。
人違いで殺された?
時効から6年後の2015年、川村さんは人違いで殺されたかもしれないという話が出てきた。
当時この地域に、川村さんと顔も背格好も年齢も瓜二つの男性がいた。それは露天商の元締め的存在の男性で、トラブルの多かった外国人露店商を追い出そうとして、逆に命を狙われていた。この外国人露店商たちは、実は某国の工作員だったのだ。
ある夜、身を隠すため都内のビジネスホテルに潜伏していた男性は、ニュースでこの事件を知る。
そして被害者の顔を見たとき「この人は私と間違われて殺されたと確信した」と語っている。
3. 岩手17歳女性殺害事件
2008年7月1日 午後4時30分ごろ、宮城県栗原市に住む佐藤梢さん(17)の遺体が、岩手県川井村(現宮古市)の松章沢の川床で見つかった。司法解剖の結果、絞殺による窒息死で死亡推定日は6月30日。首を絞められたあと、橋から突き落とされたと見られた。
7月29日、殺人容疑で小原勝幸(当時28)に逮捕状が出され、全国指名手配された。被害者の佐藤梢さんは、小原の恋人の親友だった。その恋人の名前は、なんと被害者と同姓同名の「佐藤梢」だった。しかも2人は高校時代の親友同士だったのである。
しかし、警察は ”佐藤梢が2人存在する” 事実に気付いていなかった可能性がある。遺体発見のあと、警察が安否確認を行ったのは、”小原の恋人のほう” の佐藤梢さんだったのだ。
先輩と揉めていた
小原は当時、ある先輩から紹介された仕事を数日で逃げ出し、それが原因でこの先輩と揉めていた。謝罪に訪れた小原は先輩から脅され、120万円の借用書を書かされる。その際、連帯保証人に恋人の梢さんの名前を書いていた。
小原はこれを支払うことなく逃げ回っていたが、そのことが事件を引き起こしたと推測されている。しかし、真相は不明だ。なぜなら小原は事件後の2008年7月2日、自殺の名所でもある「鵜の巣断崖」で目撃されたのを最後に行方がわからなくなっているからだ。
現在、小原は指名手配されて300万円の賞金がかけられている。
この事件では、真相を追ったジャーナリスト・黒木昭雄さんが謎の自殺を遂げるなど、不可解なことが多い。黒木さんは「被害者は、小原の恋人と間違われて殺された可能性が高い。真犯人は別にいて、小原本人も消されてるかもしれない」と主張していた。
4. 六本木クラブ襲撃事件
2012年9月2日、東京・六本木のロアビル2階にあるクラブ「フラワー」で暴行殺人事件が発生した。午前3時40分頃、目出し帽姿の10人ほどの男たちが店に乱入し、客の藤本亮介さん(31)を金属バットで袋叩きにして死亡させた。死因は頭蓋骨損傷による失血死または脳幹部損傷とみられた。同席していた友人2名も殴られ軽傷を負った。
事件当時、店内ではイベントが開催されており、大音量のなか500~600人の客が居合わせたが、犯行はVIPルームで行われ、ほとんどの客が事件に気付かなかった。事件後、男らはワゴン車2台に分乗し埼玉県内へ逃走した。
2013年1月、警視庁麻布署捜査本部は、凶器準備集合容疑で関東連合のメンバー15人を逮捕したが、リーダーの見立真一ほか2人はいまだ逮捕されていない。見立は海外逃亡中とみられていたが、整形して別人になりすまして帰国しているという情報もある。
逮捕された元リーダーの石元太一らの証言によれば、藤本さんを人違いにより殺害してしまったことを認めている。なお、ライターの鈴木智彦氏が2013年1月号の週刊誌「週刊文春」でいち早く人違い説を発表していた。
4年越しの復讐だった
関東連合OBの証言によると、2008年の見立真一の誕生パーティーの日、関東連合主要メンバーが金属バットを持った集団に撲殺されるという出来事があった。この「六本木クラブ襲撃事件」は、これに対する4年越しの復讐だったのだ。
人違いの原因は、相手グループのリーダーの仕組んだ罠だったという見方もある。本当のターゲットの人物は、古傷のため右足を引きずるような歩き方をしていたが、被害者の藤本さんも同じ特徴の歩き方をしていたのだ。それをうまく利用して勘違いさせたのではないか、というのである。
公判の結果、傷害致死罪で起訴された9人について、懲役13年が1人、懲役11年が4人、懲役10年が2人、懲役8年が1人、そして石元に懲役15年が言い渡された。凶器準備集合罪のみで起訴された6人には懲役1年6月(執行猶予4年)となった。
この事件のあと関東連合は完全に崩壊し、六本木の勢力図が変わったといわれている。
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