宮崎2女性殺人事件
1997年6月18日、宮崎県国富町の山中で、行方不明中の女性が遺体で発見される。
警察は、被害者のキャッシュカードで200万円を引き出した石川恵子を逮捕。当初、シラを切ろうとした石川だったが、遺体写真を見せられて号泣し、犯行を認める供述を始めた。
彼女は、前年にもうひとり殺害していたことを供述したが、この時奪った金はわずか9500円、動機は父親の会社の借金穴埋めのためだったという。
杜撰な計画、場当たり的な犯行、逃げ切れる要素などなく、彼女は戦後9番目の女性死刑囚となった。
事件データ
犯人 | 石川恵子(当時39歳) |
犯行種別 | 連続殺人事件 |
犯行日 | 1996年8月29日、1997年6月13日 |
場所 | 宮崎県西都市荒武、宮崎県国富町 |
被害者数 | 2人死亡 |
判決 | 死刑:福岡拘置所に収監中 |
動機 | 金銭目的 |
事件の経緯
1996年8月29日、ホテル従業員の日野静子さん(55歳)が仕事を終えて職場を出たきり、行方不明となる。彼女はひとり暮らしだったが、親族から捜索願が出ていた。
県警は、日野さんに失踪する理由がないことから、犯罪に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査を開始。通勤にも使っている車は、自宅の駐車場に停まったままだった。このことから、日野さんは一旦帰宅したあと、何者かに連れ出されたとみられた。
警察の見立てた通り、日野さんの失踪は ”事件” だった。彼女は殺害されていたのだ。
失踪当日、日野さんはゴルフ仲間である石川恵子(当時39歳)と会っていた。石川は、日野さん宅を訪れ、「(日野さんの)勤務先の社長が急病で入院した」と騙して日野さんを誘い出した。そして自分の車に乗せ、睡眠薬入りの缶コーヒーを飲ませた。
日野さんが薬の効果で熟睡したのを確認した石川は、実家の工務店が廃材置き場に使っている畑に車を停めて、彼女の首をロープで絞めて殺害。そして日野さんのバッグから、現金9500円を抜き取った。
遺体はビニールシートで包んだうえで粘着テープで何重にも巻き、数日間畑に放置、その後穴を掘って埋めている。
犯行翌日、日野さんに成りすました石川は、鍵屋を呼んでドアを開けさせた。そして、日野さんの部屋からゴルフバッグや貴金属を盗み出している。預金通帳と印鑑もあったが、これは日野さんが職場から預かったもので、現金を引き出すことはできなかった。
石川は、日野さんの勤務先の社長に、日野さんを装った電話をかけ、「県外で無事で生活している」などと、事件発覚を遅らせる工作をしている。
2人目の殺害
翌1997年6月13日、石川は、同じくゴルフ仲間で薬剤師の古相洋子さん(当時63歳)に「相談したいことがあるから、とにかくうちに来て」と、自宅に誘い出した。
そして古相さんに対し、借金を申し込むも、これを断られてしまう。古相さんからは「この件を口外する」と言われ、さらに石川が妻子ある男性と不倫していることを咎められ、石川は殺意を抱く。
石川は、古相さんに睡眠導入剤(ハルシオン)を混ぜたものを飲ませて眠らせた。それから素手で彼女の首を絞め続けて殺害。その後、午後8時半頃に知人から電話があり、午後9時過ぎに会合に遅れて出席し、午後10時過ぎに退出して帰宅した。その間、遺体は自宅に放置したままだった。
帰宅後、遺体を車で杉林まで運び、”息を吹き返す”ような気がしたため、もう一度紐で首を絞めた。そして、遺体をゴルフ場近くの道路わきの崖下に捨てた。
その後、鍵を使って古相さんの家に入り、偽装工作をしている。タバコの吸い殻や使用済みコンドームを部屋に置き、男性の犯行にみせかけた。コンドームは親類が経営するモーテルのゴミ箱から持ってきたものだった。彼女はこのモーテルの経理を担当していた。
さらに古相さんの車を葬儀場に移動し、彼女が知人の通夜に出席したように見せかけている。
古相さんの家からは、キャッシュカードの暗証番号のメモが見つかったので、6月15日と16日の2日にわたり、JR宮崎駅構内のATMなどから合計200万円を引き出した。
遺体が発見される
犯行から5日後(6月18日)夕方、宮崎県国富町の山中で古相さんの遺体が発見される。
遺体は白いブラウスと黒のスカートを着ていて、着衣には乱れはなかった。外傷はなく、司法解剖で窒息死と判明する。彼女は13日に勤務先の病院を退社して以降、行方がわからなくなり、捜索願が出されていた。
古相さんはゴルフ以外にも交友関係が広く、そのため捜査は難航したが手がかりはあった。
失踪後、JR宮崎駅構内の「宮崎太陽銀行ATM」、都城市の「宮崎銀行・都北支店ATM」で古相さんの口座から計200万円が引き出されていて、その様子はそれぞれ防犯カメラに収められていたのだ。
2か所の防犯カメラに映っていたのは、同一人物とみられた。それは、黒っぽいツバの広い帽子を被り、柄物の上着を着た女性。警察は「映像」と「似顔絵」を公開し、寄せられた情報から石川恵子が容疑者として浮上する。
古相さんの部屋からは使用済みコンドームが見つかっていたが、これは石川が経理をする親類のモーテルで使用しているものと同じメーカーだった。このことも、彼女と事件の関連を強く疑わせるものだった。
ほかにも、彼女は怪しい行動を取っている。
- 通勤で通ることのない死体遺棄現場近くを走行して、警察官の検問を受けていた
- 古相さんとはゴルフを通じて交流があったのに、通夜や告別式に出席していない
- 「知人の女性が殺された、その知人に親しい男性がいる」などと、ことさら熱心に話していた
- 6月13日夜の会合に出席したことを、出席者に何度も念押ししている
- 知人男性に、虚偽のアリバイ作りを依頼した
- 犯人の公開映像に対し、「自分ではない」と力説、周りにもしつこく同意を求めた
11月10日、警察は窃盗容疑で石川を逮捕した。石川は、当初こそ「頼まれて預金を引き出して送金した」と否認していたが、遺体の写真を見せられると大声で泣き出し、犯行を認めた。
2件の殺人を供述
石川は、父親が経営する工務店や親類のモーテルの経理を担当していたが、父親の工務店は経営が苦しく、300万円ほどの借金があった。古相さんから盗んだ200万円は、税金の支払いなどに充てられたという。
1997年12月1日、県警は殺人と死体遺棄容疑で石川を再逮捕した。そして石川は、日野さん殺害に関しても供述を始める。
12月5日、県警が宮崎県西都市荒武の畑を捜索したところ、供述通り白骨化した遺体が見つかった。その後、衣類やアクセサリー・歯の治療跡などから、遺体は日野さんであると断定。1998年1月9日、日野さんの強盗殺人と死体遺棄容疑で再逮捕した。
畑からは、古相さんのバッグなどの所持品も見つかっている。この畑は実家が廃材置き場として使用している場所内にあり、実家からは800mほど離れていた。
日野さんはホテル勤務だったが、そのホテルはこの畑に隣接していた。そして、ホテルの隣が石川が経理を担当している親類のモーテルだった。
以前、石川は兄に「畑に埋めた犬の死骸を、もっと深く埋めてほしい」と頼んだことがある。石川の兄は言われた通りに掘り起こし、出てきた”犬のもの”だと思った骨を、さらに深い場所に埋め直したという。
犯人・石川恵子について
石川恵子は、1958年5月23日生まれ。
体育系大学を出たスポーツウーマンで、美人でスタイルも良い女性だった。
父親の経営する工務店の経理を長年一手に引き受け、親類の経営するモーテルの経理もこなしていた。決算期には税理士と打合せて決算書を作成し、金融機関の融資担当者とも交渉を行っている。
青年会議所では、約10年間に渡って熱心な活動をしていた。ゴルフ練習場にも足繁く通い、その縁で被害者2人と知り合った。
また、妻子ある男性Aと不倫関係にあった。裁判では、すでに死亡している男性Aに罪をなすりつけようとするも、これは退けられている。
犯行後の経緯
犯行は計画的だったが、杜撰なものだった。最初の被害者から奪った金はわずか9500円。身内ならすぐ貸してくれる程度の金額のために、殺人まで犯しているのだ。
事件発覚後も「犯人は自分ではない」ことを、ことさらアピールするような言動を取ったり、男性Aにアリバイ工作を依頼するなどしている。これは「真犯人だからこそ焦っている」ような印象である。
2010年7月23日、恩赦出願取り下げ。
2012年10月11日、再審請求。両事件について、心神喪失状態で責任能力はなかったと主張している。2018年10月30日付で宮崎地裁は、請求を棄却。石川は11月5日付で即時抗告した。福岡高裁宮崎支部は2019年3月14日付で棄却した。22日付で石川死刑囚は特別抗告した。
石川恵子の現在
現在、石川恵子は福岡拘置所に収監中である。
獄中では写経を始め、作品を2011年の作品展に出展している。上記写真はその直筆の写経だが、なかなかの達筆である。
石川は死刑囚を対象としたアンケートに次のように答えている。
「外の景色が全く見えないのと、通気性が無いので夏は蒸し風呂状態です。男性の舎房からは中庭とか桜の木が見えるらしいのでうらやましいです。どれだけ心が癒されるか・・・。ビニール製の畳ですので固いです」(55歳当時)
また石川は死刑確定後、「むずむず脚症候群」らしき病気で闘病しているという。
むずむず脚症候群は、じっと座ったり横になったりすると、「脚がむずむずする」、「脚を動かしたくて我慢できなくなる」、「ほてる」、「かきむしりたくなる」など脚の深部に何とも言えない不快感が現れる症状です。
裁判
【第一審】宮崎地裁:2001年6月20日 死刑判決
一審では、石川恵子被告の精神状態が争点となった。
弁護側は、石川被告の精神鑑定を申請。「殺害時は統合失調症で心神耗弱状態にあり、責任能力は限定される」とする精神鑑定書が提出され、証拠採用された。
これに対し、検察側も再鑑定を申請。「犯行当時は精神病的な状態にはなく、物事の善し悪しを判断して行動する能力には問題がなかった」とする精神鑑定書が提出され、こちらも証拠採用されている。
裁判長は「殺害に使用する道具を準備し、発覚を防ぐためにアリバイ工作をするなど、目的達成のため狡猾に行動しており、統合失調症だったとは認められず、責任能力に疑いを挟む事情も認められない」と判断、検察側の精神鑑定を採用した。
そして2001年6月20日、宮崎地裁は石川被告に、死刑判決を言い渡した。
【控訴審】福岡高裁:2003年3月27日 死刑判決
控訴審第2回公判で石川被告は、古相さん殺害について「殺害したのは交際していた男性Aであり、自分は死体遺棄と窃盗に協力したに過ぎない」と初めて無罪を主張、弁護人も調査を求めた。(男性Aは、この時すでに死亡)
最終弁論で弁護側は、日野さん殺害について「現金を奪おうと考えたのは殺害後」として”強盗殺人”ではなく、”殺人と窃盗罪”を主張。さらに犯行当時、心神耗弱状態であったと無期懲役刑への減刑を求めた。
裁判長は判決で、「犯行は、被告人の自己中心的で人命の重さを軽視する、他者への思いやりや規範意識にも乏しい”生活態度”に起因するものとして、真に悪質である。被告人がこのような態度を改善して、更生を期待することは極めて困難なものと考えざるを得ない。」と述べた。
また、”古相さんを殺害したのは第三者”とする供述は、”信憑性が皆無” として、石川被告の単独犯行と認定。また「責任能力もあった」と判断し、弁護側主張を退けた。
【上告審】最高裁:2006年9月21日 死刑確定
上告審弁論で弁護側は「事件当時、統合失調症で刑事責任能力に問題があった」として死刑回避を求めた。対する検察側は「犯行後、被害者が生きているように偽装工作している。責任能力を疑う余地はない」と反論し、結審した。
裁判長は「周到な準備のもと、嘘をついて被害者をおびき出して絞殺し、現金も奪ったほか、借金の申し入れが発覚しないよう安易に殺害しており、結果は重大」と指摘。「落ち度のない2人を短期間に相次いで殺害するなど犯行態様は残忍で冷酷だ」として、被告側の上告を棄却した。
これにより2006年9月21日、石川恵子の死刑が確定した。