「名古屋大学女子学生殺人事件」の概要
2014年12月7日、名古屋大生の大内万里亜(当時19歳)が、高齢女性を殺害する事件が発生した。2人は女性が信仰する宗教の布教活動を通じて知り合い、万里亜は信仰に興味があるふりをして女性に接近した。「誰でもいいから、人を殺してみたかった」という万里亜にとって、この女性は都合がよかったのだ。
万里亜は過去の凶悪犯罪者をアイドルのように崇拝し、自分もそのようになりたいという願望があった。高校時代には同級生にタリウムを摂取させ、重篤な後遺症が残るという事件も起こしていた。
事件データ
犯人 | 大内万里亜(当時19歳) 読み:おおうち まりあ |
犯行種別 | 殺人事件 |
犯行日 | 2014年12月7日 |
犯行場所 | 愛知県名古屋市昭和区 |
被害者数 | 1人死亡 |
判決 | 無期懲役 |
動機 | 殺人願望 |
キーワード | タリウム、女子大生 |
事件の経緯
2014年12月7日昼過ぎ、大内万里亜(当時19歳)は名古屋市昭和区の自宅アパートに、森外茂子さん(77歳)を招き入れた。森さんは宗教団体「エホバの証人」の信者で、9月頃に布教活動で万里亜の部屋を訪ねたことから知り合った。
森さんはこの日の午前中、教団の集会に万里亜を伴って参加していて、終了後は万里亜と2人で「食事に出かける」と言って会場をあとにした。その後、2人は会場から200mほどの場所にある、万里亜のアパートにやってきたのだ。
万里亜は名古屋大学理学部に通ういわゆる「リケジョ」で、応援団に所属する一風変わった女性だった。「薬品オタク」といわれるほど薬品が好きで、森さんは部屋に入った時「何か変な臭いがする」と言ったという。
そんな森さんに対する万里亜の ”もてなし” は、お茶でも食事でもなく「手斧で殴る」といった暴行だった。この手斧は万里亜が中学生の時に買った、いわば ”宝物” だった。
森さんは部屋に入ってまもなく、理由もわからないまま斧の背で殴られた。
抵抗する森さんに「殺すつもりなの?」と聞かれ、万里亜は「はい」と答えた。さらに「どうして?」と言う森さんに「人を殺してみたかった」と言ったという。
万里亜は何度も殴りながら、「この方法で殺すのは難しい」と考え、森さんが身につけていたマフラーで首を絞めて殺害した。万里亜が手斧の ”刃の部分” ではなく、背のほうを使ったのは「大事な宝物である手斧を血で汚したくないという気持ちの表れだと考えられている。いずれにせよ、床は一面 ”血の海” になっていた。
午後3時半頃、森さんが「いつもの時間に帰ってこない」ことを不審に思った夫が、愛知県警に通報した。森さんは77歳と高齢なうえ、携帯電話に連絡も取れなくなっていることから、どこかで倒れたり事故に巻き込まれている可能性もあった。しかし、そういった届け出はなく、どの病院にも森さんが運ばれた記録はなかった。
森さんは、どんなことがあっても夕方には帰ってくるのが普通だった。だが夜になっても連絡ひとつなく、消息がつかめないことから夫は捜索願を提出。自分でもいろいろ探してみたが、森さんの行方はわからなかった。
午後9時過ぎには万里亜のアパートに信者が訪ねてきたが、万里亜は「ここには来たが3時半過ぎに帰った」とやり過ごした。
最後に会ったのは万里亜
万里亜は森さんを殺害したあと、遺体を浴室に移動させて床や壁に広がる血を拭いた。それからGPSで居場所が悟られぬよう、森さんの携帯の電源を切った。そして翌日、「殺害現場から少しでも離れたい」と考え、パソコンや ”宝物” である手斧を持って実家の仙台に帰った。
万里亜は、仙台の実家でも放火事件を起こしている。12月13日、近所の知人(当時67歳)宅の郵便受けに引火性の高い液体を流し込んで火を点けた。
動機は「焼死体が見たかった」というもので、知人宅を狙ったのは「知人なら葬式で見られる」という恐ろしい理由だったが、この放火はボヤ程度に終わっている。
一方、森さんの捜査は難航していた。なぜなら、森さんには人に恨まれるようなトラブルはまったくなかったからである。それどころか、気配りの出来る人として信者仲間からも尊敬されていた。
そんなことから ”最後に会った人物” として、県警は早い段階から万里亜に注目していた。ただ、「2人の関係は良好だった」という信者らの証言もあり、この時点で容疑者と断定しているわけではなかった。
仲が良さそうに見えたのは、万里亜は森さんを「殺人の標的」と考えていて ”信仰に興味がある素振り” で友好的に、そして積極的に接していたからだった。だが実際は、信仰なんてどうでもよかったのだ。
とはいえ、手がかりは万里亜しかなく、県警は万里亜の周辺を洗ってみたところ、大学では「変わった娘だが、真面目で明るく周りを元気にさせる」といった好意的な証言ばかりだった。
しかし捜査が進むにつれ、別の一面も見えてきた。それは万里亜が「凶悪犯罪に異常な興味を示している」ということ。万里亜のものとみられるツイッターの内容は、とても見逃せるものではなかったのだ。
- 「殺したい」人はいないけど「殺してみたい」人は沢山いる
- 日常を失わずに殺人を楽しめることが理想なんだと思う
- 名大出身死刑囚ってまだいないんだよな
- 同じ趣味の方がいると嬉しいです(^v^) あまり理解者がいないものですから・・・笑 酒鬼薔薇君もタリウム少女も大好きですよ♪
- 宅間も良いが、自分は加藤智大のほうが好きかな(^^)
”人を殺してみたかった”
2015年1月27日、万里亜は事情聴取を受けることになった。名古屋には前日戻って自宅アパートで1泊した。この時、森さんの遺体は浴室に放置されたままだった。
聴取が始まると、万里亜は「刑事ドラマみたいだ。さすが本物は違う」などと、落ち着いた様子で言ったという。そして捜査員が、”森さんの足取りの最後が、万里亜のアパート” であることを伝え、部屋を見せて欲しいと言うと、「散らかってるので」と拒否した。
しかし、捜査員が厳しめに「やましいことがないなら、身の潔白を証明するためにも応じた方がいい」と要請をくり返すと、万里亜には拒むことはできなくなった。そして万里亜はパトカーに乗せられ、自分のアパートに向かうのだが、その車内で犯行をほのめかすような発言をしている。
部屋に入ると、捜査員たちを凄まじい臭気が襲った。なにしろ1ヶ月以上も遺体を放置していたのだ。これには、ベテラン刑事でも顔をしかめるほどだった。そんな中、万里亜は動揺することなく、平然と現場の説明をしていた。
こうして殺人容疑で逮捕となった万里亜だが、その後の取り調べにもまるで他人事のように、感情を表すこともなく淡々と応じていた。やがて「エホバとかうざったい」「聖地(自分の部屋)にズカズカ上がり込んでおいて、『変な臭いがする』と言われた」などと供述したことから、これが動機かと思われたが、それは違っていた。
万里亜の本当の殺害動機は、「人を殺してみたかった」というものだった。万里亜には、幼いころから殺人願望があり、その相手は誰でもよかったのだ。
- 「幼い頃から、誰でもいいから人を殺してみたかった」
- 「殺した時は『やった!』という達成感があった」
- 「取り調べ前日にアパートに泊まったのは、遺体をもう一度見たかったから」
- 「刑務所に行くかもしれないとわかって、余計にワクワクしてきた」
大内万里亜の生い立ち
大内万里亜は1995年10月5日、宮城県仙台市で生まれた。
家族は両親と3つ年下の妹の4人家族で、祖父母は地元では有名人だった。祖父は流体力学が専門の物理学者で東北大学教授や岩手大学名誉教授などをしていた。(2003年2月に病気で他界)祖母は仙台市で有名な画家で、美術展やコンクールに何度も入選していた。
祖母は熱心なキリスト教信者で、”万里亜(マリア)” という名前もそれに由来していた。
家族は仙台市青葉区内の祖父母宅の離れに住んでいたが、万里亜が小学6年の時、家を新築したため引っ越した。しかし祖母になついていた万里亜は、中学校が近いということもあって祖母宅に舞い戻って住むようになった。
万里亜の両親は同じ東北大学農学部出身で、在籍中から交際していて卒業後に結婚。しかし、父親は金にならない研究ばかりで、母親の負担は相当なものだったという。やがて家庭はギスギスして、夫婦仲は悪くなった。
両親ともに忙しかった大内家では、姉妹だけで外食することが多く、十分な愛情を受けられなかった。実際、万里亜は母親にかまってもらえず、ボサボサの髪にヨレヨレのシャツ、袖口は黒ずんでいた。中学時代、友人に ”寂しさ” とともに「相談相手がいないことがつらい」と打ち明けている。
万里亜の部屋を訪れた友人は、あまりの乱雑ぶりに驚いたという。異臭も充満していて、2階からはゴソゴソ音がしているので何か尋ねたら「絶対に上がるな」と言われた。そのため友人は見ていないが、そこには小動物の死骸や毒劇物が置いてあった。
狂気は中学時代から
2008年4月、仙台市立上杉山中学校に入学。万里亜を知る人たちによると、彼女は中学生になった頃から変わったという。急に男っぽい恰好を始めて自分のことを「俺」「俺様」と呼んだり、おかしな言動をするようになった。
- 護身用だとカッターナイフを持っていたが、「襲われたら、正当防衛で堂々と相手を殺せる」と言った
- いきなりハサミを突き付けられ「これで刺されたら痛いだろうねぇ」と言われた
- 「誰でもいいから、人を殺してみたい」とつぶやいた
そして万里亜の実家周辺では、彼女が中学1年になった2008年頃から、猫の変死体が相次いでみつかるようになった。のちに愛知県警が調べたところ、4年間で5件、明らかに人為的とみられ、中には薬物をかけられた猫もいたという。万里亜が拾って飼っていた猫には、尻尾がなかったという証言もある。
同年6月に「秋葉原通り魔殺人事件」が発生した際には、「あの加藤ってヤツに会ってみたい。ゾクゾクする」とはしゃいで周りを引かせていた。他にも「佐世保小6女児同級生殺害事件」や「オウム事件」に異常な興味を示し「サリンみたいの凄いのを作ってみたい」と壊れた機械のように延々と話し続けた。
特に万里亜が崇拝していたのが1997年の「神戸連続児童殺傷事件」の酒鬼薔薇聖斗こと少年Aで、写真を持ち歩き「宮城のサカキバラになる」と誓うほどだった。少年Aの誕生日には、お祝いメッセージをツイッターに投稿していた。
毒物に興味を持ち始めたのもこのころで、毒キノコを調べまくるようになった。「近所の猫に食べさせた」と楽しそうに話すのを見た友人は、「心が壊れてしまっている」と恐怖心を抱いた。
森さん殺害に使用した ”手斧” をホームセンターで購入したのも、この時期である。
高校時代のタリウム事件
2011年4月、聖ウルスラ学院英智高等学校に進学。万里亜はこの高校で、同級生の男子生徒に「硫酸タリウム入りのジュース」を飲ませて入院させた過去があった。この男子生徒が狙われたのは、単に「万里亜の隣席に座っていて観察しやすい」という理由からだった。
男子生徒は2012年5月28日頃、初めてタリウム入りジュースをふるまわれた。万里亜はその後も飲ませようとしたが断られ、バレないように彼のペットボトルに混ぜて飲ませていた。
やがて男子生徒は足に力が入らなくなり、全身がだるくなるなど動けなくなった。診断は「末梢神経障害」で、長期にわたって学校を欠席して仙台市の病院に入院した。その後、7月頃になって回復の兆しがみられたため登校するも今度は視力が低下、片目がほとんど見えない状態になり、2014年3月、特別支援学校に転校を余儀なくされた。
万里亜は過去にハムスターや猫にはタリウムを試して効果のほどを知っていたが、人間にも効くのか興味があったという。
タリウムは無味無臭で、人間の致死量はわずか1グラムという劇薬である。そんなものをどうやって手に入れたのかというと、母親の実家がある山形県内の薬局で20歳の学生と偽り、「研究のために使う」と言って購入していた。本来なら必要なはずの身分証明書の提示は求められなかったという。
万里亜はタリウムを同級生に見せびらかしていた。だが、男子生徒の件では咎められることはなかった。病院側は警察に報告していたにもかかわらず、警察は「校内にそのような劇薬はない」という学校側の回答だけで終わらせていたのだ。学校側も大ごとにしたくなかったとみえ、保護者や全校生徒に知らせることはなかった。
しかし、万里亜の周辺では彼女を怪しむ声があがっていて、きちんと聴取していればこの時点で万里亜は逮捕できたかもしれなかった。
この事件を起こす前、万里亜は父親のクレジットカードを勝手に使ってインターネットでいろいろな薬品を買っていた。これに気付いた父親は警察に相談していたが、警察は出頭した万里亜に口頭で注意するにとどまった。
これほどの凶悪犯罪を犯しておきながら、警察・学校の事なかれ主義のせいで、万里亜は咎められることなく2014年3月に高校を卒業。そして名古屋大学に進んだ万里亜は、12月に本事件を起こした。
なお、万里亜はその後、名古屋大学を退学している。
起訴された5つの罪状
- 【殺人未遂罪】2012年5月27日、仙台市のカラオケ店でタリウムを飲み物に混ぜ、中学時代の同級生女子に飲ませた
- 【殺人未遂罪】2012年5月から7月、高校時代、タリウムを飲み物に混ぜ、同級生男子に飲ませた
- 【火炎瓶処罰法違反・器物損壊罪】2014年8月29日から30日、ペットボトルで製造した火炎瓶に点火し、仙台市の住宅の縁側に置き、熱で窓ガラスを割った
- 【殺人罪】2014年12月7日、名古屋市で宗教勧誘で知り合った女性を誘って、斧で殴ってマフラーで絞めて殺害
- 【殺人未遂・現住建築物等放火未遂罪】2014年12月13日、仙台市の住宅(前述と同じ)の郵便受けに、引火性の高いジエチルエーテルを流し込んで火をつけた
犯行時19歳と未成年だった万里亜だが、成人と同様に起訴され、裁判が行われることになった。
通常、刑事裁判においては被告人の ”反省” や ”後悔”、そして ”遺族への謝罪” を嘘でも主張するものだが、万里亜の場合は逆の戦法を取ったようだった。
すなわち、弁護側は ”万里亜の狂気”、精神異常を前面に押し出し、「責任能力なし」として無罪を主張したのだ。だが、それは認められず、最高裁で無期懲役が確定する結果となった。
裁判
この事件は2022年4月1日の少年法改正前の事件で、19歳の大内万里亜被告は「少年」として扱われる年齢であった。しかし、あまりの凶悪さに、この原則が通用しない結果となった。
2017年1月16日に、名古屋地裁で裁判員裁判の初公判が開かれた。
大内万里亜被告は、殺人事件と放火未遂事件については認めたものの、タリウム事件については「観察目的」と主張して殺意を否定した。
弁護側は、非常に重い精神障害を理由に「責任能力はなかった」として、全ての事件で無罪を主張した。
1月19日の被告人質問では、「薬物治療によって、極端だった気分の波が穏やかになった。まだ人を殺したいとの思いはあるが、頻度が少なくなった」と述べた。さらに、「妹や大学の友人2人も殺そうと思ったことがある」と述べた。
殺そうと思った友人のうち、1人はピアノサークルの男性で、「家でピアノを弾いている隙に撲殺できる」と証言。もう1人は理学部の女友達で、万里亜の部屋に泊まりに来たことがあって「寝てる間に絞殺できる」と話した。
2017年3月24日、第一審判決公判で名古屋地裁は、万里亜被告に求刑通り無期懲役判決を言い渡した。
裁判長は、「タリウム事件」の殺人未遂を認めたうえで「複数の重大かつ悪質な犯罪に及び、有期刑では軽過ぎる」と指摘。「有期刑の上限である懲役30年に近い無期懲役だ。被害者のことを考えて罪を償ってほしい」と、”改悛の情が認められた場合の仮釈放を認めるべき” との立場より被告人に説諭した。
弁護側は、判決を不服として名古屋高裁に控訴した。
無期懲役が確定
2017年10月26日、控訴審の被告人質問で、万里亜被告は一審判決後も「”人を殺したい” という考えが浮かんだ」と述べた。控訴した理由について「一審判決の内容だと『人を殺さない自分になりたい』という目的の達成が難しい」と説明した。
2017年11月9日の公判では、弁護側の証人・十一元三(京都大学教授・児童精神医学専門家)が「あくまで一審判決・鑑定書などを検討した上での印象であって、正式に精神鑑定したわけではないが、自分の直感では『精神障害は軽度』と判断した一審判決は適切ではない」と証言した。
2018年3月23日、名古屋高裁は一審の無期懲役判決を支持、控訴を棄却した。
裁判長は、各事件時の精神状態は、躁鬱病の軽そう状態にとどまり、発達障害が動機に影響しているものの ”限定的だった” として、一審同様に完全責任能力を認めた。
「タリウム事件」については、混入時に ”周囲の状況を確認する” など冷静に行動しているほか、致死量の知識もあったことから「(被害者が)死亡する可能性を十分認識しながら、犯行に及んだと推認される」と指摘した。
被告側は最高裁へ上告したが、2019年10月15日、最高裁は弁護側の上告を棄却、万里亜被告の無期懲役が確定した。