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中津川一家6人殺傷事件|毒親のせいで家族を無理心中…

中津川一家6人殺傷事件 日本の凶悪事件

中津川一家6人殺傷事件

2005年2月27日、岐阜県中津川市で痛ましい一家心中事件が発生した。
犯人の原 平(当時57歳)は、実母の常軌を逸した嫌がらせに追い詰められ、母親殺害を決意。そして残された家族が「殺人者の家族」として生きていくのは不憫と考え、母親を含めた家族5人を殺害、さらに娘の夫に重症を負わせた。その後、本人も自殺を図ったが、駆け付けた警察に救出されてしまった。
これほどの犯行にも関わらず、最高裁判決は無期懲役。死刑回避となったことが物議を醸した。

事件データ

犯人原 平(当時57歳)
犯行種別一家心中事件
犯行日2005年2月27日
犯行場所岐阜県中津川市坂下
被害者数5人死亡
判決無期懲役(長野刑務所にて服役)
動機母親の嫌がらせに追い詰められた
キーワード一家心中

事件の経緯

中津川一家6人殺傷事件

原 平(当時57歳)は、岐阜県中津川市の老人保健施設「はなのこ」で事務長を務めていた。

2005年2月27日午前7時前、この日は(当時56歳)が友人ら10人と知多郡に日帰り旅行に行くため、原は中央本線・坂下駅まで送っていった。妻の友人たちには普段と変わらぬ態度であいさつをしたが、彼の心の中にはひとつの恐ろしい計画があった。彼は自分の母親(チヨコ・85歳)を、この日殺害しようと考えていたのだ。

この母親は性格的に問題があった。生まれつき気が強く頑固で自己中心的、そのうえ性根も悪かった。原はこんな母親のことを小学生の時から嫌っており、中学生の時には口をきかなくなっていた。

家族間殺人

1999年までは、神奈川県の次男夫婦に引き取られていた母親だったが、次男は「これ以上の同居は無理」と音を上げてしまった。仕方がないので原が引き取ることになり、中津川で同居をするようになっていた。

しかし、住む場所が変わったからといって、性格が良くなるはずもなく、母親はここでも問題を起こしていた。とくに原のには執拗な嫌がらせをしていて、「妻の料理は一切食べず自炊する」、「妻を泥棒呼ばわりする」などというのはまだいいほうだった。母親は、「妻が植えた花を片っ端から引っこ抜く」、「妻が風呂に入れないように浴槽に脱糞したり、生ごみを入れる」など、常軌を逸したいじめが連日のように続いた。

”後始末”

そうはいっても、家庭内で済んでいるうちはまだよかったのだ。母親は、そのうち外でも問題を起こすようになっていった。

事件のひと月前の1月27日、母名義の郵便貯金の預け替えが必要になり、郵便局長が手続きの説明をした。この時、母親は郵便局長に難癖をつけて大声で罵倒した。このような出来事は小さな町ではすぐに噂になり、原の母親に対する嫌悪は最大級に膨らんでいった。

当初、原は母を殺害したあと、自分も自殺しようと考えていた。しかしその場合、残された家族が「殺人者の家族」として生きていかなければならない。そのことを不憫と考えた原は、同居している長男と近所の長女一家を道連れにすることにした。

妻には ”後始末” したことを見届けてもらうため、殺害計画からは除外していた。そのため、計画の実行は、妻のいない ”今日” が最適だったのだ。

計画は実行された

中津川一家6人殺傷事件・現場
中津川一家6人殺傷事件・現場

妻を送り届け、原は家に帰宅した。そして、整体師の長男・さん(33歳)の部屋に向かった。

正さんはまだ寝ていたが、原はそんな長男の首をネクタイで絞めた。正さんは目を覚まし何か言おうとしたが、原は手をゆるめることなく、そのまま絞めつけて殺害した。

長男の部屋を出た原は、仏間のソファで居眠りをしている母親のもとに向かった。そして母親の首を、同じネクタイで絞めた。母親は目を開けたが、そのまま力をこめて殺害した。

原が次にターゲットにしたのは、飼っていた2匹のシェパード犬だった。原は2匹を山中に連れて行き、木につないだうえで刃物で首や胸を刺して殺した。

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自宅の”始末”を終えたので、次は2kmほど離れた所に住む長女一家である。

午前11時頃、原は「婆さんが子どもたちを見たがっている」と偽り、長女・藤井こずえさん(30歳)とひ孫2人を車で自宅に連れて来た。長女はソファの祖母を見て、様子がおかしいことに気づいたようだった。そんな長女の背後から、原はネクタイで首を絞めた。長女は原の方を振りかえったが、構わず絞め続けた。長女は生後3週間の彩菜ちゃんを抱いたまま息絶えた。さらに、この彩菜ちゃんと、2歳の孫・孝平ちゃんも殺害した。

娘婿殺害は失敗、そして逮捕

最後は長女の夫の会社員・藤井孝之さん(当時39歳)だった。原は午後1時頃、理由を付けて藤井さんを車で自宅に連れてきた。そして藤井さんが勝手口から家に入ろうとしたところを、包丁で腹部を刺した。

藤井さんは、刺されながらもなんとか包丁を奪い逃走。そして午後1時50分頃、「義父に刺された」と110番通報した。藤井さんは、原の自宅から700m離れた場所で、腹から血を流しているところを発見された。重傷だが意識があり、救急隊員らに「義父に刺された」と話した。

原は、藤井さんを追いかけなかった。彼はそのまま自殺するため風呂場に向かい、そして自分の首に包丁を刺した。しかし、藤井さんの通報を受けて急行した警察に、首に包丁が刺さった状態で発見される。重体だったが一命はとりとめ、意識を失う前に「俺がやった」と供述した。

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そのころ妻は・・・

何も知らないは、友人たちと日帰り旅行を楽しんでいた。
しかし同行の友人たちの携帯に、事件のことを知らせる連絡が次々入り、事情を知らされた妻はわけがわからず、半狂乱になったという。
のちの事情聴取でも「動機に心当たりはない。旅行に出かける前も変わった様子はなかった」と説明した。

原は全治3週間の重傷だったが、退院後の3月12日、娘婿の藤井さんに対する殺人未遂で逮捕された。その後、4月2日に5人に対する殺人罪で再逮捕された。
岐阜地検は精神鑑定を行い、犯行時、責任能力があったとして起訴した。

犯人・原平について

原平は1970年に旧坂下町の公立病院に就職し、2001年6月からは岐阜県中津川市の老人保健施設「はなのこ」で事務長職に就いた。

施設の看護師(40)は「仕事熱心で黙々と働くタイプ。悩んでいる様子はなかった。お年寄りが入退所する際、いつも玄関で送り迎えしていた」と語る。

職場の同僚の評判も「穏やかな性格」「怒っている姿を見たことがない」「命の大切さを説いていた」など、犯行とはそぐわない人物像だったようだ。また、「神経症の頭痛で悩んでいた」との声もあった。

近くの主婦によると、原は数年前に高齢の母親を引き取って同居。町内会活動にも率先して取り組んでいた。孫を目の中に入れても痛くないほどかわいがっていたそうだ。別の男性(69)も「原さんは、孝平ちゃんにフォークリフトを見せに工場に連れて行ったりして、仲がよかった」と話す。

裁判では、なぜか極刑を免れた

第一審:岐阜地裁

2008年7月29日、論告求刑公判が開かれた。
検察側は「自尊心と虚栄心を満たす為の犯行、動機は自己中心的で酌量の余地はない」として死刑を求刑した。
しかし2009年1月13日の判決公判で、岐阜地裁は原被告に無期懲役を言い渡した。
その理由として、裁判長は以下の点をあげている。

  • 犯行は私利私欲目的でなく、ことさら残忍な殺害方法を用いていない
  • 長年に渡る母親からの嫌がらせで、精神的に追い詰められていた
  • 遺族も極刑を望んでいない
  • 再犯の可能性もない

この判決は、「5人以上殺害かつ死刑求刑された」凶悪事件としては、異例のものであった。

これに対し検察側、弁護側の双方が控訴した。弁護側は犯行動機からして「病的な状態になっていた」と責任能力は限定的であったと主張し、有期懲役刑の適用を求めた。
一方で検察側は、死刑適用に関する最高裁判所判例の「永山基準」に違反し、量刑不当であるとしていた。

各方面の意見

土本武司:検察官出身の刑事法学者
「殺人は被害者が家族でも第三者でも区別しないはずだ、心神耗弱状態でないなら、他の要素を考えても死刑より軽くなる理由はない」と指摘した。

菊田幸一:日本の法学者、弁護士
「遺族感情がかなりのウエートを占めた可能性もある。(死刑廃止という)死刑回避の立場からすれば歓迎すべきだが、被害者数から言えば過去の判例からはありえない判断」と指摘し、この事件のように犠牲者5人の犯行に対し、裁判所が死刑を言い渡さなかった事を疑問であるとした。

諸沢英道:日本の刑事学者
「社会に与える影響から親族間の殺人は、無期刑をさけて有期刑が下されることが多い」などとして、一家心中の生き残りに対する刑罰としては重過ぎると指摘した。

控訴審:名古屋高裁

控訴審では、遺族であり被害者でもある藤井孝之さんが出廷した。(藤井さんは、原被告が殺害した娘のであり、自身も原被告に刺されている)藤井さんは「事件後も謝罪の手紙もなく、申し訳ないという気持ちが伝わってこない」として、原に対し極刑を求めた。検察も「別世帯である娘一家が殺される理由がない。謝罪の手紙もなく反省しているか疑問であり、被害者感情は厳しい」として死刑を求めた。

一方弁護側は、原被告のを出廷させた。原の妻は子供2人と孫2人を失い、弟は実母を失っていたが、2人は極刑を回避するように求めた。このように同じ被害者遺族でも、立場によって意見は割れてしまった。

2010年1月26日、名古屋高裁は双方の控訴を棄却し、第一審の無期懲役を支持する判決を言い渡した。

裁判長は犯行について「取り返しの付かない悲惨かつ極めて重大な結果を生じさせた。態様も非情で悪質だ」と糾弾した。そのうえで殺害された母親が、原の妻を泥棒扱いしたり、自分が風呂に入った後に浴槽に排泄物を入れるなど、妻に対する執拗な嫌がらせをした落ち度があったとした。

また一家殺害については「殺人者の家族という汚名を着せるのは不憫、という家族関係に由来する事件であり、一家心中であった」と認定し、罪一等を減じたというものであった。

検察側は2010年2月9日に「5人も殺害しているのに無期懲役は軽すぎる。死刑適用の判断基準を示した最高裁判例(永山基準)に違反する」として最高裁に上告した。また、弁護側も判決を不服として上告した。

上告審:最高裁

2012年12月3日、最高裁は双方の上告を棄却、無期懲役が確定した。検察側は死刑を、弁護側は心神耗弱を主張して有期の懲役刑を求めていた。

最高裁は量刑について「実母の常軌を逸した嫌がらせで追い詰められた経緯を踏まえると、無期懲役が著しく不当とは言えない」と指摘した。

殺人者の家族

一家心中事件というと、犯人はたいてい父親で「この先の人生を案じて」家族を殺すケースが多いようです。日立妻子6人殺害事件や、宮崎・高千穂6人殺人事件でも似たような理由で家族全員を殺害しています。
しかし、この「家族の将来を案じて」という身勝手な言い分を聞くたび、いつも腹立たしく感じます。

 
確かに、「殺人者の家族」として生きていくのは大変です。注目度の高い事件の場合、加害者の家族が自殺しているケースも多いです。

自殺しています。

「加害者の家族」とはいえ、気の毒としかいいようがありません。

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