「栃木小1女児殺害事件」の概要
2005年12月1日、栃木県今市市で下校中の小学1年生女児が行方不明になり、翌日遺体で発見された。捜査は難航し、懸賞金もかけられたが、容疑者の特定には至らず8年の年月が流れた。進展を見せたのは2014年4月17日のこと。栃木県警が『栃木県鹿沼市在住の男が、事件への関与を認めた』という発表を行った。
逮捕されたのは勝又拓哉(当時32歳)。母親と偽ブランド品を販売した容疑で逮捕され、その取り調べにおいて殺害を自供したというのだ。しかし勝又はその後否認に転じ、裁判中も犯行を認めることはなかった。当初の自白のみで物的証拠もなかったが、裁判では無期懲役が確定。今後、再審請求する意向を示している。
事件データ
犯人 | 勝又拓哉(当時32歳) |
犯行種別 | 誘拐殺人事件 |
犯行日 | 2005年12月1日 |
場所 | 栃木県今市市(現:日光市) |
被害者数 | 1人死亡 |
判決 | 無期懲役:千葉刑務所で服役中 |
動機 | 不明(犯行を否認している) |
キーワード | 今市事件、冤罪疑惑、台日ハーフ |
事件の経緯
2005年12月1日、栃木県今市市(現:日光市)の大沢小学校に通う小学1年生の吉田有希ちゃん(当時7)は、授業を終えて友だち3人と下校していた。午後2時50分頃、今市市土沢の市道の三叉路で友だちと別れ、そこからはひとりで家路についた。
友だちと別れた地点は自宅から約700m。子どもの足でも15分もあれば到着する距離だが、有希ちゃんが帰宅することはなかった。そのため、家族が近所の駐在所に捜索願を提出。すぐに通学エリアを中心に捜索が開始された。
捜査には警察犬も投入されたが、有希ちゃんの匂いは三叉路から120m進んだ砂利道に曲がるあたりで消えていた。そのあたりは人通りの少ない雑木林の間に、一般住宅が点在するような場所だった。翌2日、栃木県警察は公開捜査を開始した。
遺体発見
同日午後2時頃、有希ちゃんの自宅から約60km離れた茨城県常陸大宮市の山林で、野鳥観察の下見に来ていた高齢の男女3人が有希ちゃんの遺体を発見する。現場は人通りもなく人目につかない場所だった。
遺体は全裸で手首を縛られ、口には粘着テープが貼られていた。そして、胸を中心に12カ所もの刺し傷があり、顔には殴打された痕が残っていた。しかし、現場に有希ちゃんの着衣やランドセルなどの所持品は見つからなかった。
司法解剖の結果、死因は失血死と判明。栃木県警は殺人事件と断定し、県境をまたいだことから茨城県警との合同捜査本部を設置して捜査に当たった。
捜査は難航
12月10日、捜査本部が作成した情報を求めるポスターやチラシ約1万枚が、両県内をはじめとして多くの駅やショッピングセンターなどに貼られた。宇都宮駅や水戸駅では、巨大モニターも使用して情報提供を求めた。また、今市市から常陸大宮市に至る国道293号・国道123号・日光宇都宮道路では検問が行われ、コンビニの防犯カメラや高速道路の監視カメラの映像も調べた。
だが、これだけ大がかりな捜査をしたにもかかわらず、容疑者の特定には至らなかった。その原因として、『誘拐目的がはっきりせず、犯人像が絞れなかった』『ランドセルや衣服などの遺留品が見つからなかった』などの点が挙げられた。
2006年8月1日より、犯人逮捕に結びつく情報に対し、200万円の懸賞金がかけられた。(2007年7月27日より捜査特別報奨金の対象事件となり、懸賞金は最終的に500万円まで引き上げられた)
容疑者を逮捕
事件から8年以上が経過した2014年4月17日、栃木県警が重大な発表をする。それは、『栃木県鹿沼市在住の男が、事件への関与を認めた』というものだった。
男は無職の勝又拓哉(当時32)。母親と共謀して偽のブランド品を販売目的で所持していたとする商標法違反容疑で逮捕されていた。6月3日、犯行を自供したとして、栃木・茨城両県警察の合同捜査本部は、誘拐殺人の容疑で勝又を逮捕した。
家宅捜索において、勝又のパソコンから児童ポルノや猟奇趣味の画像データが多数見つかったほか、ナイフを多数所持していた。宇都宮市内のビデオレンタル店には、事件当日の勝又の利用履歴が残っており、有希ちゃんを連れ去ることが可能だった。
不審車の目撃情報もあり、有希ちゃん失踪直後の午後3時頃に『若い男が運転する白いセダン』が目撃されているが、勝又の車も白のセダンであった。
Nシステムの記録からは、遺体発見日に勝又の車が自宅のある鹿沼市方面から遺体遺棄現場の茨城県常陸大宮市方面を往復していたこともわかった。また、遺体に付着していた猫の毛は、勝又が飼っていた猫と同一のグループのものだった。(猫を71グループに分けた場合の同一グループ。570匹調べて0.5%程度)
このように状況証拠ばかりで物的証拠はなかったが、6月11日の取り調べにおいて勝又は有希ちゃん殺害を全面的に認める供述をした。この自白だけが頼りだったが、検察は勝又の起訴に踏み切った。
変遷する供述
勝又は公判前整理手続きで、「無理やり有希ちゃんを車に乗せ、布テープで縛って口をふさぎ、スタンガンを当て、目に布テープを貼り、わいせつ行為に及んだ」と認めたものの、「そこに第三者がやってきて、バタフライナイフで有希ちゃんを刺し殺した」と、殺害行為に関しては否認。『第三者とは誰か?』を明らかにするよう求めた検察側に対し、勝又は「(第三者を)かばうため明らかにできない」と弁護人を通じて返答したという。
さらに2015年5月頃からは、それまで認めていた ”連れ去り” や ”わいせつ行為” も含めて全面的に否認するようになり、「第三者の話は嘘だった」と主張を翻した。公判ではその経緯について、「弁護士から矛盾を指摘され、自分でも変だなと。ちゃんと話さないとちゃんとした裁判を受けられない」と説明。実在しない第三者をかばうと主張した理由を問われると、「存在しないから明らかにできない」と答えた。
勝又拓哉の生い立ち
勝又拓哉は、1982年に台湾で生まれ、事件の約20年前に来日した。母親が先に美容学校に入学するため来日していたが、やがて日本人男性Aさんと結婚。Aさんは「連れ子は養育しない」と言ったが、母親の兄が台湾から勝又を連れてきて、居ついてしまったという。
勝又は事件後の2009年5月に中華民国から日本に帰化している。
母親はAさんとその両親と暮らしていて、勝又も同居したが、やがてAさんの両親と折り合いが悪くなり、勝又だけ鹿沼市のアパートに転居。母親はAさんの家と勝又のアパートを行き来する生活になった。その後、Aさんとは母親の金銭問題などが理由で離婚した。
栃木県今市市(現・日光市)の市立大沢小学校(被害者と同じ)に転入し、1995年に卒業。宇都宮市内の中学校に転校するまで、連れ去り現場の近くで暮らしていた。日本語ができない勝又は、すぐキレることもあって友達もできず、イジメの対象にされた。イジメられた場所は、有希ちゃんが最後に目撃された三叉路のあたりだったという。
商標法違反容疑で逮捕
勝又は中学時代から引きこもるようになり、その生活は本事件で逮捕されるまで続いていた。一日中、家でゴロゴロし、昼頃に起きだしてコンビニ弁当を買い、あとはパソコンでゲーム三昧という毎日だった。中学卒業後に地元のホテルに就職したこともあったが長続きしなかった。その一方で、幼児趣味、ナイフ収集趣味はエスカレート。事件後、パソコンからは児童ポルノや猟奇趣味の画像データなどが多数見つかっている。
2002年頃から母親を手伝い、車で関東近辺の骨董市などを転々として偽ブランド品の販売を始めた。母親が仕入れや販売を手がけ、勝又は自宅に隣接する保管倉庫から骨董市まで車で運んでいた。自ら中国まで買い付けに行くこともあったという。店では母親が客に対応し、勝又が店番をしていた。
有希ちゃんの誘拐殺人事件を起こしたのは、2005年12月1日。遺体が見つかった茨城県常陸大宮市の現場付近も骨董市巡りで訪れ、土地勘があった。その翌月(2006年1月)、骨董市で偽ルイ・ヴィトンのバッグなどを売っていたとして、勝又は母親とともに商標法違反容疑で逮捕された。
この事件の取り調べにおいて、警察が有希ちゃん殺害事件の関与について追及。勝又が犯行を認める供述をしたため殺人でも逮捕となった。裁判では控訴審で一審無期懲役判決が破棄される一幕があったが、改めて無期懲役が言い渡され、最高裁で確定となった。
現在、勝又は千葉刑務所に服役している。
裁判
2016年2月29日、勝又拓哉被告(当時33)の裁判員裁判が宇都宮地裁で始まった。有力な物証はなく、争点は捜査段階の自白の信用性と任意性となった。
検察官が起訴状を読み上げたあと、裁判長に内容の相違を聞かれた勝又被告は、「殺していません」とはっきりとした口調で答えた。遺体遺棄現場に行ったのかとの問いにも、「行ってません」と応じた。
弁護側は「勝又被告は無実。連れ去り・わいせつ行為・殺害も死体遺棄もやっていない。事件とは全く無関係」と主張した。
勝又被告は弁護人が席に着くと涙を流し始め、時折、肩を震わせる場面もあった。
第4回公判(3月3日)の被告人質問で、犯行を認める供述調書にサインしたことについて勝又被告は『強要されたもの』だと供述した。取り調べ中、『人を殺したことあるでしょ』と圧迫され続けたことで頭がパニックになり、『調書にサインしろ』と肩を揺さぶられ、「訳も分からずサインした」のだという。
第5回公判(3月4日)では、弁護側が「強制的、不当に長く勾留された末の自白で、任意性は認められない。パニックになり、供述調書にサインをした。警察官に右手で左頬を平手打ちされ、頭をぶつけて怪我をした」と取り調べに対して非難した。
また、逮捕のきっかけについても「(別件の)商標法違反事件を利用した違法な取り調べ。別件逮捕から自白まで身柄拘束は123日間に及び、不当に長く拘束された。」と非難した。
勝又被告は、当初は認めていた『連れ去り・わいせつ行為』を全面否認し、「第三者の話は嘘だった」と供述を翻したことについて、「弁護士から矛盾を指摘され、自分でも変だなと。ちゃんと話さないとちゃんとした裁判を受けられない」と説明した。
供述の矛盾点
第6回公判(3月8日)では、遺体を解剖した本田克也筑波大学教授が弁護側の証人として出廷し、勝又被告の自白が遺体発見時の状況と矛盾する点があることを証言した。
- 死因は失血死だが、遺棄現場のルミノール反応は『指を切ったか鼻血程度』の量。大量の血液が出た場合は血だまりなどができるはずで、血液が凝固する前に遺棄された可能性を否定。
- (遺体の)頭に付着していたガムテープから勝又被告のDNA型は採取されず、警察関係者のものではない不明なDNA型が採取されている。
- 遺体は車の後部座席に寝かせられたような体勢で死後硬直していた。『現場で殺害した』という供述が正しいなら、急斜面に従った形に固まっているはず。
以上の点から、本田教授は「殺害現場と遺棄現場は違うはず」と自白の矛盾を指摘し、「再鑑定をすれば絶対真犯人が見つかる」と熱弁した。
検察側の主張
一方、検察側は、以下の状況証拠から勝又被告の犯行であることを主張した。
- 有希ちゃん失踪直後の午後3時頃、『若い男が運転する白いセダン』の目撃情報があったが、勝又の車も白のセダン。
- 宇都宮市内のビデオレンタル店には、事件当日の勝又の利用履歴が残っており、有希ちゃんを連れ去ることが可能だった。
- 遺体発見日のNシステムの記録から、勝又被告の車が自宅のある鹿沼市方面から遺体遺棄現場の茨城県常陸大宮市方面を往復していたことがわかった。
- 遺体に付着していた猫の毛は、勝又が飼っていた猫と同一のグループのものだった。(猫を71グループに分けた場合の同一グループで、570匹調べて0.5%程度)
取り調べ映像
第8回公判(3月10日)では、2014年2月18日(午後)、21日、25日、27日の4日間の取り調べ時の映像が計110分再生された。
取り調べは別件の商標法違反事件の逮捕時に行われたものだが、有希ちゃん殺害の話になると勝又は震えたり、息づかいが荒くなるなどの変化を見せた。そして、「早く話して楽になりたい」と涙を流す様子も映し出されていた。しかし実際は「姉と会わせてくれたら話す」として事件の詳細は語らず、姉との面会後もそれは同じだった。
だが、第11回公判(3月15日)で再生された取り調べ映像(2014年6月11日分)では、勝又が殺害を全面的に認めて詳細に供述する様子が映し出された。この映像の中で、検事に「殺したのは君だね」「心の底から言えているか」と念押しされた勝又は泣き始め、「はい」と何度もうなずいていた。
第12回公判(3月16日)の被告人質問では、『取り調べを担当した相手によって供述を変遷させた理由』について、勝又被告は相手に良い印象を持たせて ”刑が軽くなるように” 話を合わせたと話した。2014年6月11日の取り調べで、有希ちゃん殺害を全面的に認めた理由については「検事に『もう自白も必要ない』と言われ、自白しないと刑が重くなると思った」と説明した。
また、DNA鑑定を担当する警察庁職員は、遺体から勝又被告のDNA型が検出されていないことについて「遺体に被害者本人の血液が多く付着している場合、その血液を除いて検査することは難しく、(付着した別人の)DNA型は検出できない」と証言した。
一審判決は無期懲役
3月22日に論告求刑公判が開かれ、検察側は無期懲役を求刑した。その際、勝又被告は憮然とした表情を変えず、一斉に法廷を飛び出す報道陣に、にらむような視線を送った。
弁護側は最終弁論で、「勝又被告は無実。犯人であることを示す証拠は自白を除くとないに等しい。被告の自白は真実を語れていない」と改めて無罪を主張した。勝又被告は最終陳述で、全身を震わせて「私は吉田有希ちゃんを殺していません」と涙を流し、これまでのか細い声とは違って「こんないわれのない罪で、2年もぶちこまれるようなことをした覚えはない」と声を張り上げた。
2016年4月8日に判決公判が開かれ、宇都宮地裁は求刑どおり無期懲役を言い渡した。争点となった自白調書の信用性について、裁判長は「自白は具体的で迫真性に富み、根幹は客観的事実と矛盾せず信用できる」と述べた。
取り調べ映像については「殺人のことを当初聞かれた時の激しく動揺した様子、気持ちの整理のため時間が欲しいと述べる態度は、事件に無関係の者としては不自然」と信用性を認めた。また、『Nシステムの記録』『猫の毛のDNA鑑定結果』など、検察側が主張した状況証拠については、「勝又被告が犯人である蓋然性は相当高いが、犯人と直接結びつけるものではない」としながらも、自白調書を重視して有罪認定した。
この判決に対し、弁護側は控訴した。
一審判決破棄も無期懲役確定
2017年10月18日、東京高等で控訴審の初公判が開かれ、弁護側は改めて無罪を主張した。検察側は従来の主張の追加として、『起訴内容の殺害日時と場所を大幅に広げる』という異例の訴因変更を東京高裁に請求した。
刑事裁判において、検察官が有罪であると主張する『具体的な罪となるべき犯罪事実』のこと
変更内容は、殺害場所を「栃木県か茨城県内とその周辺」と広範囲に広げ、日時は女児が下校途中に同級生と別れた時間を起点に「2005年12月1日午後2時38分頃から同2日午前4時頃」とし、約13時間の幅を持たせた。裁判長は、この訴因変更請求を認める決定をした。
2018年8月3日、東京高裁で控訴審の判決公判が開かれた。裁判長は「供述の信用性を判断する補助証拠に過ぎない取り調べ録音・録画(可視化)映像で犯罪事実を直接認定したのは違法」として一審判決を破棄した。
その上で、母親に宛てた「自分で引き起こした事件、お母さんや、みんなに、迷惑をかけてしまい、本当にごめんなさい」とする手紙について「勝又被告が殺害の犯人でないとすれば合理的に説明することは困難」と判断。手紙を有罪認定の根拠とし再び無期懲役を言い渡した。
弁護側は即日上告していたが、最高裁は2020年3月4日付でこれを棄却。一審判決を破棄し改めて無期懲役とした控訴審判決が確定した。
弁護側は3月6日午後に記者会見し、勝又被告が「直接的な証拠はないはずなのに、有罪を是認したことは承服できない。再審請求など自分自身の無罪を示すために戦っていきたい」と話したことを明らかにした。
冤罪説の根拠
勝又は2014年6月11日の取り調べにおいて犯行を自供しているが、その後は一転して無罪を主張している。弁護側は「別件逮捕を利用した違法な取り調べ。(自白するまで)身柄拘束は123日間に及び、不当に長く拘束された。自白に任意性は認められない」「パニックになり、供述調書にサインをした」「警察官に右手で左頬を平手打ちされ、頭をぶつけて怪我をした」と主張している。
さらに冤罪である根拠として以下のような点を挙げている。
DNAについて
遺体からは勝又のDNAは検出されていない。遺体に付着していた粘着テープには2人分のDNAが残されていて、ひとつは鑑定人のものと認定されているが、もう1つは誰のものか特定されていない。
遺体の状態について
殺害現場を遺棄現場と自供したが、遺棄現場で血液はほとんど採取されていない。また、遺体は発見当時、死後硬直が進んでいたが、急斜面に従った形に固まっておらず、車の後部座席に寝かせていたとすれば符合する形に固まっていた。遺棄現場で殺害したという供述と矛盾する。
Nシステムについて
遺棄現場へ向かっているとされた勝又の車をNシステムが記録していたが、その地点は遺棄現場から約30kmも離れた場所である。