群馬一家3人殺害事件
1998年1月14日、群馬県で家族3人が殺害された。犯人は、この家に住む20代女性に一方的に好意をよせていた小暮洋史。小暮は女性に執拗で悪質なストーカー行為を行い、女性本人ではなく、女性の家族3人を殺害した。
その後、小暮は逃走。指名手配されたが、今も未解決のままである。170cm・面長、爪を噛む癖を持つこの男は、今どうしているのか?
残された女性のためにも、一刻も早い解決が待たれている。
事件データ
犯人 | 小暮洋史(当時28) |
犯行種別 | ストーカー殺人事件 |
犯行日 | 1998年1月14日 |
場所 | 群馬県 |
被害者数 | 3人死亡(ストーカー相手の家族) |
判決 | 指名手配中 |
動機 | 一方的な恋愛感情 |
キーワード | ストーカー |
事件の経緯
石井さんは、高校を卒業後、群馬県高崎市内のドラッグストアで働き始めた。
彼女の家族は、両親と祖母の4人暮らし、新築したばかりの家で幸せに暮らしていた。
仕事にも慣れたある日、職場の先輩に誘われてボウリングに行った。
そこには、ある男がいた。それは、石井さんが働くドラッグストアに、週2回荷物を搬入してくる運送会社の男で名前は小暮洋史(当時28)といった。
石井さんは小暮に対し、”無口だがまじめそう” という印象を持っていた。しかし、ボウリング場での小暮は、仕事の時と違いとても饒舌だった。
会話の中で、車の運転が好きだと石井さんが話すと、小暮も同じ趣味だという。
とはいうものの、小暮が乗っているのは普通の乗用車で、いわゆる「車が趣味の男性」という感じはしなかった。
何日かして、小暮が客としてドラッグストアにやってきた。その時、以前とは違う新車のスポーツタイプの車に乗ってきたのだ。小暮は石井さんに好意を持っていて、車の運転が好きという石井さんのために、わざわざ新車を購入したのだ。
これをきっかけに、小暮は休日に会おうと彼女を執拗に誘うようになっていった。
週2回の荷物の搬送日には、必ず誘ってくるようになり、石井さんは困惑していた。石井さんは小暮に対して、特別な感情はまったくなかったのだ。
その後、小暮は石井さんが帰宅する時に後をつけて、石井さんの家の所在地を調べた。そしてその住所を元に電話番号を調べ、家に電話をかけてくるようになった。
石井さんははっきり断りたかったが、仕事の関係者ということもあり、躊躇していた。そして、あまりにもしつこい誘いに根負けした石井さんは、小暮と2人で会うことを約束してしまう。
小暮は群馬県前橋市出身で、地元の工業高校を卒業後、運送会社で働き始めた。仕事ぶりは真面目だったが、職場ではおとなしく目立たない存在だった。
友だちもいなかった小暮は、仕事で石井さんと顔を合わせるうちに、一方的に好意を持つようになったのだ。そんな小暮とのデートが楽しいはずがなく、石井さんは今後どうやって断ろうかと考えていた。
そんな石井さんの思いとは裏腹に、小暮の彼女への気持ちは、どうしようもないところまで膨らんでいた。デートのあとは、小暮は毎晩電話をかけてくるようになった。
しかし、石井さんはこのころ、思いを寄せていた男性と交際を始めていたのだ。この男性のことは、両親にも紹介していた。そんな事情もあり、石井さんは両親に心配をかけないよう、小暮のことは話していなかった。
ひどくなるストーカー行為
小暮の誘いは相変わらず続いていたが、石井さんはなんとか断っていた。
そんなある日、父親から小暮が家に来たことを告げられる。家にまで来ることは想定外で、石井さんはさすがに怖くなり、店長に相談した。
そこで店長は、小暮が配送に来た時は石井さんを店頭から退避させ、顔を合わせないで済むようにした。
この作戦は功を奏したようで、あれほど頻繁だった自宅への電話もなくなった。
石井さんはひと安心した。彼女は交際していた彼とも婚約し、これから幸せが待っている・・・はずだった。
そんなある日、普段着の小暮が突然店に現れた。配送のスケジュールには対応できても、客として来られると逃げようがなかった。仕方なく、店長が彼女が迷惑がっていることを小暮に伝え、その場は収まった。
しかし、小暮はあきらめたわけではなかった。ここから小暮の狂気のストーカー行為が始まるのだ。
まずは再び自宅に電話がかかるようになった。しかしそれは、繰り返される無言電話で、深夜にまでおよんだ。車のワイパーに「また2人で会いたい」という内容の手紙が挟んであることもあった。
怖くなった石井さんは、彼氏に自宅まで送ってもらうようになった。彼氏の勧めで、すぐに連絡ができるよう携帯電話も購入した。当時、携帯電話はようやく一般に普及し始めたばかりで、費用がかかったが仕方なかった。
そんな不安を抱えたまま、年が明けた。
1998年1月4日、この日は年が明けてから、小暮が配送でやってくる最初の日だった。ところが、配送にやってきたのは別人。小暮は会社を辞めたのだという。
仕事始めのこの日、小暮は会社の掲示板に「辞めます」と書いて姿を消していた。
一抹の不安を覚えながらも、小暮が自分の前から姿を消したことに石井さんは安堵した。心配事もなくなった状態で迎えた成人式は、家族と彼氏の祝福もあり、とても幸せに感じられた。
事態は最悪の結末に
1月14日は、母親・千津子さんの48回目の誕生日だった。いつも通り母親がパートに出て、続いて石井さんが出勤、その後父親の武夫さんも電気工事の仕事に出て行った。家にはいつも通り祖母のトメさんひとりが残った。
石井さんは、昼休みには彼氏を誕生日会に誘う連絡をした。
夕方頃、小暮は石井さんの家の前にいた。
小暮は祖母ひとりだけの家に押し入り、祖母の首を絞めて殺害。その後、母親、父親の順で帰宅直後を襲い、2人も殺害した。
小暮は殺害後も逃走せず、千津子さんが作っていた味噌汁を飲んだことが判明している。
自宅で起きている惨劇など、知る由もない石井さんは、仕事を続けていた。そして、帰宅途中には誕生日プレゼントの花束を買い、午後9時頃帰宅した。
家に着いた石井さんは、何か違和感を感じた。テレビの音もしないし、何より家族の気配がなかった。
とりあえず2階の自分の部屋に入ると、驚いたことにそこには小暮がいた。石井さんは大声で叫んだが、いるはずの家族は誰も応答しない。石井さんが、家族はどこかと尋ねると、小暮は「薬で眠らせている」と言う。嫌な予感がした。
石井さんはさらに家族のことを問い詰めた。すると小暮は「大変なことをした」と落ち着きがなくなった。石井さんが警察に行くように言うと、小暮は錯乱したようになり、突然家から出て行った。
石井さんはすぐに110番通報した。そして恐怖の中、両親と祖母を探した石井さんが見たのは、すでに冷たくなった3人だった。
遺体は、浴室や押し入れから発見された。小暮は祖母を絞殺、母と父を刺殺していた。
犯行のその後
小暮は石井さんの自宅を出た後、車で国道50号線を水戸方面に逃走したことがわかっている。
翌日、群馬県警は小暮に対し、殺人容疑で逮捕状を請求。そして全国に指名手配し、その行方を追った。
その後、群馬県太田市や埼玉県熊谷市周辺で、小暮のものと思われる車が目撃されている。しかし、それ以降の足取りはわかっていない。
2020年末までの23年間に群馬県警に寄せられた情報は2620件。だが有力な手掛かりはない。
この事件の翌年に桶川ストーカー事件が起き、日本でもストーカー規制法ができた。
小暮容疑者は、自殺したのではという見方もあるが、今なお逃走中の可能性も捨てきれない。
過去には整形して時効ギリギリまで逃げ延びた、松山ホステス殺害事件の福田和子のような例もある。
石井さんは事件後、小暮を思い出しては震え、眠れない日々が続いた。最愛の両親と祖母を失った彼女は、「自分さえいなければ家族は死なずに済んだ」と自分を責め、自殺を考えたこともあったという。
それでも、時間が少しずつ癒され、今では風化を防ぐため、事件のことを伝えたいと思えるようになった。
だが心の傷は癒えたわけではなく、全てを奪われたという感覚は変わらない。
彼女の願いは「生きていれば早く捕まってほしい。死んでいるならその証拠が欲しい」
犯人・小暮洋史の生い立ち
小暮洋史は1969年7月31日、群馬県前橋市で生まれ、犯行当時も前橋市内に住んでいた。
高校は地元の群馬工業高校を卒業。高校時代は決して目立つ存在ではなく、友達もほとんどいなかったという。卒業後は、群馬県前橋市内の運送会社「三山運輸」でトラック運転手として勤務。石井さんが働くドラッグストア「イイヅカ薬品」の配送を担当していた。
性格は、人付き合いが苦手で無口。いつも無表情で、誰ともほとんど口を利かず、後輩の面倒見も悪かったそうだ。しかし仕事ぶりはまじめで、トラブルなどは一切なかった。凶悪事件を起こすような兆候もなかったという。
どんな些細な事でも情報を持っている方は
高崎警察署 0120-547-590 まで
名前 | 小暮洋史(ひろし) |
生年月日 | 1969年7月31日 |
身長 | 170cm |
体型 | やせ型(当時) |
輪郭 | 面長 |
癖 | 爪を噛む、手の匂いを嗅ぐ |
車 | 日産・シルビア(黒) ナンバー「群馬33 も 8670」 |
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