「小金井ストーカー殺人未遂事件」の概要
2016年5月21日、東京都小金井市内のライブハウス「Event Space SOLID」前で、芸能活動をする女子大生が刺されて意識不明の重体になる事件が発生した。
犯人は女性のファンの岩埼友宏(当時27歳)。単なるファンのひとりだった岩埼は、次第に彼女に対して一方的に本気の恋愛感情を抱き、その思いに応えてくれない彼女に腹を立て、犯行におよんだ。
女子大生は一命を取り止めたが、裂傷が少しずれていたり、搬送が少しでも遅ければ助からない可能性があった。彼女は心身ともに後遺症に苦しんでいるが、岩埼は裁判中も反省しているようにはみえなかったという。
事件データ
犯人 | 岩埼友宏(当時27歳) |
犯行種別 | 殺人未遂事件 |
犯行日 | 2016年5月21日 |
犯行場所 | 東京都小金井市内のライブハウス 「Event Space SOLID」 |
殺害者数 | 女性1人重体 |
判決 | 懲役14年6か月 |
動機 | 相手にされない恨み |
キーワード | ストーカー |
「小金井ストーカー殺人未遂事件」の経緯
冨田真由さん(当時20歳)は、東京都内の亜細亜大学3年生で、シンガーソングライターなどの芸能活動を行っていた。そんな彼女に熱を上げるファンの中に岩埼友宏(当時27歳)がいた。
岩埼は2016年1月頃から、冨田さんのtwitterに書き込むようになったが、当初は好意的な内容のものだった。また、腕時計をプレゼントするなど、このころはファンのひとりとして冨田さんを応援していた。
だが、それは長くは続かない。岩埼の書き込みは、次第に不穏なものに変わっていく。
1月22日には「たまには返信してちょうだい」などの要求を、24日には冨田さんの側近の男性に対する嫉妬心むき出しのメッセージを書き込んでいる。2月後半からは冨田さんに対する批判や悪口、自分への態度に関する不満のメッセージを送り続けた。
そんな岩埼を恐れたのか、冨田さんは贈られたプレゼントの腕時計を郵送にて返している。しかし、これに岩埼はプライドを傷付けられたのか、かなり腹を立てていた。
2月1日に岩埼はtwitterに「腕時計を捨てたり、売ったりするくらいなら返して。それは僕の心だ」と書き込んでいた。
腕時計が返却された直後(4月28日)、岩埼は「ほんと、嫌な女。お前それでも人間か」といった書き込みをしている。冨田さんは5月9日、武蔵野警察署に出向いて書き込みをやめさせるよう相談。しかし、同署は冨田さんに「恐怖心が見られない」と判断し、一般相談として処理してストーカー事案の専門部署にも連絡しなかった。
冨田さんの母親も、嫌がらせを止めさせるよう京都府警察に相談していた。(岩埼は京都府在住だった)これに対し、京都府警は警視庁に相談するように伝えていた。
警察に相談するも防げず
月 | 日 | 岩埼の書き込み(抜粋) |
---|---|---|
1 | 18 | 楽しい時間をありがとー♪ |
腕時計をプレゼントする意味を知ってますか? 大切に使ってくださいね | ||
22 | フォローしてよと言ったからフォローしてます。 たまには返信してちょうだい | |
吐き出せばいいじゃん。 原因は僕でしょ? | ||
利己主義者だなあ。 偏屈者でもあるのかな? | ||
ごめんなさい | ||
24 | 彼はトミーさんの何ですか? 荷物係?パシリ? | |
29 | 僕とつき合うと良いと思いますよ(ー略ー) 君を好きな気持ちを否定しないでね? | |
2 | 1 | 腕時計を贈られたのだとしたら (ー略ー) 「私との関係も長く大切にして欲しい」という意味 |
腕時計を捨てたり、売ったりするくらいなら返して。 それは僕の心だ | ||
あなたとは誠実な関係を望んでいます | ||
あたしの心臓あげる | ||
5 | さっきから鼻血が止まりません! 呪いでもかけましたか??? | |
18 | 他人を見下した時点でアウトだよ笑 自分の後ろには誰がいるか考えたことある? 沈黙の支持者を忘れんなよ | |
22 | あなたに見下されたこと一生忘れないから | |
24 | 「不誠実」だと言ったの撤回しますね | |
僕は残念なことに「冨田真由」を死ぬまで忘れられない | ||
3 | 4 | オススメの小説本ってなぁに? |
31 | スゲー怒ってる | |
4 | 27 | つまらん(16回) くだらん(14回) |
28 | (プレゼントを送り返され) ほんと、嫌な女。お前それでも人間か | |
そのうち死ぬから安心してね (●^-^●)ごめんね | ||
5 | 20 | (自身のブログに)殺人なんてのは(ー略ー)アリキタリな愚行 |
21 | (事件前、駅で待ち伏せ中)まだかなまだかな |
5月21日、岩埼は自身のブログに「行ってきます」と残し、自宅のある京都から東京都小金井市のライブ会場に出かける。そしてライブ会場の最寄り駅であるJR・武蔵小金井駅で、冨田さんを待ち伏せた。
冨田さんが駅に着くと声をかけるも無視され、岩埼は一定の距離を置いて彼女のあとをつけていった。そして冨田さんがライブ会場に入る直前に彼女に近づき、プレゼントを送り返したことを問い正した。だが彼女は曖昧な返事をしたあと、無視するように電話をかけ始めた。
これに岩埼は激高する。岩埼は隠し持っていたナイフで冨田さんの首や胸、背中など20数カ所を刺した。犯行後、岩埼は冨田さんを ”可哀そうに思い” 自ら救急車を呼び、救急隊員に「早く助けてあげて」と声をかけたという。
冨田さんがかけた電話の相手は警察だった。小金井署によると、冨田さん本人が110番した際「助けて。キャー」と言った後、応答がなくなったという。
冨田さんはライブの2日前、武蔵野署にライブ日程を伝えていた。武蔵野署は小金井署に対応を依頼したが、小金井署は当日、会場に警官を配備していなかった。
冨田さんは一時、心肺停止状態にまで陥っていた。
その後、駆け付けた警視庁小金井署の署員が、岩埼の身柄を確保し、傷害容疑で現行犯逮捕。岩埼は取り調べに対し、冨田さんからのプレゼントの返却やTwitterのブロックを動機に挙げ、「冨田さんと結婚したかった」と述べた。
警視庁は、東京地検に殺人未遂罪と銃刀法違反の容疑で岩埼を送致。岩埼は精神鑑定のため、3ヶ月鑑定留置された結果、「責任能力あり」と判断され起訴された。
冨田真由さんは意識回復するも…
冨田真由さんは約2週間後(6月3日頃)に意識を回復。内臓への損傷がなかったことが、一命を取り止めた大きな要因だった。だが、顔などの傷が完全に消えることはなく、心身ともに大きな後遺症が残った。
裁判中の証言によれば、思うように体が動かず、口にマヒが残ったため歌うことも食べることも苦痛。目にも後遺症があり、視力は低下、視野も狭くなり、歩いていても人や物にぶつかりそうになるとのこと。
精神的にも絶望や悔しさで頭がおかしくなりそうで、気が付けば毎日泣いていると話している。
犯行の酷さは、「裁判員が冨田さんの傷の様子を見て倒れた」という話からも想像がつく。
公判中、検察官が「冨田さんの負傷状況」をモニターで説明した際、それを見たひとりの男性裁判員が突然うなり声を上げて倒れ込み、椅子から崩れ落ちた。
廷内は騒然となり、裁判長が休廷を宣告。その後、別の裁判員が補充されたという。
しかし、冨田さんは芸能活動再開への意欲を失っていない。
「顔に大きな傷があるから、女優は無理。口が大きく開かないので、伸び伸びと歌えないが、大好きな歌の仕事まで犯人に奪われたくない。週に1回、病院でリハビリをしています」
神経の損傷で口を動かせない症状を克服し、シンガー・ソングライターとして復帰する考えを示した。
犯人・岩埼友宏の生い立ち
岩埼友宏は群馬県伊勢崎市出身。小学校から柔道を始め、卒業文集に「将来の夢はオリンピック選手」と書いていた。伊勢崎市立第二中学校時代(2003年)には、群馬県中学体育柔道90kg級で第3位の成績を収めている。
中学の同級生など当時の岩埼を知る人たちは、事件に対し一様に「信じられない」という反応を示した。
- 体が大きく部活では中心的な選手。問題を起こすことはなかった。
- 普段から口数が少なく、部活の後もひとりで帰っていた。
- 学校では目立つタイプではなく、優しい印象。
- 大会での姿勢も良く、礼儀正しかった。
- おとなしい印象。人付き合いが苦手そうだった。
その後、スポーツ推薦で柔道の強豪高校(前橋市)に進学するも中退、京都の造園業に就職している。事件当時も京都府京都市右京区に在住していた。
伊勢崎市に住む岩埼の兄は、岩埼について「自分の感情を表現するのが下手で、溜め込んでは感情を爆発させることが多かった」と話している。
岩埼友宏の過去
岩埼は過去にも似たような問題を起こしている。
2013年には芸能活動を行う10代女性のブログに対し、「殺す」などの脅迫的な書き込みを残したとして警視庁より呼び出されている。岩埼は呼び出しに応じなかったが、書き込みが収まったので警視庁は事件化を見送った。
この時、岩埼の名前を記録していなかったため、本事件の対応でも事件発生までこの出来事を把握することができなかった。
さらに事件の前年(2015年)12月、滋賀県に住む別の女性も、岩埼との対人関係について滋賀県警に相談している。この時は電話相談のみで、警察署を訪れることはなかったという。
波多野結衣のAV作品に出演
岩埼は、人気AV女優・波多野結衣の企画作品「筆おろし童貞卒業バスツアー!!(2014年)」に出演していた。
オーディションで選ばれた岩埼(当時25歳)は、性体験のない男性たちのひとりとして登場している。
冨田真由さんについて
冨田真由さんは長野県千曲市出身。事件当時は亜細亜大学3年生で、大学に通いながらシンガーソングライターとして芸能活動に励んでいた。
過去には期間限定のアイドルユニット「シークレットガールズ」のメンバーとして活動していた。ほかにも「仮面ライダーフォーゼ」のほか、多くの舞台に出演している。
冨田さんを知る芸能関係者の男性は「とにかく明るい子で、舞台を頑張っていた。歌をうまくなろうと努力していた」と話す。冨田さんは自身のブログに、ライブの様子や大学生活について書き込んでいた。
事件の約2時間半前にも「(来場を)お待ちしております!」とライブの出演情報を掲載していた。
ストーカー規制法の改正につながった
本事件の発生を受けて、ストーカー規制法改正案が2016年12月6日に可決・成立、一部は2017年1月3日に施行された。(全面施行は2017年6月14日)
2013年の逗子ストーカー殺人事件を受けてメールの連続送信が規制対象となったが、これに加えtwitterやLINE、ブログなどへの連続送信もつきまとい行為とみなすことができるようになった。
- TwitterやLINE等のSNSでのメッセージの連続送信や、個人のブログへの執拗な書き込みを、つきまとい行為に追加
- 罰則の強化
- 非親告罪化
- 緊急の場合、事前の警告や聴聞等を経ず、また被害者の申し出が無くとも公安委員会による禁止命令を可能とする
- 禁止命令の有効期間の明文化(原則1年、延長可能)
- ストーカー行為をする者に対し、相手方の個人情報等を提供する行為の禁止
- 警察、司法関係者への被害者の安全確保、秘密保持義務の明記
- 国や自治体に、被害者に対し民間滞在(民泊等)の支援、公的賃貸住宅への入居に関する支援に務めさせる
裁判
岩埼友宏被告は、殺人未遂と銃刀法違反の罪で起訴され、2017年2月20日の東京地裁初公判において起訴内容を認めた。
検察側は岩埼被告について「(冨田さんに)相手にされない場合は殺そうと考え、ナイフを購入した」と指摘。一方、弁護側は岩埼被告が自ら119番通報し、救急隊に「彼女を早く助けてあげて」と話したことなどを挙げ、「被害者に無視され、衝動的に刺した」と計画性を否定した。
冨田さんが負った傷について検察官がモニターで説明中、ひとりの男性裁判員が倒れ、別の裁判員が補充された。
また岩埼被告は、冨田さんの供述調書が読み上げられる間、時折笑みを浮かべていたという。
第2回公判(2月21日)では、目撃者らが証人として出廷し、そのうちの1人は「(岩埼被告は)首回りを狙って、考えながら刺しているようにしか見えなかった」と、犯行の様子を語った。
午後には冨田さんの母親が出廷し、冨田さんの現状について話した。冨田さんには心身ともに後遺症に苦しみ、泣いたり叫んだりしていることや、リハビリに励んでいても、傷やマヒの残る口元を見る度に「こんな気持ち悪い顔になっちゃって。リハビリをやっても治る気がしない」と悲しみに暮れていることを明かした。
さらに母親は、「娘は死んでもおかしくなかった。私は殺人事件と考えている。犯人はそれぐらいひどいことをした」と意見を述べた。そして「刑務所から出てきたら、精神面の治療は一からやり直しになるかもしれない。今度こそ殺しに来るかもしれない」と涙声で厳罰を求めるよう訴えた。
弁護人はこの日、岩埼被告が損害賠償金として200万円を支払う提案をしたことを明かした。
母親は、岩埼被告や傍聴席から姿が見えないよう配慮され、岩埼被告と顔をあわせることはなかった。岩埼被告は視線を落とし、冷静な様子だったという。
反省が感じられない態度
第3回公判(2月22日)の弁護側による被告人質問で、岩埼被告は「贈った本と腕時計を返送した理由を聞こうと思ったが、話を拒絶され、絶望や悲しみを感じて刺した」と話した。
検察側による被告人質問では、冨田さんへの謝意を示した一方、検察官の質問を鼻で笑うような挑発的な態度を取っている。捜査段階で録音・録画された「殺すつもりだった」「首は急所だから刺した」「自分が100%悪いとは思わない。富田さんに被害者顔されたくはない」という発言の真意を尋ねられると「言った覚えはない」と主張し、殺意や計画性を否定した。
冨田さんの弁護人から「謝罪する気はないがパフォーマンスとして謝っている」と指摘されると「違う!」と声を荒らげる一幕もあった。
事件前の心情について、岩埼被告は「Twitterにコメントしても、僕だけ返信が来なかった」「プレゼントを送り返され、悲しみと怒りが湧いた」と話した。また、事件の際ナイフを持っていた理由は「精神的な心の支えにするためのお守り」と説明したが、裁判長はこれについて「合理的な説明がない」と一蹴した。
23日には冨田さんが意見陳述を行い、声を詰まらせながら悔しさを語り、元の生活や傷のない体を返してほしいと訴えた。そして「犯人を野放しにしてはいけない」と述べると、岩埼被告は「じゃあ殺せよ!」と叫び、更に冨田さんが「今度こそ私を殺しに来るかもしれない」と話すと「殺すわけがないだろう!」と連呼し、岩埼被告は退廷を命じられた。
検察側は「常軌を逸した自己中心的な犯行」「類例を見ない悪質性、反社会性がある犯行で謝罪がパフォーマンスだったことは法廷での言動で証明された」として岩埼被告に懲役17年を求刑し、裁判は結審した。
2月28日の判決公判で、犯行には一定の計画性があったとして、岩埼被告に懲役14年6か月が言い渡された。岩埼被告は判決を不服として東京高裁に控訴したが、のちに控訴を取り下げ刑が確定している。
岩埼被告が裁判中、冨田さんに謝罪の発言をしたことについて、検察官や裁判員らは一様に「実際は反省していない」とコメントした。それどころか「犯行に満足しているようにすら感じられた」という。