「豊川市一家5人殺傷事件」の概要
引きこもりニートの岩瀬高之(当時30歳)はネットに依存し、親のクレジットカードで足の踏み場もなくなるほど買い物をくり返した。家族は県の相談窓口や警察の助言に従い、インターネットを解約。だが、これは引きこもり対策として、絶対にやってはいけない危険な行為だった。
2010年4月17日、ネット解約に激怒した高之は、同居の家族5人に包丁を振りかざした。このうち、父親と姪が死亡、3人が重軽傷を負った。高之は自室の布団に火をつけて逃走するも、すぐに逮捕となる。精神鑑定で知的障害と自閉症が認定されたが、責任能力があるとして裁判で懲役30年が確定した。
事件データ
犯人 | 岩瀬高之(当時30歳) |
犯行種別 | 放火殺人事件 |
犯行日 | 2010年4月17日 |
犯行場所 | 愛知県豊川市 |
被害者数 | 2人死亡 |
判決 | 懲役30年 |
動機 | 家族にインターネット回線を解約された |
キーワード | ニート |
事件の経緯
中学卒業後に就職した製菓工場を1年で辞めた岩瀬高之は、チラシ配りのバイトをはじめた。しかし、そのバイトはほとんど詐欺のような出来高制で、仕事を始めるにあたって支払った30万円は無駄になってしまった。
このことにショックを受けた高之は、その後は働こうとせず引きこもってしまう。やがて、高之は父親の給料を管理するようになり、毎月20~30万円の収入から父親に5万円、母親に4万円を渡し、残りを自分のものにするようになった。
高之の弟(次男)は、「父が兄に強く言えずにそうなってしまった」と話している。また、兄弟の間に会話はほとんどなかったという。
やがて、2007年~2008年頃から、高之は父親のクレジットカードを使って、ネットオークションで写真集やTシャツなどの衣類を購入するようになった。その買い方は、『買い物依存』といっていいほどで、商品が届いても中身は開けずに段ボールに入ったまま。毎日のように届く荷物は、2階の部屋のほとんどを埋めていった。
2009年頃から三男夫婦が同居を始めると、家族関係の変化に伴うストレスからか、高之は家庭内でたびたびトラブルを起こすようになる。これを問題視した家族は、2010年3月頃から豊橋市内にある県の相談部署「県民生活プラザ」を訪れて相談するようになった。
ネット解約に激怒
3月16日、父親と次男が信用情報機関でクレジットカードの履歴を照会したところ、総額200万円を超す未決済の利用額が判明。内訳は買い物160万円とキャッシング70万円だった。県民プラザから「クレジットカードとインターネットを止めた方がいい」とのアドバイスを受け、4月初めには家族がインターネットを休止させた。
父親は自身の兄(当時62)に「(高之が)勝手に親のクレジットカードを使ってインターネットでゲーム機や雑誌を買ったので、インターネットを使えないようにした」と話していた。
だが、高之は自力でネット接続を復活させてしまう。こうした一連の流れは高之を刺激してしまい、岩瀬家には危険信号が灯り始めた。4月13日には、高之が父親の身分証明書を無断で持ち出して銀行口座を作ろうとして口論になった。
4月12日~15日に、家族は豊川署に計8回相談している。だが、それ以前に相談や通報は一度もなく、暴力も確認できなかったことから、豊川署は話し合いによる解決を助言した。
- 4月12日夜、次男が「兄が父と口論して怖い」と署に通報。駆け付けた署員に、家族は高之のネットオークションでの借金を説明。署員の仲介で「借金はこれ以上せず、少しずつ返す」ことで和解。
- 4月13日夜、次男が「クレジットカード会社から警察に被害届を出すよう言われた」と相談。署は「親族間の金銭トラブルは被害届を受理できない」と説明。
- 4月15日、次男が「兄が物を投げたりして暴れている」と110番通報するが、怪我人はなかった。
通報で駆けつけた警祭官が話を聞くと、家族は「このままでは生活が出来ない」と訴え、高之は「俺の勝手だ」と怒る。だが、高之は警察の前では大人しく、そのうち「もう寝る」と2階の自室に上がってしまうため、警察もそれ以上の介入はできなかった。
警察の助言もあり、父親は4月16日に改めてインターネット契約を解約した。これに高之は「殺して火をつけてやる」と激怒する。
一家5人を包丁で襲う
2010年4月17日午前2時頃、高之(当時30)は宣言した通り、包丁を手に家族に襲いかかった。自室を出た高之は「何で俺のインターネットを解約したんだ!」と怒鳴りながら、2階で寝ていた母親の岩瀬正子さん(当時58)を襲った。その際、一緒に寝ていた1歳の孫(三男の長女・金丸友美ちゃん)にも躊躇なく包丁を振り下ろした。この犯行で母親は大動脈破裂の重症、友美ちゃんは死亡した。友美ちゃんの傷は背中から胸に貫通しており、額にも傷があった。
その後、一階で寝ている父親・岩瀬一美さん(当時58)と三男夫婦をそれぞれの部屋で襲い、父親は死亡した。三男の内縁の妻・金丸有香さん(当時27)は1ヶ月の重傷、三男・文彦さん(当時22)も2週間の怪我を負った。新聞配達員の次男(当時24)だけは、仕事に出勤していて難を逃れた。
犯行のあと、2階の自室に戻った高之は布団に火を付け、その上にライターを放り棄てた。4月17日午前2時25分頃、近所の男性から「刺された女性が助けを求めてきた」と通報があり、署員が駆けつけると家は半焼し、家族は負傷していた。
署員は近くの葬儀場内で血まみれでたたずむ高之を発見、現行犯逮捕となった。凶器とみられる包丁は自宅敷地内から発見された。惨劇はわずか10分ほどで、相次いで刺された5人は計40カ所以上の傷を負っていた。
逮捕直後の高之は動揺している様子だった。書き殴ったような文字で、メモに『インターネットを止められた』、『家族を殺そうと思った』などと犯行動機を書いていたが、横線で消しては何度も書き直していたという。
岩瀬高之の生い立ち
岩瀬高之は1980年、3人兄弟の長男として愛知県東部の小坂井町(現・豊川市)に生まれた。父親の一美さんはガスの集金業務、母親・正子さんは肥料などの容器を作る会社にパート勤務していた。近隣住民によると、一美さんは雨の日も嵐の日も休まずに自転車で通勤する真面目な性格で、母親の正子さんは創価学会の熱心な信者だったという。
家族は両親と弟2人。事件当時は家族5人に加え、三男の内縁の妻とその間にできた娘も同居していて、築33年の一戸建てには7人が住んでいた。
父親(一美さん)の両親は離婚していて、男兄弟2人は母親に女手ひとつで育てられた。そんな母子のもとに嫁いだ正子さんは、嫁姑問題に悩まされた。そんな問題が転じて夫婦が衝突することも多く、そのストレスからか、一美さんは酒が入ると些細なことで妻や子供たちにあたった。
「夕食時などに子供たちの叫び声が聞こえてきたこともある」と近所の人は話す。「将来、子供たちが大きくなったら、(一美さんは)殺されるんじゃないか」とまで囁かれていたという。そんな状態なので家族仲がいいとはいえず、近所付き合いもほとんどなかった。家では朝食が出されることはなく、夕食もカップ麺というのが通常だった。そんな高之の唯一の楽しみは、学校の給食を食べることだった。
高之は幼少時から口数が少なく、小学校の同級生は「喋ったところを見たことがない」と口を揃える。人と上手く話せない高之は、授業中、トイレに行きたいと先生に言えず漏らしたこともあった。そんな高之はからかいの対象で、小学校時代は同級生にたびたび教科書を隠された。
中学時代、成績は悪かったが登校は毎日していた。だが、こうした悩みを話せる友だちも、高之にはいなかった。同級生は高之について「当時流行していたテレビゲームなどに熱中していた。できたばかりのコンピュータ部に所属して、毎日顔を出していたが積極的に何かする子ではなかった」と振り返る。
10代で引きこもりに
中学を卒業すると、高校には進学せず菓子製造工場に勤務した。製品を包装する単純作業で、真面目に淡々と仕事をこなす高之は評価された。だが、2年目に後輩が入ってくると、仕事の指導ができない高之の評価も変わる。1年ほどで工場を辞めた高之は、チラシ配りのバイトをはじめようとした。
しかし、その仕事はほとんど詐欺のような出来高制のバイトだった。最初に支払わされた30万円は、まったくの無駄になってしまい、親族によると高之は相当なショックを受けていたという。
その後は仕事を探そうともせず、15年に及ぶ引きこもり生活がはじまった。家ではコンピューターやインターネットをして過ごした。やがて父親の給料を管理するようになり、両親に計9万円を渡した残りは高之が自由に使った。
事件の2~3年前から、親のクレジットカードを使ってネットオークションなどで買い物に依存するように。やがて2階は寝る場所を除き、開封さえしない荷物でいっぱいになった。
裁判で懲役30年
それでも家族が黙認していたことで、岩瀬家は最低限の平穏が保たれていた。その均衡が崩れるのが事件の約1年前。三男が内縁の妻と娘を連れて同居するようになると、家の空気は変わった。そのストレスが原因なのか、高之は次第に荒れていく。特に事件が発生した2010年4月に入ると、岩瀬家は加速度的に緊張感が増していった。
家族は「県民生活プラザ」や警察に相談するようになるが、助言された通りクレジットカードとインターネットを止めた。だが、これが事件の引き金となる。インターネットを解約されたことに激怒した高之は、翌日の2010年4月17日、本事件を起こした。
家族5人を包丁で襲ったうち、父親と姪が死亡し、母親、三男夫婦が重軽傷を負った。裁判に向けて実施された精神鑑定では、知的障害と自閉症が認定されたが、検察は責任能力があるとして起訴。2012年11月19日、最高裁で懲役30年が確定した。
危険な”引きこもり対策”
現在、引きこもりは全国に百万人以上、存在するという。引きこもり問題に詳しい法政大学教授の尾木直樹氏は、「ネットに依存する引きこもり青年からネットを絶つことは、空気や酸素を奪うに等しく、絶対にやってはいけないことなんです」と警告する。
高之の家族は、豊川署や県の消費者トラブルの窓口に救いの手を求め、そこでインターネットを解約するようアドバイスされたことが判明している。だが、彼らは ”引きこもりの専門家” ではなく、これは極めて危険な行為だったのだ。
尾木氏は「本来であれば、ここまで事態が深刻化する前に、専門家でチームを組んで対策にあたらなければいけません。また、家族は『引きこもりの親の会』などネットワークに関わることが必要でした。他にも同じ境遇の仲間がいることを知り、立ち向かう元気を得る。家族が変われば、やがて本人も変わってくるんです」と話した。
裁判
名古屋地検は刑事責任能力を調べるため、約4カ月の鑑定留置を実施。その結果、知的障害と自閉症が認定されたが「責任を問える」と判断して起訴となった。そなため、裁判の争点は「殺意の有無と責任能力が限定的だったかどうか」となった。
殺人と現住建造物等放火などの罪に問われた無職・岩瀬高之被告(当時31)の裁判員裁判の初公判が2011年11月24日、名古屋地裁で開かれた。高之被告は罪状認否で、犯行について「よく覚えていない」、殺意の有無に関しては「わからない」と述べた。
検察側は冒頭陳述で「高之被告は家族が黙っているのをいいことに、好き放題の生活を送っていた」と指摘。父親のクレジットカードでネットショッピングをくり返し、借金は350万円に膨らんでいたことを明らかにした。
一方、弁護側は高之被告に殺意はなかったとして、傷害致死罪などにとどまると主張。さらに、被告に自閉症などの知的障害があり、責任能力が限定的な心神耗弱状態だったと主張した。
死亡した金丸友美ちゃんの母親・金丸有香さん(裁判時29)は、「クレジットカードの申し込みなどができ、知的障害だったとは思わない」と言い、友美ちゃんの父親の三男・文彦さん(裁判時23)も「(知的障害を)事件後まで知らず、家族で話し合ったこともなかった」と証言した。(2人とも事件の被害者で、重軽傷を負っている)
金丸有香さん(友美ちゃんの母親)は、「かけがえのない娘の命を奪われた。遺体の苦しそうな顔を今でも忘れる事ができない」と胸の内を明かした。また、「(高之被告の)顔を見る事も辛い、怖い、腹立たしい」と、高之が視界に入らない様に希望したため、被告人席との間や証言台の後ろに衝立を設置した。
また、父親の文彦さんも公判中、兄である高之被告のことを ”犯人”、”岩瀬被告” と呼び、名前や ”兄” と呼ぶ事は一切なかった。検察側からその理由を尋ねられると「あの男(高之被告)の事はもう兄だとは思っていない」と、高之に対する怒りと憎悪を露わにしたうえで、「今でも切られた時の夢を見て恐怖を感じる」と述べた。
懲役30年が確定
2011年12月7日、名古屋地裁は高之被告に「凶暴で残虐な犯行」として懲役30年(求刑無期懲役)を言い渡した。
判決は、長年引きこもり状態だった高之被告が「インターネットを解約されたことで家族への怒りが爆発した」と認定。争点となっていた責任能力の程度について「逃げる家族を追いかけるなど、目の前の相手の行動に応じて行動している」として、完全な責任能力を認めた。
普段から凶器の包丁を調理で使い、危険性を理解していた高之被告が、被害者の逃走を阻止したうえで、急所を刺すなど手加減していないことなどから、殺意があったと認定。被告が犯行後に自宅に放火し、血のついた服を裏がえしに着ていたことや、駆けつけた警察官に「家族を刺して家に火をつけた」と説明した点を「犯行の意味を理解したうえでの行動」と判断し、完全な責任能力があったと認定した。
その後、2012年8月6日の控訴審判決でも、名古屋高裁は懲役30年とした一審・名古屋地裁の判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。
弁護側は、「怪我をさせようと最初に母の足を刺した高之被告が、精神障害のためにパニック状態に陥ったことで意識障害が生じ、ほかの家族を襲った」として、殺意はなく傷害致死などにとどまると主張。「重度の意識障害で制御能力が著しく低下」した心神耗弱状態で責任能力は限定的だったとし、懲役20年を下回る判決を求めていた。
2012年11月19日、最高裁は高之被告の上告を棄却し、一審・二審判決の懲役30年が確定した。