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川崎連続通り魔事件|”獄中で殺人の告白”も自分のため?

川崎連続通り魔事件| 日本の凶悪事件

「川崎連続通り魔事件」の概要

殺人未遂事件で服役中の男が、別の殺人事件について「話したいことがある」と警察にハガキを送った。この男は当初から関与を疑われていた鈴木洋一だが、当時は犯行を認めることはなかった。
刑務所内での取り調べから、警察は鈴木の犯行と断定。裁判で懲役28年が言い渡された。(上告中)

鈴木は服役中に脳梗塞などで倒れ、医療刑務所でリハビリ生活を送っていた。その経験から「心境に変化があった」として罪の告白を決めたという。しかし、よくよく聞いてみると ”自分が救われるために自白した” ともとれる発言をしており、相変わらずの身勝手さを示している。

事件データ

犯人鈴木洋一(当時26歳)
読み:すずき ひろかず
犯行種別殺人、殺人未遂
犯行日2006年9月23日(死亡)
2007年4月5日(重症)
犯行場所神奈川県川崎市
被害者数1人死亡、1人重傷
判決懲役28年(上告中)
動機女性の苦しむ顔が見たかった
キーワード

「川崎連続通り魔事件」の経緯

川崎連続通り魔事件・殺害現場の「梶ヶ谷トンネル」
現場の梶ヶ谷トンネル

2006年9月23日午前0時頃、川崎市高津区梶ケ谷の「梶ヶ谷トンネル」歩道で、黒沼由理さん(当時27歳)が見知らぬ男に襲われ、命を落とした。

このトンネルは、東急田園都市線・梶が谷駅から南東2kmの場所にある梶ケ谷貨物ターミナル駅下を通行するもので、刺した犯人は鈴木洋一(当時27歳)、黒沼さんと面識はなかった。

黒沼さんはこの日、アルバイトを終えて仲間の送別会に出席したために帰りが遅くなった。トンネルの距離は170mと歩くには長く、薄暗いこともあって夜の利用者は少なかった。しかし黒沼さんの自宅はトンネルからわずか200m。目と鼻の先の自宅に帰るのに、わざわざ遠回りしなかったのも無理はなかった。

川崎連続通り魔事件・被害者の黒沼由理さん
被害者の黒沼由理さん

黒沼由理さん(当時27)は川崎市生まれ。
東京都内の短大を卒業後、川崎市内のコンピューター関連会社に就職。事件直前の2006年6月に退職し、アルバイトをしていた。
事件当時は製菓の専門学校に通いながら、ケーキ教室の先生になる夢を追いかけていた。

通りかかった会社員が、倒れている黒沼さんをみつけて通報。黒沼さんは右胸と左腹を刺されており、病院に搬送されたが約2時間後に死亡。死因は出血性ショックだった。トンネル内には30mもの長い血痕が残されており、これは黒沼さんが必死で逃げようとした跡とみられた。

神奈川県警は殺人事件と断定し、宮前署に捜査本部を設置、捜査を開始した。

しかしこの事件では、近所の人が「女性の悲鳴を聞いた」というのみで目撃証言もなかった。当時の現場には防犯カメラもなく、鈴木が容疑をかけられることはなかった。

事件現場の住宅街

このエリアでは、本事件の約1年半前にも同様の通り魔事件が起こっている。
2005年3月6日午後11時10分頃、梶が谷駅から1kmほど南下した住宅街で、当時43歳の女性がオートバイの男に背中を切りつけられた。女性は厚手のコートの上から刺されたにもかかわらず、傷の深さは5cmもあったという。
この事件は、いまだに未解決である。

目撃者を装った再度の犯行

川崎連続通り魔事件・犯行現場
犯行現場の階段上の路地

そして翌2007年4月5日午後10時25分頃、またしても帰宅途中の会社員・吉次厚子さん(当時40歳)が襲われる。場所は梶ヶ谷トンネルから南東へ2~3kmで、第三京浜道路沿いの道から伸びる階段の上の路地だった。吉次さんは背中を2か所刺されて全治1ヶ月の重症。傷の深さは10cmにも達していたという。

平成の通り魔殺人事件|避けようのない恐ろしさ

この事件も犯人もやはり鈴木なのだが、彼はその後に奇妙な行動に出る。犯行から約1時間後、鈴木は事件の目撃者を装って警察に出頭したのだ。「階段の下に停車していたら、女性が襲われているのが見えたので助けに行った。犯人が逃げたので追いかけたが見失った」と証言した鈴木だったが、辻褄の合わない点があり、不審がられることになる。

川崎連続通り魔事件・犯行現場
鈴木が車を停めた場所

まず、被害者の吉次さんは「犯人を追いかける人はいなかった」と話しており、鈴木の証言とは食い違っていた。そして車を停めていた場所からは、犯行を目撃することは不可能だった。また、近所の住人の話では、”女性を追うように階段を歩いていた男” がいて、その風貌が鈴木と似ていたのだ。

鈴木は犯行で自らも指を怪我していたが、「犯人と格闘した際に負傷した」と話していた。

さらに怪しいのは、助けにまで入ったのに「被害者の介抱」も「警察への通報」もせず、1時間も経ってから警察にやってきたことだった。これらの事情から鈴木に嫌疑がかけられ、家宅捜索されることになった。

そしてその結果、鈴木の靴には ”介抱しなかったはずの被害女性の血痕” が付いていることが判明。鈴木は殺人未遂容疑で逮捕となった。

殺人未遂で懲役10年

取り調べにおいて、鈴木は「梶ヶ谷トンネル事件」への関与も疑われていた。だが家宅捜査でも物証は出て来ず、鈴木自身も認めることはなかった。

そんな中で始まった「吉次さん殺人未遂事件」の公判だが、鈴木は起訴内容を否認。しかし、その主張が通ることはなく、鈴木には懲役10年の実刑判決が下ることとなった。

鈴木は勾留中に「ベーチェット病」と診断されていて、本人が医療体制のしっかりした刑務所を希望したことから栃木県の黒羽刑務所に服役することに決まった。

名もなき受刑者たちへ「黒羽刑務所 第16工場」体験記

鈴木は公判中の被告人質問でも、「梶ヶ谷トンネル事件」への関与を追及されたが、「お答えできません!」と返すばかりだった。

刑務に就いた鈴木は、受刑者にとって ”待遇がいい” とされる「八王子医療刑務所」行きを画策し、精神科の薬を多く求めるようになった。だが2015年7月、鈴木は朝食時に突然倒れてしまう。診断は「脳梗塞」と「肺炎」。その影響で左半身に麻痺が残り、病院でのリハビリ生活を余儀なくされた。その後、念願の「八王子医療刑務所」へ移送された。

脳梗塞で倒れたことや、療養中に読んだ本が鈴木の考えを変えることになる。その本とは「バー・メッカ殺人事件」で死刑となった正田昭(享年40)の著作「夜の記録」だった。

本の内容は、「死刑囚としての単調な毎日を送りながら、いつかやってくる “執行の日” の恐怖や自分の犯した罪についての考察」が綴られている。
鈴木はこの本に共感し、考えを改めたのだという。

鈴木の言い分は「黒沼さんの命を奪っておいて、私のみが命を守り助けられたのは、神が私を必要とする者と感じたので、すべての罪の ”清算” をしてから、出所して神のお力になりたい」という、いわば ”自分が救われるため” の身勝手なもの。
だが、少なくとも ”罪を認めて償う” 決心だけはついたようだった。

服役中に殺人の告白

鈴木の刑期満了は2018年1月。それにあと2年と迫った2016年1月のことだった。鈴木は「事件について話したい」と、梶ヶ谷トンネル事件の犯行をほのめかす内容のハガキを宮前署に送ったのだ。

これにより、鈴木に対し刑務所内で任意の事情聴取が行われることになった。そして、取り調べで鈴木は犯行への関与を認めたのだ。動機については「女性から虐待を受けた経験があり、女性を刺したい衝動があった」と供述。また、10年近くを経て自供した理由について、「脳梗塞を患い、心境が変化した」と話した。

事情聴取では鈴木が「刑務所を出たら、またやってしまうかもしれないと思った」「寝ていると黒沼さんが枕元に出る」と打ち明けていたことも明かされている。
ある捜査関係者は「黒沼さんへの謝罪というよりも、自分自身を恐怖から救うために自供した、との印象を受ける」と話している。

2017年10月10日、宮前署は鈴木を「梶ヶ谷トンネル事件」の殺人容疑で逮捕。説明が一貫しない点もあったが、供述内容が遺体の状況が一致するなどしたため、逮捕に踏み切った。
凶器とみられる刃物は見つかっていない。

捜査の過程で、鈴木の自宅を県警が捜索したところ、包丁セットの中から2本がなくなっていた。結婚記念に贈られたもので、手つかずのまま保管されていたという。当時の妻は県警に対し、「一度も使ったことがない。いつなくなったのかわからない」と話した。

迷宮探訪 時効なき未解決事件のプロファイリング

鈴木は犯行の詳細について、「トンネル方向へ歩いて向かう女性を車内から見かけて先回りして車を降り、正面から刃物で2回刺した」と説明している。

横浜地検は10月27日、当時の精神状態を調べるため鑑定留置を開始。そして2018年3月2日、鈴木の完全責任能力が認定され、起訴されることが決まった。

犯人・鈴木洋一の生い立ち

鈴木洋一/川崎連続通り魔事件

鈴木洋一は1980年、神奈川県川崎市宮前区で生まれた。家族はタクシー運転手の父親、長崎県出身の母親、姉、妹の5人。

父親は家族に暴力を振るっていたが、鈴木が学生の頃、くも膜下出血で倒れて施設暮らしとなった。

地元の中学・高校を卒業後は仕事を転々とした。2002年頃から売春宿で性行為を行うようになり、相手の首を絞めて失神させ、その売上金を盗んでいた。性行為で性的に満足したあと、相手を失神させて苦しむ表情を見ることでストレス発散をしていた。

23歳頃に結婚。2004年(24歳)に隣の高津区に引っ越す。
最初の殺人未遂事件で逮捕された26歳当時は、自動販売機を設置する会社に勤務していて、妻と長男(2歳)、次男(1歳)との4人暮らしだった。この事件で懲役10年の実刑判決が下り、黒羽刑務所(栃木県)に服役する。

2015年7月、服役中の鈴木は朝食時に突然倒れる。診断は脳梗塞と肺炎で、鈴木は「八王子医療刑務所」に移送された。この病気で倒れた経験から鈴木の心境に変化があり、「梶ヶ谷トンネル事件」の罪を認める決心をする。

川崎連続通り魔事件/鈴木洋一
改心したようには見えない

2016年1月、鈴木は犯行をほのめかす内容のハガキを宮前署に送った。そして2017年10月10日、「梶ヶ谷トンネル殺人事件」で再逮捕。この日は鈴木の仮釈放予定日だった。

2019年12月13日、第一審判決で懲役28年。控訴するも2020年10月16日に棄却となっている。
現在は最高裁に上告中である。

鈴木は19世紀の末にイギリスで発生した猟奇的殺人事件の犯人・切り裂きジャックに憧れていたと話している。

切り裂きジャック―闇に消えた殺人鬼の新事実

裁判

2017年10月~2018年2月の4カ月間、鑑定留置されたほか、起訴後も弁護側の請求により精神鑑定が行われた。

2019年11月19日、横浜地裁で裁判員裁判の初公判が開かれた。
鈴木洋一被告は、黒沼由理さんを2度刺したうち1度目の殺意を否定したものの、それ以外の点は「間違いない」と起訴内容をおおむね認めた。

弁護側も殺人罪の成立を争わない姿勢を示した。しかし、精神鑑定で鈴木被告が性嗜好障害人格障害と判定された点を強調。こうした障害が「動機形成に影響を与え、犯行を思いとどまる力を弱めさせた」として量刑面での考慮を求めた。

計画性についても「鈴木被告が黒沼さんを刺そうと思ったのは、顔を近くで見た時。まさにタイプの女性だったから」と述べて否定した。

検察側は冒頭陳述で、「”好みのタイプの女性が死ぬ間際に見せる表情を見たい” との欲求から、面識のない被害者を刺して殺害した事件」と説明。腹の傷の深さなどから、1度目の刺した行為についても「殺意があった」と主張した。

事件の背景には、鈴木被告が抱えていた ”家庭や仕事のストレス” を挙げ、「事件の3カ月前から包丁を隠し持って車やバイクで川崎市内をうろつき、自分好みの女性を物色するようになった。ターゲットの女性を見つけると先回りして待ち受けて体を触るなどし、恐怖でゆがんだ表情を眺めてストレスを発散していた」と指摘。殺害された黒沼さんについては「包丁を隠し持って待ち受け、近づいてくると無言で腹に突き刺した」として、無差別の通り魔殺人との見立てを示した。

2019年11月21日の被告人質問で、鈴木被告は動機について「仕事でストレスがたまって、かなりイライラしていた」「被害者の困惑と苦悶する表情を見たいと思った」と話した。また、翌日の報道を見て「自分しか犯人を知らないと思い、ガッツポーズをした」と話した。

11月28日の第4回公判で、精神鑑定を担当した医師が出廷し、「性嗜好障害が動機に影響し、パーソナリティー障害が ”犯行を躊躇させる能力” を減退させた」と述べた。

医師は精神鑑定の結果を報告し、鈴木被告は仕事熱心でまじめな一方、「罪悪感を覚える能力や欲求不満への耐性が低い」点などから人格障害と診断した。痴漢行為を繰り返していたことから性嗜好障害を認定したうえで「殺傷行為は性欲が関連している、と考えるのが自然」と話した。

「女性が苦悶する表情が見たかった」との犯行動機は、快楽殺人の特徴を一部備えているとも指摘。本事件の半年後に起こした殺人未遂事件に関しては、「快楽殺人が発露し、純化していったという議論も十分可能だ」と語った。

快楽殺人の心理―FBI心理分析官のノートより

鈴木被告は被告人質問で「鑑定内容におおむね同意する」と述べた。
そして「罪を償おうと事件を告白したが、逆に遺族を傷つけることになってしまった。告白したことは取り消せないので、全てを答えて責任を果たしたい」と反省の気持ちを改めて示した。

12月2日の論告求刑で、検察側は「犯行態様は残虐で、再犯の可能性も否定できない」として無期懲役を求刑した。

 12月13日の判決公判で、横浜地裁は無期懲役の求刑に対し、懲役28年を言い渡した。裁判長は「人を人とも思わない犯行で、人命軽視も甚だしい」と述べる一方、「反省を深め、更生の第一歩を歩み始めている」と指摘した。

控訴は棄却

鈴木被告側は、判決を不服として控訴した。
だが2020年10月16日、控訴審判決で東京高裁は、懲役28年とした一審判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。

弁護側は自首の成立を主張し、刑を軽くするよう求めていたが、裁判長は「被告が自供する以前に、捜査機関によって被告の犯行とほぼ絞り込まれていた。自首には当たらない」として退けた。

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