岡山元同僚女性バラバラ殺人事件
会社を辞めた10日後、顔見知り程度だった同僚女性を強姦・殺害した住田紘一。動機は「婚約していた女性が別の男と結婚した」ことへの欲求不満を晴らすためだった。
遺体は細かくバラバラにして、川やゴミ捨て場に遺棄したこの猟奇殺人。裁判では「犯罪者は殺してしまえばいい」と言いながら「自分だけは特別」と答える身勝手ぶりに、下された判決は死刑。
「前科前歴がなく、殺害が1人」の事件に対する、異例の判決だった。
事件データ
犯人 | 住田紘一(当時29歳) |
犯行種別 | バラバラ殺人事件 |
犯行日 | 2011年9月30日 |
犯行場所 | 岡山県岡山市北区 |
被害者数 | 女性1人死亡 |
判決 | 死刑 2017年7月13日執行(34歳没) |
動機 | 婚約破棄の欲求不満 |
キーワード | バラバラ殺人 |
事件の経緯
住田紘一(当時29歳)は、婚約までしていた女性が別の男と結婚したため、むしゃくしゃしていた。その欲求不満を晴らすため、住んでいたマンションの隣人女性を強姦する計画を立てたが失敗に終わる。
その後、住田は勤めていた株式会社シンフォームの同僚の中から、好みのタイプの女性3人を候補に選び、その中から1人を襲うことにした。
住田は会社を2011年9月20日付で退社し、社員証の返却のため9月30日夜に会社を訪れた。彼はこの日が決行のチャンスと考え、選んだ女性の”誰か”が出てくるのを待った。
候補の3人の中で最初に出てきたのは、派遣社員の加藤みささん(当時27歳)だった。住田は総務、加藤さんは庶務で勤務していたためフロアも別、顔見知り程度の関係だった。
遺体は実家で解体
住田は加藤さんに「ちょっといいですか?見てもらいたいものがあるんです」と社内の倉庫に連れて行くことに成功。2人が倉庫に入ると、住田は倉庫の鍵を掛けるなり加藤さんに殴りかかった。
そして所持していた手錠で手を縛り、加藤さんを強姦。加藤さんは「誰にも言わないから助けて」と命乞いをしたが、住田はそれを無視し、バタフライナイフで彼女の胸を何度も刺したうえで、首のあたりを切りつけて殺害した。
住田は加藤さんのバッグと現金2万4000円を奪い、遺体を自分の車に積んだ。そして車を大阪市住吉区沢之町の実家に走らせ、家族には「岡山から大阪に転勤になった」と嘘をついて実家に移り住んだ。
住田は実家近くにガレージを借り、そこで毎日遺体を解体した。できるだけ細かく切断して、大和川やゴミ捨て場などに遺棄して証拠隠滅を図った。
事件の発覚
2011年10月1日、加藤さんの家族が、「娘が帰宅しない」と岡山県警に捜索願を届け出した。県警が会社の防犯カメラを調べたところ、加藤さんがある男と一緒に歩いている映像を確認。
防犯カメラはこの男が血を拭ったり、血痕を拭き取るためにモップやトイレットペーパーを持って往来している姿もとらえていた。会社が従業員全員に照合した結果、男が住田紘一であることを特定することができた。
岡山県警は6日、住田を大阪府警住吉署に任意同行して取り調べたところ、住田は殺害を自供。岡山県警は、住田を殺人容疑で逮捕した。
翌7日、住田が借りていたガレージを県警が捜索。ガレージ内から包丁やノコギリなど、複数の刃物が見つかった。また、遺体の一部が発見されたため、DNA鑑定したところ加藤さんのものと一致。27日、岡山地検は、殺人や死体遺棄・損壊などの罪で、住田紘一を起訴した。
住田は犯行前、勤務先の会社の倉庫からテレビと掃除機を盗んでいたことが分かった。この件でも岡山県警捜査1課と岡山西署は2012年4月17日、窃盗容疑で再逮捕した。
住田紘一の生い立ち
住田紘一は1982年9月29日、大阪市住吉区で生まれた。両親と妹がいることがわかっている。
大阪市立大学・法学部を卒業後、「株式会社シンフォーム」に就職した。当時は会社のある岡山市内のマンションに住んでいた。
株式会社シンフォームは、かつて存在したベネッセグループの情報処理系子会社。 ベネッセ個人情報流出事件の影響から、2015年3月末をもって解散となった。
本社所在地は、岡山県岡山市だった。
会社を2011年9月20日付で退社。その10日後の9月30日、本事件を起こす。
この前の月、交際していた女性が別の男と結婚したことにかなりのストレスがあり、それが事件の引き金になった。
異例の死刑判決
退社とともにマンションを引き払い、大阪市住吉区沢之町の実家に移り住む。被害者の遺体は、実家近くに借りたガレージで解体した。
その後、会社の防犯カメラに残された「被害者と歩いている映像」が決め手となり逮捕、そして起訴となる。
裁判員裁判の第一審で死刑判決。「前科前歴がなく、殺害者数1人」の事件に対する「死刑判決」は異例であった。その後、控訴するも2013年3月28日、自らこれを取り下げたため、死刑が確定する。
2017年7月13日、拘置されていた広島拘置所にて死刑執行。享年34歳だった。
この日は、スナックママ連続殺人事件の西川正勝も死刑が執行されている。
この事件は、吉本興業所属の女性芸人も襲われたことで、当時話題となった。
裁判員裁判
2013年2月5日の初公判で、住田紘一被告は起訴内容を認めた。
検察側は、住田被告が「交際相手との破局で欲求不満を募らせ、他の女性を強姦・殺害することを計画した」と指摘した。そして「候補の3人の中で、声をかけてついてきてくれたのが加藤みささんだった。『誰にも言わんから、助けて』と懇願する加藤さんを無視して殺害した。殺害態様は残虐で極めて悪質」と非難した。
弁護側は「計画性があっても内容は稚拙。前科もない。住田被告が動機をすべて語っているわけではない」と述べるとともに、強盗殺人罪の法定刑は死刑か無期懲役だが、死刑判断の基準「永山基準」を説明して、「(死刑には)被害者の人数が重視される。住田被告の両親も更生に協力する。どの刑がふさわしいが考えてほしい」と裁判員に訴えた。
住田被告は被告人質問で、「同じマンションの女性を襲う計画」が失敗に終わり、次に「勤務していた会社内の3人」を標的にしたことを明かした。さらに、”交際していた女性の結婚相手” に対する殺害計画も明らかにした。
取り調べ中に「『出所したら女性の結婚相手を殺す』と話していたが、今もそう思っているのか」と聞かれると、「もちろんです」と即答した。
6日の公判で、住田被告は検察官とのやり取りの中で「捕まらなければ、人を殺してもいい」、「犯罪者は殺してしまえばいい」といった内容の持論を展開。そして、今まさに自身がその ”犯罪者” だと指摘されると「自分だけは特別視しています」と答えた。
被害者の父親は「住田被告からは一度も謝罪がなく、許せる日が来るとは思えない」と厳しい口調で話した。そして「最低でも死刑。本当は楽に死んでほしくない。つらかったり、苦しんだ結果、死んでほしい」と訴えた。
謝罪を表明したが・・・
7日の公判で住田被告は「本当はずっと謝罪したいと思っていた。死刑になりたくて悪いことばかり言った」と態度を一変。「ごめんなさい」と涙を流した。
被害者の父親は「私たち家族をどこまで愚弄する気か。住田被告が見せた涙は、悔いた涙とは思えない」と話した。
8日の論告で検察側は「計画的な犯行で残虐、極めて悪質。遺族の処罰感情はしゅん烈だ。更生の可能性はない。被害者が1人であることも酌量すべき事情とならない」などとして死刑を求刑した。
弁護側は最終弁論で「計画は稚拙。犯行直前に婚約が破談になるなど、同情すべき点がある」と主張。事件の真相について自主的に供述したこと、意図的に心情を悪くする発言をしたことにも触れ、「被告なりに命をもって償おうとしていた。極刑を言い渡すには躊躇する事情もある」と訴え、無期懲役を主張した。
住田被告は「今の私にできることは最も重い罪を受けること」と述べた。
判決は死刑
判決で裁判長は、住田被告に死刑を言い渡した。
判決理由では、「犯行場所を下見し、凶器のバタフライナイフを事前に用意するなど、入念に準備された計画性の高い犯行」と指摘。「被害者は強姦された上、必死の懇願もむなしく何度も刺され、無残にも殺害された」と犯行の残忍性と強固な殺意を認定した。
また、公判開始まで遺族に謝罪しなかったことなどから「反省や謝罪は不十分で、更生の可能性は高いとはいえない」と断じた。そして住田被告に前科前歴がないことや、起訴後に検察官に性的暴行などを告白した点に触れ、「殺害された被害者は1人だが、結果は重大であり、死刑を回避するほど特に酌量すべき事情があるとはいえない」とした。
控訴を取り下げ、死刑確定
弁護側は即日控訴した。しかし、3月28日付で住田被告は控訴を取り下げたため死刑が確定した。
翌29日、住田被告は弁護人を通じて
- 「判決結果は当初から受け止めようと思っていたが、迷いがあった。」
- 「本当に申し訳ない。被害者に対して思いをはせ、自分にできる供養をしたい」
- 「被害者の命を奪ってしまったのに自分は生きているという罪悪感があります」
という手記を公表した。
住田紘一死刑囚は、2017年7月13日に死刑が執行されている。(34歳没)
スナックママ連続殺害事件の西川正勝死刑囚も、この日、同時に死刑執行となっている。
殺害が1人でも死刑の事件
裁判で死刑判決が出される場合、よく話題になる「永山基準」。これに照らし合わせると、1人殺害は無期懲役、3人だと死刑、2人の場合は犯罪の内容によるということになります。
しかし、これは単なる指標のようなもので、確たる基準というわけではありません。近年では1人殺害でも裁判で死刑となるケースが増えています。
2004年に発生した奈良小1女児殺害事件の小林薫は、小学1年女児ひとりを殺害して死刑となりました。小林は、被害者の妹の殺害予告をしたり、両親に残酷な写真を送りつけたりしていました。そのため心証が著しく悪く、前科もあったことから更生も見込めないと判断されたようです。
本事件の住田紘一には前科前歴がなかったので、さらに異例の判決でした。しかし落ち度のまったくない被害者に対する犯行の残虐さを考えると、「極刑」で異論がない人は多いでしょう。
ただ、どちらの事件も被告が自ら控訴を取り下げたための死刑確定です。最高裁まで争っていたら無期懲役に減刑された可能性は十分あります。