「和歌山毒カレー事件」の概要
1998年7月25日、日本中を震撼させる事件が起こった。それは、地域の夏祭りでふるまわれたカレーライスにヒ素が混入していて、それを食べた4人が死亡するというものだった。
捜査の結果、犯行が可能だったのは、カレーの見張り当番だった林眞須美以外にあり得ないとされ、彼女は逮捕、裁判で死刑が宣告された。彼女の家にはヒ素があり、事件で使用されたものと同一とされたのだ。
眞須美は逮捕時から一貫して無実を主張、再審請求をくり返すも、棄却されている。そんな中、眞須美の長女が自殺してしまう。
!!! 和歌山毒カレー事件・林眞須美の孫の虐待死で義父・木下匠を逮捕!【2022年2月16日】
事件データ
犯人 | 林眞須美(逮捕時37歳) |
犯行種別 | 無差別毒殺事件 |
事件発生日 | 1998年7月25日 |
犯行場所 | 和歌山県和歌山市園部 |
被害者数 | 4人死亡 |
判決 | 死刑:大阪拘置所に収監中 |
動機 | 否認により不明 |
キーワード | ヒ素、夏祭り |
事件の経緯
1998年7月25日、夏休みが始まったばかりのこの日、和歌山県和歌山市園部の新興住宅地では、夏祭りが予定されていた。地方によくある自治会主催の小規模なお祭りで、地域住民にはカレーライスがふるまわれることになっていた。
カレーは、午前8時30分頃から祭り会場隣の民家のガレージで作り始められ、お昼ごろにはもう完成していた。夏祭りが始まるのは午後5時50分、およそ6時間も前に出来上がっていたことになる。
その後は交代で見張りをつけ、午後3時頃に隣の祭り会場に運ばれた。そして、祭り開始と同時に参加者に配られた。
ここまでは、日本中で見られる地方の夏祭り風景だった。
楽しい夏祭りはパニックに
しかし直後の午後6時5分、カレーを食べた人が激しく嘔吐する。それを皮切りに、次々と腹痛や嘔吐の症状を訴える人が続出した。
初めは食中毒かと思われたが、いくら夏とはいえ、当日作られたばかりのカレーである。傷む可能性は少ないし、そうだとしても少しお腹を壊すといった程度だろう。
しかし、この場合は違った。食べてすぐに嘔吐する人が続出しているのだ。現場はパニックとなり、「食べたらあかん!」という声が飛び交った。
結果、67人が病院に搬送され、そのうち4人の死亡が確認された。
亡くなったのは、自治会長・谷中孝寿さん(64)、副会長・田中孝昭さん(53)、私立開智高校1年・鳥居幸さん(16)、有功小学校4年・林大貴くん(10)の4人。谷中さんの解剖結果から青酸化合物が検出され、「青酸化合物による無差別殺人事件」として捜査本部が設置された。
ところが8月になって、警察庁の科学警察研究所によって4人の遺体からヒ素が検出されたことから、死因はヒ素中毒に変更される。
犯行が可能なのはひとりだけ
警察は、当日のカレー周辺の人の動きを調査、1分刻みのタイムテーブルを作成した。その結果、カレーにヒ素を混入させられるのは、見張り番のひとり、林眞須美(当時37歳)だけということが判明する。
彼女が担当したのは、午後0時20分~午後1時の約40分間。カレー鍋は2つあったが、眞須美がそのうちのひとつの蓋を開けていた、という証言もあった。
時間 | 行動 | カレーの場所 |
---|---|---|
午前8時30分頃 | カレーを作り始める | 民家のガレージ |
正午頃 | カレーが完成 | 民家のガレージ |
午後0時20分~午後1時 | 林眞須美がカレーの見張り | 民家のガレージ |
午後3時頃 | 夏祭り会場に運ばれる | 祭り会場 |
午後5時50分頃 | 参加者にカレーライス配布 | 祭り会場 |
午後6時5分頃 | カレーを食べた人が激しい嘔吐 「食べるな!」という声が飛び交う | 祭り会場 |
容疑者となった眞須美にはマスコミも注目し、調べ尽くされることになる。そして連日報道され、話題の中心となるのだが、彼女は叩けば叩くほどホコリが出るような”疑惑の人”だったのである。
まず、一般の人には縁のないヒ素だが、林家は以前「シロアリ駆除業」を営んでいたことがあり、手に入れやすい環境にあった。そして世間が食らいついたのは、林夫婦がヒ素を使った保険金詐欺をしていた過去だった。
夫婦は、知人男性らにヒ素入りのうどんやお好み焼きを食べさせ、体調を悪化させて保険金を騙し取っていたのだ。(当時、知人らは被害者と報道されたが、のちに自ら共謀していたことが判明している)
ヒ素を摂取したのは知人らだけではなく、夫の健治もそうだった。眞須美自身も自ら足にやけどを負い、保険金を騙し取っていた。
状況的にも疑惑はあった。
林一家は、祭りが始まった頃にはカラオケに出かけており、被害に合うことはなかった。長男は家にあったカレー券を見て、祭りに行きたがっていたが、母親の眞須美から「夜はカラオケに行くことになった」と言われたという。これは午後1時過ぎ、カレーの見張りを終えて家に戻った眞須美と、お笑い番組を見ながらそうめんを食べていた時の会話だという。
逮捕の根拠
1998年10月4日、知人男性に対する殺人未遂と保険金詐欺の容疑で林眞須美は逮捕。夫の健治も、別の詐欺および未遂容疑で同じく逮捕となった。そして、2人とも10月25日に和歌山地検から起訴された。
これにより、2か月間、世間の話題をさらい続けた事件は、ひとつの区切りがつけられることとなった。
眞須美をカレー毒物混入事件の犯人と断定した理由は、以下の通りである。
- カレーに混入されたものと、眞須美の自宅等から発見された亜ヒ酸は、組成上の特徴が同じ
- 眞須美の頭髪からも高濃度のヒ素が検出され、その付着状況から亜ヒ酸等を取り扱っていたと推認できる
- カレー鍋に亜ヒ酸を混入できたのは眞須美だけで、彼女がカレー鍋の蓋を開けるなどの不審な挙動が目撃されている
(亜ヒ酸=ヒ素 化学式:As2O3)
犯人・林眞須美について
林眞須美は1961年7月22日、和歌山県有田市の小さな漁村で生まれた。兄が2人いて5人家族だった。
家は比較的裕福で、お金に不自由なく育っている。ピアノを買ってもらい、小遣いも多かった。
学校では成績も悪くなく、評判も良かったが、怒るとヒステリーを起こす一面があったという。
高校は、甲子園で有名な和歌山県立箕島高校に進学。卒業後は、大学付属の看護学校に進学した。
看護学校2年生のとき、眞須美(当時19歳)は林健治(当時35歳)と出会う。
健治は当時、シロアリ駆除会社を経営する既婚者だった。ひと回り以上も年齢差があったが、派手な高級車で迎えにきて、金回りのいい健治に、眞須美は惹かれていく。健治も20万円もする高価なネックレスなど、数百万円単位で彼女につぎこんでいた。
1983年、眞須美が22歳の時、2人は結婚。眞須美は初婚だが、健治は3度目の結婚だった。
結婚生活は、家賃3万円のアパートで夫婦共働きの貧乏生活からスタートする。眞須美はウエイトレスや化粧品販売で生活費を稼いだ。
翌1984年、新築一戸建てを3500万円ローンで購入する。その後、長男と長女が生まれたが、シロアリ駆除会社は倒産、そして保険金詐欺を思いつく。
時期 | 詐欺内容 | 保険金額 |
---|---|---|
1985年 | シロアリ駆除会社の従業員Aにヒ素を摂取させて死亡 | 4500万円 |
1987年 | ヒ素を入れたお好み焼きを従業員Bに食べさせ1ヶ月寝たきり | 3000万円 |
1988年 | 健治がヒ素を摂取、高度障害保険 | 2億円 |
1993年 | 健治が旅館で転倒して骨折、その怪我をバイク事故に偽装 | 2052万円 |
1996年 | 眞須美がBBQに自転車で突っ込んで両足を火傷したと偽装 | 459万円 |
1997年 | 健治がヒ素入り葛湯を飲み20日間意識不明、高度障害保険 | 1億5000万円 |
1997年 | 知人男性にヒ素入り牛丼を食べさせる | 539万円 |
1995年10月には、眞須美の母親(67歳)が脳卒中で死亡、保険金1億4000万円を受け取っている。
1995年、和歌山市園部に120坪の家を7000万円で購入。
1998年2月、高級リゾートマンションの最上階の部屋を購入契約。
1998年7月25日、本事件を起こす。裁判で全面否認するも、死刑が確定。
現在は、大阪拘置所に収監中である。
林眞須美の家族のその後
林眞須美の長女が自殺、孫は虐待死
2021年6月9日、林眞須美の長女が自殺した。
午後4時前、関西国際空港へ続く連絡橋の真ん中あたりで、1台の真っ赤な外車が停車した。この橋は高速道路なので、普通は停車することはない。赤い外車からは30代ぐらいの女性と女の子が降り、そのまま橋の上から約40m下の海面へと飛び降りた。目撃者の通報で大阪府警が約40分後に駆け付け、橋から南に約1km離れた海上で、遺体となった2人を発見した。
その後の調べで、女性は林眞須美の長女・優子(37歳)とその次女(4歳)と判明する。
優子はこの2時間ほど前、和歌山県和歌山市の自宅アパートから119番通報していた。午後2時18分、取り乱した声で「娘の意識がない」という内容の通報が入り、和歌山市消防局がすぐに急行したところ、ひとりの少女が倒れていた。彼女は優子の長女・鶴崎心桜さん(16歳)で、すでに亡くなっていたという。
そのとき母親の優子はかなり動揺している様子で、家には4才の次女と優子の夫・木下匠(しょう)(40歳)がいた。心桜さんはあばら骨など複数を骨折、腹部を中心に全身にアザがあり、黒い血を吐いていた。アザや外傷は、古い傷と新しい傷の両方が確認され、日常的に虐待を受けていた疑いがあった。
検視の結果、死因は外傷性ショックだった。
その場にいた木下匠は優子の再婚相手で、心桜さんにとっては義父。彼は、心桜さんと一緒に病院まで付き添ったという。優子も赤い外車に4才の次女を乗せ、救急車を追うように発進させたが、行き先は病院ではなかった。彼女は関空の連絡橋に向かい、そして飛び降りたのだ。
さらに当日夜、木下がカフェイン剤を大量摂取して自殺しようとしたところを、通行人の通報によって救急車で搬送された。彼は、心桜さんへの虐待を認めるような供述もしているという。
心桜さんは眞須美の孫にあたるが、眞須美は一度も会ったことはない。しかし夫の健治は、刑務を終えて出所した2005年、その年に生まれたばかりの心桜さんに会ったという。心桜さんは、目のパッチリした可愛い子だったそうだ。
心桜さんの義父・木下匠を逮捕
2022年2月16日、木下匠(しょう)は保護責任者遺棄致死の容疑で逮捕されました。母親の優子も、容疑者死亡のままで書類送検する方針だそうです。
林眞須美の孫である心桜さんでしたが、当然ながら彼女自身には何の罪も責任もありません。林が事件を起こさなければ、もっと別の人生があったのでしょう。
そう考えると本当に気の毒で心が痛みます。
和歌山市の集合住宅で昨年6月9日、住人の鶴崎心桜(こころ)さん(当時16)が死亡した事件で、和歌山県警は16日、同居していた派遣社員の木下匠(しょう)容疑者(40)=和歌山県有田市野=を保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕し、発表した。認否は明らかにしていない。
木下容疑者は鶴崎さんの母親の夫で、鶴崎さんとは血縁がなかった。37歳だった母親は昨年6月9日、大阪府南部の海上で鶴崎さんの妹(当時4)とともに遺体で見つかった。近くの関西空港連絡橋から飛び降りた可能性が高いという。
県警は母親も鶴崎さんの死亡に関与していたとみており、容疑者死亡のまま保護責任者遺棄致死容疑で書類送検する方針。
捜査1課によると、木下容疑者と母親は、同居の鶴崎さんに継続的な身体的虐待を加え、6月8日ごろには鶴崎さんが身動きするのも不自由なほど衰弱していたのに医療措置を受けさせず、死亡させた疑いがもたれている。
鶴崎さんの死因は全身打撲による外傷性ショックだった。同課は木下容疑者と母親が遅くとも昨年5月ごろから、鶴崎さんの背中をひじでたたいたり、髪をつかんで引っ張ったりといった暴行をしていたとみている。
木下容疑者は昨年6月9日夜、和歌山市の和歌山港で路上に座り込んでいるところを発見された。「精神的に嫌なことがあり、カフェインを服用して首をつろうとしたが失敗した」と説明したという。
(朝日新聞DIGITALより)
眞須美が名付けた「心桜」
心桜さんが小学生になるころに、眞須美の長女・優子は最初の夫と離婚、それから間もなく木下匠(しょう)と再婚した。虐待はそのころから始まっている。
2013年に心桜さんへの虐待の通告が、児童相談所に寄せられている。両親に面談した結果、虐待している当人から、「2度としません」と確約が得られたために、2014年に解決済みとしたという。虐待は夫婦ともに行っていた。
2017年、木下匠との間に娘が生まれる。心桜さんは「妹の面倒を見ないといけない」と中学校へは通わなくなった。2018年10月には、優子から児童相談所に「娘の非行について、相談にのってほしい」と連絡があったという。だが翌月には「もう大丈夫になった」と、相談を取り下げている。
近所の人は、心桜さんが家族といるところを見たことがないという。家族が出かける時は夫婦と次女の3人で、仲のいい家族に見えたそうだ。
「心桜(こころ)」という名前は、林眞須美が拘置所で考えて名付けたものである。
長男の活動
眞須美の長男は事件後、児童養護施設に預けられ、その日から施設の子供たちに囲まれて殴ったり蹴られたりの毎日が続いたという。顔をエアガンで撃たれたり、鉄アレイで頭を殴られたりもした。学校も彼らと一緒のため、逃げ場がなかった。
養護施設の大人たちは、守ってくれないどころか、率先していじめや暴行に加担したという。
その後も悲惨な体験は数知れず、どこへ行ってもすぐに身元がバレて居場所を失った。
しかし、どれだけひどい目に会っても、彼は両親を憎む気持ちになれなかった。それは、”逮捕前までの11年間”に、彼の幸せな記憶が詰まっているから。逆にいえば、彼の幸せな記憶はそこ以外にないのだ。
そんな長男だが、やっとの思いで自分の生きる道をみつけ、強く生きて行こうとしている。これまでのつらい体験を本にしたり、SNSの活動も始めた。
彼は、母親が無実かどうかはわからない、という立場を取っている。心のどこかで信じてはいるが、どちらにせよ、「息子として母親を見捨てない」という覚悟のようだ。
「僕は父と違って、母の無実を声高に主張しようとは思っていない。母が100パーセント無実だという確証はないからだ。そして、もし母がカレーにヒ素を入れたのならば、死刑に処されるのは当然だと考えている。
しかし同時に、母がやったという確証もない。もし母がやっていないのであれば、このまま見殺しにするわけにはいかない。もし死刑に処されるとしても、息子として最後の最後まで見届けたいのだ。
僕と父が和歌山で暮らしていること、そしてメディアに出ることを不快に感じる人が大勢いることはわかっている。特にカレー事件のご遺族、被害者の方々は、僕や父、そして「カレー事件」という字面を見るだけでも辛いだろう。しかしどうか、わずかな身内が母を信じ続けることを許してほしい。」
夫・林健治のその後
夫の林健治は、ヒ素による保険金詐欺で懲役6年が確定。滋賀刑務所に服役し、2005年6月7日に刑期満了で出所した。その後、脳内出血で倒れ、左半身が麻痺。現在はデイサービスを受けながら、ひとり暮らしをしている。
健治は「金にならない殺人など、眞須美がやるはずがない」と主張して、彼女の無実を信じている。
そんな彼には、腑に落ちないことがあるという。それは、保険金を騙し取るために、自らヒ素を飲んでいたのに、カレー事件の裁判では「眞須美がくず湯に入れて飲ませた」ことになっていることだ。控訴審の判決では「妻をかばうための嘘」であるかのように言われて信用されなかった。
再審請求の際に、陳述書も提出している。本人が「自分で飲んだ」と言っているのに、なぜか採用されない。
また、テレビで有名になった ”眞須美がホースでマスコミの人らに水をかけた” ことについても、「ワシが、『あいつら頭がゆで上がってるから、水でもかけてやれ』、と指示した」と話している。
ショックを受けた長女と孫の死
2021年6月9日に長女が自殺、さらに孫2人も死んだことを知った時は、「1998年10月に眞須美と一緒に詐欺で逮捕されて、ワシは刑務所行きや。滋賀刑務所から出所して数か月ほどした、2005年夏頃かな。長女が心桜ちゃんを連れて、会いに来てくれた。本当にかわいい孫だった。2人と会ったのは、それっきりや。その後、長女は当時の夫といろいろ揉めて、離婚。それもあってか、ワシのところに来づらくなったのかもしれない。それでも長男を通じて、元気にしているとは聞いていた。長女は兄弟の中では、一番に気丈でしっかりした子だったので、何ら心配していなかったのに…」と涙ぐんだ。
長女と心桜さんの思い出については「長女は眞須美との間にできた4人の子供の最初の子や。制服姿で緊張していた幼稚園の入園式、楽しそうにしていた小学校の運動会、思い出は尽きない。心桜ちゃんとは1回しか会っていないが、目がクリっとして愛くるしい表情、小さな手は今も目に浮かぶわ。なぜこんなことになってしまったのか…。つらい。娘と孫をいっぺんに失うなんて、言葉もない」と話した。
裁判の詳細
この事件は世間の関心が異常に高く、第一審初公判の傍聴希望者は5220人。この人数は「オウム真理教事件」の麻原彰晃、「覚せい剤取締法違反」の酒井法子に次ぐ3番目で、犯行前に無名だった人物としては最多である。
第一審(和歌山地裁)は死刑
1999年5月13日、第一審初公判が和歌山地方裁判所で開かれた。
和歌山地検が提出した証拠は約1700点。一審の開廷数は95回、約3年7か月に及んだ。
眞須美は、保険金詐欺事件については起訴事実を全面的に認めたが、和歌山毒物カレー事件、砒素による殺人未遂事件については、逮捕後から一貫して全面否認している。
毒物カレー事件については、「殺意の有無」「動機」「被告以外の犯行の可能性」「科学鑑定の信用性」などが争点となった。
裁判長は、カレー鍋から検出されたヒ素について、眞須美の自宅から見つかったヒ素である可能性が「極めて高い」と判断。犯行時間帯の状況についても、「被告がひとりでいる時間帯に、ヒ素を混入することが十分可能だった」とした。
殺意の有無については、「ヒ素が少量でも、人を死に至らしめるとの認識を十分に持っていた」として、未必の故意を認定した。
ただし動機については、近隣住民に冷たくされたことに対する ”激高” という検察側の主張を認めず、「動機は不明確」とした。
2002年12月11日に開かれた判決公判で和歌山地裁は、眞須美被告の殺意とヒ素混入を認めた上で「4人もの命が奪われた結果はあまりにも重大で、遺族の悲痛なまでの叫びを胸に刻むべきだ」と断罪、検察側の求刑通り眞須美に死刑判決を言い渡した
眞須美は判決を不服として、同日中に大阪高等裁判所へ控訴した。
控訴審(大阪高裁)も死刑
控訴審初公判は、大阪高裁で2004年4月20日に開かれた。控訴審で眞須美被告は供述を始めている。
弁護側は、「カレー鍋の見張り中は、黒いTシャツを着て、次女と一緒だった」と主張、「白いTシャツ姿の眞須美被告が、ひとりで見張りをしていた」という目撃証言は誤りである、と主張した。また、経済的利益や動機に関しても、全くないと述べた。
亜ヒ酸(ヒ素)による殺人未遂事件3件は、いずれも保険金目当ての自作自演であり、亜ヒ酸は夫自らが飲んだと説明、夫の健治も同様の供述を行った。
1997年2月 ヒ素入りくず湯事件
死亡保険金などの取得目的で、夫・健治にヒ素を混入したくず湯を飲ませた
1997年9月 ヒ素入り牛丼事件
死亡保険金などの取得目的で、知人男性にヒ素入り牛丼を食べさせ、入院給付金をだまし取った
1998年3月 ヒ素入りうどん事件
死亡保険金などの取得目的で、知人男性にヒ素入りうどんを食べさせた
これについて裁判長は「起訴から5年がたち、証拠や一審判決をつなぎ合わせて弁解することがたやすい状況であり、供述は信用できない」と退けた。夫・健治の証言についても「弁護団から公判調書の差し入れを受けて、それに合わせる供述をしているのは明らかだ」と信用性を否定した。
弁護団は、健治の出廷前、眞須美の供述内容を記載した公判調書を、服役中の健治に差し入れていたのだ。
裁判長は判決で、住民の目撃証言の信用性を高く評価する一方、毒物カレー事件の無罪主張について、「眞須美被告は、自分に都合よく事実の前後関係を意図的に操作したり、事実そのものを捏造したとしか考えられない」と指摘した。
さらに裁判長は、一審段階でのヒ素の科学鑑定の中立性や公正さに、問題はないと判断した。
2005年6月28日の控訴審判決公判で、「カレー事件の犯人であることに、疑いの余地はない」として、第一審の死刑判決を支持、控訴を棄却する判決を言い渡した。
眞須美被告は判決を不服として、最高裁判所へ上告した。
最高裁で死刑が確定
2009年2月24日の弁論で弁護側は、「眞須美宅のヒ素と、混入されたヒ素が同一」とする鑑定結果や、「白いTシャツ姿の被告が、ひとりでカレー鍋の見張りをしていた」という目撃証言について決定的な証拠がない上、動機も不明なのに一、二審は有罪認定したと批判した。そして「確実に別の犯人がいる」とあらためて無罪を主張した。
検察側は「犯人が別にいるとの主張は、証拠調べを経ていない事実を前提とした違法なもので、根拠のない憶測に過ぎない」と述べた。また、「鑑定結果や住民の証言は信用性があり、毒物混入事件の手段や方法の類似性から、眞須美被告のカレー事件の犯人性を推認できる」と述べた。
そして、2009年4月21日に判決公判が開かれた。
最高裁は、「眞須美被告が犯人であることは、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」と有罪の根拠を述べた。「動機が解明されていない」点については、こだわる必要はないという姿勢を示し、眞須美被告が犯人であることに変わりはない、とした。
そして、「眞須美被告のために酌むべき事情を最大限考慮しても、死刑を是認せざるを得ない」と結論付けた。これにより、林眞須美の死刑が確定することとなった。
再審請求
2009年4月22日、和歌山地裁に再審請求。
2017年3月29日、和歌山地裁は林眞須美死刑囚の請求を棄却。弁護側は、特別抗告を申し立てる。
2021年5月31日、第2次再審請求をする。
2021年6月20日、第1次再審請求の特別抗告を取り下げた。
2021年7月1日、上記の取下げを無効とする申し立てを行う。