熊本女性2人強盗殺人事件
2011年2月25日、ひとりの男が熊本東署に自首してきた。
男は田尻賢一(当時39歳)、2日前に強盗に入った民家で65歳の女性を殺害していた。警察はこの事件とよく似た手口の7年前の強盗殺人事件についても厳しく追及、観念した田尻は自供を始める。
2つの殺人事件で裁かれることになった田尻に下った判決は死刑。あまりにも身勝手な動機で女性2人を殺した代償は、取り返しがつかないほど大きなものだった。
事件データ
犯人 | 田尻賢一(逮捕時39歳) |
犯行種別 | 連続殺人事件 |
犯行日 | 2004年3月13日 2011年2月23日 |
犯行場所 | 熊本県宇土市走潟町 熊本県熊本市渡鹿2丁目 |
被害者数 | 2人死亡、1人重傷 |
判決 | 死刑:福岡拘置所 2016年11月11日執行(享年45歳) |
動機 | 借金 |
キーワード | 自首、インターホン映像 |
宇土院長夫人強盗殺人事件
2004年3月13日午後3時30分頃、熊本県宇土市走潟町の「走潟町医院」院長・中津卓郎さん(当時54歳)が自宅玄関の土間で、妻・千鶴子さん(49歳)が死亡しているのを発見する。中津さんは、ゴルフの練習を終えて帰宅したところだった。
中津さんはすぐ警察に通報。警察はこれを殺人事件と断定し、捜査本部を設置した。千鶴子さんの顔には鈍器で殴られてできた傷が多数あったが、首から下は被害の跡がなかったという。
中津さんは自宅隣の診療所で午後1時まで診察をしており、午後1時30分頃ゴルフの練習に出かけている。犯行は、中津さんが出かけて帰宅するまでの90分の間とみられた。室内には物色された形跡があり、千鶴子さんの黒いコートとベージュの布製手提げバッグがなくなっていた。しかし現金や金庫などは盗まれておらず、金銭目的か怨恨による犯行か不明だった。
室内に残された足跡から、犯人の靴はナイキ製のスニーカー(エアモック)ということがわかった。また、侵入・逃走経路は玄関とみられ、血の付いた足跡は道向かいの調剤薬局まで続いていた。
犯人逮捕は時間の問題と思われたが、現場は普段から人通りが少なく捜査は難航、以後7年間にわたり容疑者も判明しなかった。
犯人は田尻賢一
この事件の犯人は、熊本市に住む会社員・田尻賢一(当時32歳)だった。田尻はパチンコや風俗で借金を重ね、母親に何度か清算してもらっていた。にもかかわらず、犯行当時は消費者金融に150万円以上の借金があったという。
中津さん宅にはぜんそくを装ってドアを開けさせ侵入していたが、千鶴子さんとは面識がなかった。
熊本夫婦殺傷事件
宇土市の事件から7年後、2011年2月23日午後6時10分頃のこと。当時無職の田尻賢一(当時39歳)は、熊本市渡鹿2丁目に住む会社役員・右田孝治さん(当時72歳)宅前に来ていた。この家に来た目的は7年前と同じ、強盗のためだった。
田尻は1年半前、運送会社で働いていたが、当時新築の右田さん宅の引っ越しを担当していた。その時、裕福そうな家という記憶があったので、この家を狙うことにしたのだ。田尻は当時、消費者金融に約250万円、親族に約225万円の借金があった。
彼は「車を家の壁にぶつけた」という嘘で右田さんの妻・美子さん(当時65歳)に玄関のドアを開けさせた。そして応対した美子さんの顔や首、背中などを田尻はバタフライナイフで刺して殺害。現金10万円や商品券2万円分を強奪した。
さらに午後6時30分頃、帰宅した夫の右田さんの胸や脇腹などを複数回刺して、全治1か月の重傷を負わせて逃走した。
午後6時40分頃、「隣の人が血を流して倒れている」との通報を受け、熊本東署員が駆け付けた。署員は玄関近くで右田さんを、通報した隣家の敷地内で倒れている美子さんを発見。2人は救急車で病院へ搬送されたが、美子さんは間もなく死亡が確認された。
2月24日、熊本県警は、熊本東署に捜査本部を設置した。
宇土市の事件も自供
捜査本部は、右田さん宅のインターホンの映像や、犯人の足跡、血痕などをもとに捜査を開始。インターホンの映像には犯人の顔がはっきり映っており、テレビ報道でそれを見た田尻は逃げ切れないと観念する。
2月25日午後4時頃、犯行時に着用したハンチング帽や服、凶器のバタフライナイフを持参のうえ、家族に付き添われて熊本東署に自首した。
その後、宇土事件で目撃された車と当時の田尻の車が、同じ緑色系であることが判明する。2つの事件の手口も似ていることから、警察は田尻を厳しく追及。犯行時の駐車位置まで把握されていることを知った田尻は、3月23日になって宇土事件についても殺害を認めた。
翌24日、宇土事件の際の着衣や鈍器、奪った財布などが田尻の供述通り熊本市富合町の山中から見つかったため、警察は26日に田尻を再逮捕した。
宇土事件は、2007年に警察庁の懸賞金制度の対象事件として最高300万円の報奨金がかけられていた。
田尻賢一の生い立ち
田尻賢一は熊本市内の高校を卒業後、美容専門学校に進学。しかし半年ほどで中退して、愛知県で就職した。その後21歳で熊本に戻り、ビルの管理会社に勤めている。
1996年秋~2003年春までの6年半ほどは宅配会社や運送会社に勤務。月収は40万円ほどで、生活するには十分だったが、収入のほとんどをパチンコや風俗店などにつぎ込んだ。
そのため消費者金融から限度額まで借金するようになった。その頃のことを田尻は「自分の口座から下ろすような感覚だった」と話している。
ある時、母親に150万~200万円の督促状が見つかり厳しく叱られた。母親に全額返済してもらったものの、その後も借金を重ね、何度も母親が肩代わりしている。あきれ果てた母親が「あんたを刺して私も死ぬ」と包丁を振り回し激高したこともあった。
改めなかった生活
「借金がバレるのが嫌だ。他人から奪うしかない」と考え始めたのは2004年3月初め。その直後の3月13日に宇土事件を起こし、中津千鶴子さんを殺害。このころ消費者金融に150万円以上の借金があったという。
その7年後の2011年2月23日、熊本市渡鹿の夫婦を襲い、妻の右田美子さんを殺害。この時、無職にもかかわらず消費者金融と親族から合わせて400万~500万円の借金があった。
この事件ではインターホンに顔の映像が記録されたことを知り、逃げきれないと思い警察に出頭、これについては自首が認定された。その後、取り調べで宇土事件を追及されて自供するが、こちらは自首とは認められなかった。
裁判では一審、二審とも死刑判決。
上告するが、2012年9月10日、自らこれを取り下げ死刑が確定する。
確定から4年後の2016年11月11日、田尻賢一は福岡拘置所において死刑執行された。(享年45歳)
裁判
田尻被告は、起訴事実を認めていた。そのため争点は、取り調べ中に自白した宇土市の事件について「自首が成立するかどうか」だった。
2011年10月11日の初公判で、田尻賢一被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
検察側は冒頭陳述で「両事件とも凶器を準備し、下見をして被害者がひとりの時を狙った。最初の事件から7年間も平然と生活し、再び金品を奪うため熊本市の犯行におよんだ。犯行はそれぞれ悪質で、両事件とも言い逃れができなくなるまで自白しなかった」と指摘。
また、熊本市の事件については自首の成立を認めたが、宇土市の事件については「取り調べで初めて供述した」と述べ、自首は成立しないと主張した。
一方、弁護側は「強盗は計画的だったが、殺意の発生は偶発的なもの。当初から確定的な殺意があったわけではない」と主張。被害者から抵抗されたり、悲鳴を上げられたりしたことから、田尻被告が動転して殺害に及んだと訴えた。
宇土市の事件についても「発生から7年が経過して迷宮入りし、被告の自首と協力なくして、事件の立証はできなかった。自首が認定されるべき」と自首の成立を主張し、情状酌量を求めた。
10月14日の第4回公判では、両事件の遺族が、いずれも極刑を訴えた。田尻被告は被告人質問で「当然だと思います」と述べた。
一審判決は死刑
10月17日の論告で検察側は、宇土市の事件は取り調べ中に自白したもので、自首に当たらないと強調。永山基準に従って今回の事件を整理し、「2人の命を奪い、1人に重傷を負わせた被告を無期懲役にしたのでは、罪と刑罰の均衡を図ることができない。心理的抵抗を感じず、残虐極まりない犯行を繰り返しており、命をもって償いをさせるほかない」と結論づけた。
弁護側は最終弁論で「(自白は)犯人発覚前のもので、自首の成立が認定されるべき」と主張。公判では正直に喋って反省しているなどと主張し、死刑回避を求めた。
田尻被告は最終意見陳述で、声を震わせながら「何の罪もない人たちの命を奪って本当にすみませんでした」と、検察席と傍聴席の遺族らに向かって頭を下げた。
2011年10月25日 判決公判
田尻被告に下った判決は死刑。
裁判長は判決理由について、「パチンコや風俗店で使った借金返済のため強盗殺人を繰り返しており、身勝手かつ短絡的」とし、凶器で顔を執拗に狙った手口も残虐と批判。そして「犯行の経緯や動機に酌むべきところは全くなく、結果も深刻だ。最初の事件から7年後に同様の手口で再び犯行に及んでおり、罪責はまことに重大だ」と指弾した。
争点の ”自首” についは「自発的に供述したとは到底言えない」として認めず、熊本市の事件での自首も「罪の意識からではなく、逃げ切れないと考えた経緯を考えれば過大に評価できない」と述べた。
11月1日、弁護団は判決を不服として福岡高裁に控訴した。
控訴・上告ー死刑確定
2012年3月7日に控訴審初公判が開かれた。弁護側は「自首が成立する」として改めて死刑回避を求め、検察側は控訴棄却を求めた。
田尻被告は被告人質問で遺族に謝罪し、遺族が意見陳述して結審した。
2012年4月11日の判決公判。裁判長は自白について「詳細に供述し、事件解決に多大な寄与をした」と評価。そのうえで「捜査官からの追及に、もうごまかせないと思って自白した。自発的申告とは言えず、約7年間もひた隠しにしており遅きに失する」と判断、「極刑を回避する事情には当たらない」と指摘した。
さらに「犯情の極めて悪い重大事件では、反省などの情状が量刑に与える影響力はかなり小さい」と指摘し、「人命軽視の危険な性向は顕著で、矯正は極めて困難。死刑を回避すべき特段の事情はなく、極刑と判断した一審判決はやむをえない」と結論付けた。
4月19日、弁護側が上告。しかし、2012年9月10日付で田尻被告は上告を取り下げ、死刑が確定した。
恐ろしいギャンブル依存症
パチンコと風俗で作った借金を何度も母親に肩代わりさせ、それが無理となると強盗殺人で金を得る・・・どう考えてもクズ男です。
こんなどうしようもない人間はめったにいないでしょう。しかし死刑確定者の中には意外といるんです。
武富士弘前支店・強盗放火殺人事件の小林光弘は、競輪で作った借金を母親に頼って返済しましたが、その後もやめられませんでした。彼は消費者金融に強盗に入り、拒否されると放火して逃走。結果、5人を殺害した罪で死刑となりました。
岩手県洋野町母娘強盗殺人事件の若林一行は、パチスロで多額の借金をして母娘2人暮らしの家に強盗に入り2人を殺害、やはり死刑が確定しました。
彼らの価値観は 遊興 > 人命 なわけで、ギャンブルがいかに人を狂わせるかということがよくわかります。
彼らに共通するのは、お金がなくてもギャンブルをやめない点です。ここまでくるとさすがに異常です。おそらくギャンブル依存症なのでしょう。
ギャンブル依存症はれっきとした精神疾患です。まわりにそういう人がいたら、専門医に連れて行ったほうがいいと思います。自力では治りません。